街道ウォーク<旧中山道<関ヶ原宿(駅)~高宮宿(駅)
2013年6月7日 20回目
黒血川と鶯の滝
壬申(じんしん)の乱(672)で、ここ山中の地で両軍の衝突が起きています。 七月初め大友軍は精鋭を放って、玉倉部邑(たまくらべのむら=関ヶ原町玉)を経て大海人(おおあま)軍の側面を衝く急襲戦法に出てきました。しかし、大海人軍はこれを撃退、その後この不破道を通って近江へと出撃して行ったのです。この激戦で、両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことから、この名が付き、その時の激しい様子を今に伝えています。 この川は、青野ケ原や関ヶ原の戦い等、古来軍事上しばしば利用されてきました。関ヶ原町
▲鶯の滝▼
中世(鎌倉・室町期)の山中村は旅人も泊まる宿駅として栄えていました。近世(江戸期)では、関ヶ原・今須宿の間の村として、人足が駕籠や馬を止めて休息した立場や酒屋・餅菓子屋・果物屋・古手(ふるて)屋等が軒を連ね、活気を帯びていたのです。ところで、この滝は、今須峠を上り下りする旅人の心を癒してくれる格好な場所でした。滝の高さは約五メートル。水量は豊かで冷気立ち込め年中鶯の鳴く、平坦地の滝として、街道の名所になっていました。関ヶ原町
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