コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

柏原一里塚跡~旧中山道を歩く(20回目)

2013-06-28 20:09:39 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<関ヶ原宿(駅)~高宮宿(駅)
2013年6月7日 20回目

柏原一里塚跡 (復元)

 

一里塚は、旅人の里程(みちのり)の目安・駕篭・馬の乗り賃銭の目安と旅人の休息場所として造られた。慶長九年(1604)、徳川家康の命をうけ、秀忠はまず東海道と中山道・北陸道での一里塚築造に着手した。そして奉行には永井弥右衛門白元・本多佐太夫光重を任命、江戸は町年寄りの樽屋藤左衛門・奈良屋市右衛門、街道沿いでは天領は代官、私領は領主に工事参加の沙汰が出された。工事現場の総監督はすべて大久保長安が担当した。一里塚の規模は、五間(9m)四方に盛土して、一本または複数本の木が植えられた。おもに榎が選ばれた。成長が早く根が深く広く張って塚が崩れにくい利点から採用された。柏原一里塚は、江戸日本橋から数えて百十五番目で、柏原宿内の西見附近くに街道を挟んで北塚と南塚があった。(両塚ともに現存しない。)北塚は、街道沿い北側で、愛宕神社参道の石段東側(現中井町集会所)の場所にあった。 南塚は、街道を横切る接近した二筋の川のため、やむを得ず東側の川岸で街道より奥まった所に築かれた。(現在では、大幅な河川工事が行われてので、この地点から東寄りの河床の位置になる。)なお、江戸時代刊行の道中記等を見ると、両塚とも三本の榎が描かれている。

 

 cosmophantom

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 郷宿跡~旧中山道を歩く(2... | トップ | 旧道と西見付跡~旧中山道を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧中山道ウォーク」カテゴリの最新記事