街道ウォーク<旧中山道<関ヶ原宿(駅)~高宮宿(駅)
2013年6月7日 20回目
常盤地蔵
平安末期、此処山中村で置きた常盤御前の不幸な出来事は、涙なしには語れない.常盤は「義経がそのうちきっとこの道を通って都に上る筈,その折りには是非道端から見守ってやりたい。」と、宿の主人に形見の品を手渡し息を引き取った。時に常盤四十三歳。主人は常盤の念願が叶うよう街道脇に塚を築き、手厚く葬ったのである。(右手下約300メートルに先にあり)その後哀れに思った村人は、無念の悲しみを伝える常盤地蔵を塚近くのこの場所に安置し、末永く供養することを誓い合った。案の定寿永二年(一一八三)義経上洛のため弐万余騎を率いて、当地若宮八幡神社に到着し、西海合戦勝利を祈願。合わせて母の塚及び地蔵前では、しばしひざまずき、草場の陰から見守る常盤の冥福を祈ったという。関ヶ原町
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