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日永の追分(三重県四日市市追分)~旧東海道を歩く(13回目)

2011-08-03 20:16:47 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<桑名宿~亀山宿
2011年7月29日 13回目

日永の追分

三重県四日市市追分

 

  

道が左右に分かれる所追分を言う。「日永の追分」は東海道と伊勢街道との分れ道である。道路が拡張される前は伊勢神宮の二の鳥居が建っていた。この鳥居は安永三年(一七七四)久居出身で江戸に居た渡辺六兵衛と言う人が、江戸から京都の行くとき、ここから伊勢神宮を遥拝(ようはい)するようにと思って立てたものである。・・・・・・・また、追分は東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の間にあって「間の宿(あいのしゅく)」と言われ、神宮遥拝鳥居を中心に旅籠が軒を並べ、茶店も多かった。・・・・・「日永の追分」は昭和十三年に三重県の史跡に指定され現在に至っている。以上記載内容

追分とは道が二またに分かれるところで、日永の追分は、京に向かう東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあたります。ここには桑名の一の鳥居に対する二の鳥居が建てられました。四日市を描いた浮世絵には、この鳥居を中心にした追分の風景がしばしば表れます。鳥居は、安永三年(1774)に奉献され、その後たびたび建替えが行われ、現在のものは昭和四十八年(1973)の伊勢神宮式年遷宮の際に、伊雑宮(いぞうぐう)の鳥居を移建(昭和50年)したもので九代目にあたります。当初は伊勢街道をまたぐように立っていましたが、現在は伊勢街道が鳥居の横に新しくできたため、鳥居を くぐらずに進めるようになり、先の移建時に周りが公園化されました。 現在の追分には、常夜燈、道標、清めの手水所があります。常夜燈のひとつは奉献時から存在したと推定されます。道標は、明暦二年(1656)に建てられたものが、嘉永二年(1849)に新たな道標を建てた際、追分神明社に移り、さらに明治の神社合祀にともない、合祀先である日永神社に移されました。それには「京」「山田」「南無阿弥陀仏 恵心」「明暦二丙申三月吉日」とあり、現存する日永の追分に関わるものとしてはもっとも古いものです。 日永の追分は、四日市宿と石薬師宿の間に立つことから間の宿とよばれ、周辺には多くの旅籠や茶店などが並んでいました。浮世絵にも饅頭屋が描かれています。四日市市公式サイトより

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