2015年12月30日 滋賀県
日吉大社(東本宮)
滋賀県大津市坂本
滋賀県大津市坂本に鎮座する元官幣大社(→官幣社)。近江国一の宮。日吉山王,山王権現,山王二十一社ともいう。全国 3800あまりの日吉山王社の総本宮。東本宮に,『古事記』にも登場する山の神のオオヤマクイノカミ(大山咋神),西本宮に,大和国から琵琶湖上の船に現れて現在地に鎮座したと伝えられるオオナムチノカミ(大己貴神)をまつる。
二宮橋 重要文化財
日吉三橋のひとつ。東本宮(旧称:二宮)に向かう橋。現在は山王祭の時にのみ渡ることができる橋です。
日吉大社東本宮楼門 重要文化財
東本宮の正面入口に建つ楼門。信長の焼き討ちの後、天正年間から文禄2年(1593年)頃に建てられた。正面の柱間三つの内、中央が扉のない出入口となっている。屋根は入母屋造りの檜皮葺き、軒廻り、腰組の組物は、格式の高い三手先である。一階部分が高く、二階部分が低いため、すらりとした均整のとれた建物である。
左側に樹下宮本殿、右側に樹下宮拝殿,正面東本宮拝殿 その奥東本宮本殿
▼樹下宮本殿 重要文化財
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で、後方三間(さんげん)・二間(にけん)が身舎(もや)、その前方一間通しの廂(ひさし)が前室となっています。数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造(ひえづくり)と共通した方式であることや向拝(こうはい)階段前に吹寄格子(ふきよせこうし)の障壁(しょうへき)をたてているのは、この本殿の特色となっています。文禄(ぶんろく)四(一五九五)年に建てられたことが墨書銘(ぼくしょめい)によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子(こうし)や破風(はふ)、懸魚(げぎょ)などに打った飾り金具は豪華なものです。
▼樹下宮拝殿 重要文化財
この拝殿は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、桧皮葺の建物です。方三間(ほうさんげん))といわれる拝殿ですが、他とは、柱間が四方とも格子や格子戸となっている点が異なっています。屋根の妻飾(つまかざ)りは木連格子(きつれこうし)、天井は小組格天井(こぐみごうてんじょう)、回り縁(えん)は高欄(こうらん)付きとなっていて、本殿と同じく
文禄四(1595)年に建てられたものです。なお、樹下神社の拝殿と本殿を結ぶ線と、東本宮の拝殿と本殿を結ぶ線が交わるのは、珍しいものです。
▼東本宮拝殿 重要文化財
拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)一重、入母屋造、檜皮葺妻入の建物です。四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾り(屋根の三角部分)には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。「文禄五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、一五九六年頃の建築であることがわかります。
▼東本宮 国宝
この本殿は、桁行五間(けたゆきごけん)、梁間三間(はりまさんげん)、日吉造(ひえづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)の建物です。日吉造(ひえづくり)は、一名を聖帝造(しょうたいづくり)といい、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面に三方の廂(ひさし)がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社のみ現存している形で重要なものです。東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。文禄(ぶんろく)四(一五九五)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
▼多羅葉(たらよう)
肉厚の葉の裏側に先端のとがった物で傷をつけるとその部分が黒く残り、文字が書けます。この葉に書くことからハガキとなったそうです
cosmophantom
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます