街道ウォーク<旧中山道<加納宿(岐阜駅)~関ヶ原駅
2013年4月20日 19回目
山内一豊陣跡
慶長5年(1600年)、徳川家康に従い会津の上杉景勝討伐の従軍した一豊は、関ケ原の戦いで西上に際し、居城の掛川城を明け渡しての出陣となりました。岐阜・大垣の兵と戦い、ここ野上に入ると、一豊他八将は一里塚より桃配山までの間の中山道左右に並列し、南宮山の敵に備えました。その後、家康の進旗にあたり、南宮山の隊に東軍攻撃の形勢がないため、使番による家康の命令を受け、山内隊は有馬、蜂須賀の隊と共に芝井の地まで前進して戦いました。戦後、妻の内助の功もあって、土佐の国主となっています。関ヶ原町
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