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由比正雪の墓/安倍川義夫の碑~旧東海道を歩く(7回目)

2011-06-06 19:27:03 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<府中宿(静岡駅)~金谷宿(金谷駅)
2011年6月5日 7回目

由比正雪の墓/安倍川義夫の碑

由比正雪の墓

静岡県静岡市葵区沓谷1344-4(正党山菩提樹院)

由比正雪:江戸初期の軍学者。駿河国由比の人。江戸に出て楠木流軍学の塾を開き多数の門人を集めた。1651年浪人を糾合、三代将軍家光の死に乗じて倒幕を企てたが、事前に露顕、自殺した(慶安事件)。三省堂 大辞林

▲由比正雪の墓

 

安倍川義夫の碑

▲安部川義夫の碑▼

 

この碑は、正直な川越人夫の顕彰碑である。元文三年 ( 1738 ) 初秋の頃、紀州の漁夫が仲間と貯めた金百五十両の大金を持って、安倍川を渡ろうと川越人夫を頼んだが、渡し賃が高いため、自分で川を渡った。しかし、着物を脱ぐ際に、大切な財布を落としてしまったのである。たまたま、その近くにいた人夫の一人 ( 川原町彦右衛門の息子喜兵衛 ) が財布を拾い旅人のあとを追い、宇津の谷峠で引き返してくる旅人に出会って財布を渡した。旅人は喜んで礼金を払おうとしたが、 「 拾ったものを落とし主に返すのは当たり前のことだ 」 といって、喜兵衛はどうしても受け取らないので、駿府町奉行所に礼金を届けた。そこで、町奉行が喜兵衛を呼び出し、礼金を渡そうとしたが受け取らないので、その金を旅人に返し、代わりに奉行所からほうびの金を喜兵衛に渡したのである。昭和4年 ( 1929 ) 、和歌山県と静岡県の学童や有志の人々の募金によって、安倍川橋の近くのこの地に碑が建てられたのである。

 碑文 難に臨まずんば忠臣の志を知らず。
     財に臨まずんば義士の心を知らず。
昭和六十年一月 靜岡市

▲安倍川はすぐそこ

☆cosmophantom

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