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垂井一里塚と浅野幸長陣跡~旧中山道を歩く(19回目)

2013-05-11 11:31:27 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<加納宿(岐阜駅)~関ヶ原駅
2013年4月20日 19回目

垂井一里塚と浅野幸長陣跡

 

 

 

史跡 垂井一里塚 昭和5年10月3日指定

徳川家康は、街道整備のため、慶長九年(1604)に主要街道に一里塚の設置を命じた。これにより、江戸日本橋を基点として一里(四キロ弱)ごとに、五間(約九メートル)四方、高さ一丈(約三メートル)、頂に榎を植栽した塚が道を挟んで二基ずつ築かれた。垂井一里塚は、南側の一基だけがほぼ完全に残っている。旅人にとっては、人夫や馬を借りる里程を知り、駄賃を定める目安となり、その木陰は格好の休所となった。 国の史跡に指定された一里塚は、中山道では東京都板橋区志村のそれと二か所だけであり、交通史上の重要な遺跡である。

 

関ヶ原の戦い 浅野幸長陣跡

 

幸長(よしなが)は、五奉行の一人であった浅野長政の嫡男で、甲斐府中十六万石の領主であった。関ヶ原の戦いでは、豊臣秀吉恩顧でありながら石田三成と確執があったため東軍に属し、その先鋒を務め、岐阜城を攻略。本戦ではこのあたりに陣を構え、南宮山に拠る毛利秀元ら西軍勢に備えた。戦後、紀伊国和歌山三十七万六千石を与えられた。 平成十八年十一月 垂井町教育委員会

 

 

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