街道ウォーク<旧中山道<関ヶ原宿(駅)~高宮宿(駅)
2013年6月7日 20回目
照手姫笠掛地蔵
中世の仏教説話「小栗判官・照手姫」にまつわる伝承の地蔵である。昔、常陸国(茨城県)小栗の城主、小栗判官助重が毒酒のため落命の危機に逢いながらも、餓鬼阿弥となり一命を取止める。これを悲しんだ愛妾照手姫は夫助重を箱車に乗せ、狂女のようになり、懸命に車を引張ってここ野瀬まで辿りついた。そして野ざらしで路傍に佇む石地蔵を見つけ、自分の笠を掛けて一心に祈りを捧げたところ、地蔵は次のお告げをしたと聞く。立ちかへり 見てだにゆかば 法の舟に のせ野が原の 契り朽ちせじ勇気を得た照手姫は喜んで熊野に行き、療養の甲斐あって夫助重は全快したことから、再びこの地に来り、お礼にお寺を建て、石地蔵を本尊として祀った。
▲右側が照手姫笠掛地蔵
背の高い地蔵の由来
照手姫笠掛地蔵の本来の祭祀場所が余りにも人家から遠すぎたため、何かと街の中へと願ったが仲々安住の地が見つからず、各所を転々とした後、昭和の始めころ現在地に定着されることになった。 その時地蔵は一体であったが、御覧の立派な背の高い地蔵が一古老から奉納され、笠掛地蔵とともに一堂に合祀されることとなった。この地蔵はみんなの安産を願って「安産地蔵」として寄進されたとも聞く。やさしい顔・立姿の美しい地蔵は庶民に好感をもって迎えられ今日に至っている。そしてこの地蔵は、小さい照手姫の笠掛地蔵を見おろすこともなく、むしろ引立役をなしている。
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