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畑宿本陣跡~東海道リベンジ編(風祭駅~箱根)

2013-05-29 14:05:17 | 東海道リベンジ編

街道ウォーク<リベンジ編<旧東海道<風祭駅~箱根関所
2013年4月28日

畑宿本陣跡

 

畑宿は、郷土の伝統工芸箱根細工が生まれ、育ったところです。畑宿で、木地細工が作られた記録はかなり古く、小田原北條氏時代までさかのぼります。江戸時代畑宿は、箱根旧街道の間ノ村として栄え、たくさんの茶屋が並び名物のそば、鮎の塩焼、箱根細工が旅人の足をとめました。

▲畑宿本陣跡

ここ畑宿の本陣は、屋号を茗荷屋と呼ばれた旧名主の本屋敷跡です。家屋は約七十年前大正元年全村火災の折、焼失しましたが庭園は昔を偲ぶそのままの姿で残されました。本庭園は、ご覧のように小規模ですが街道に日本庭園として他に無かったようです。畑宿は、今から百二、三十年前の江戸時代の中期には本街道の宿場として今より多く栄えた集落です。この本陣をめぐり一般に余り知られてはいない事柄があります。安政四年十一月二十六日米国初代総領事伊豆下田に於けるお吉物語で有名なハリス・タウンゼントが江戸入りの途中、ここに休息鑑賞したことです。ハリスの箱根越えはエピソードが多く大変だったようです。下田から籠で上京したハリスは箱根関所で検査を受けることになった。その際、ハリスと関所側は、検査をめぐってトラブルが起き、下田の副奉行が中に入ってほとほと困り抜いたと云う。ハリスは『私はアメリカ合衆国の外交官である』と検査を強く拒否したことから副奉行がハリスを馬に乗せて籠だけ検査することで関所側と妥協した。ハリスは怒ったり笑ったりで関所を通った。そして畑宿本陣に着いてから彼がはじめて見る日本式庭園の良さに心なごみ機嫌はすこぶる良好になったといいます。

畑宿の名主茗荷屋畑右衛門の庭は、山間から流れる水を利用して滝を落とし、池にはたくさんの鯉を遊ばせた立派な庭で、当時街道の旅人たちの評判になりました。ハリスやヒュースケンなど幕末外交の使者たちもこの庭を見て感嘆しています。

 cosmophantom

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