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東光寺(毛利家の菩提寺)(重要文化財)~山口県萩市椿東

2016-10-13 05:42:01 | 神社・仏閣・教会

2016年8月26日 山口県

東光寺 重要文化財

山口県萩市椿東

護国山東光寺は、元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、大照院とならぶ毛利家の菩提寺。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並ぶ。

▼総門 重要文化財

総門正面には慧極筆の「護国山」の額が掲げてありますが、「元禄癸酉六年孟春吉日(西暦1693年)」と年期が記されています。三間二戸八脚門(正面柱間が三間、側面柱間が二間、左柱間に扉、右柱間に板壁、八つの控え柱を持つ)、一重切妻造段違本瓦葺きで、棟の端にはシャチ(鯱)の代わりに摩伽羅を飾り、中央持ち上げの棟式屋根は黄檗風の様式です。

▼三門 重要文化財

この門は東光寺が創建されて百二十一年後の文化九年(1812年)九月十九日に竣工しました。藩主毛利斉熙が寄進したもので、「文化八年辛未七月念有八日始斧」・「同九歳次壬申九月十有九日竣工」の棟札があります。規模は地方寺院のものとしては有数で、桁行十一・六メートル、梁間六・七メートルの三間三戸(柱間が三つ、戸口が三つ)の二階二重門です。入母屋造り本瓦葺き、棟の両端は鯱付き鬼瓦備え、中央は露盤宝珠備えで、ケヤキの素木造りとなっています。左右に山廊があって、ここから上層部への階段が通じていて、二階には周囲に通し縁があって、内部には十八羅漢等が安置されています。全体の構造形式は純粋な唐様で、組物は上層軒内唐様二手先詰組です。
 

  

 ▼鐘楼 重要文化財

 鐘楼は、黄檗宗特有の一重もこし付きの素木造二層式の建物で、用材はヒバとマツが使われています。屋根は入母屋造りで上層部は本瓦葺き、下層部は桟瓦葺きとなっており、上層には、刎高欄を据えた縁が周囲に廻してあります。主屋組物は絵様刳形付き大斗肘の間斗束構出組納です。上層内部には、毛利家四代藩主・吉広公が当事の藩における鋳物師の名工郡司喜兵衛・源太夫父子に命じて鋳造させ、寄進された大鐘があります。この大鐘の銘は開山の慧極禅師の撰によるもので、それには元禄七年(1694年)五月十五日、すなわち当山開基の毛利家三代藩主吉就公の葬儀が行われた翌日の日付が入っております。
 

 

▼大雄宝殿

東光寺の大雄宝殿(本堂)は元禄十一年(1698年)十二月に竣工しました。一重裳階付き、入母屋造、本瓦葺きで、用材はクサマキです。組物は三ツ斗出組構えで、前面一間通りは吹放しになっていて、左右と背面の入側は化粧屋根裏、中央は格子天井組など複雑な建築技術を駆使した唐様式の仏殿です。黄檗宗では本堂を大雄宝殿と呼びますが、「お釈迦様のいらっしゃる所」という意味です。現在でも中国・韓国では同じように呼んでいます。堂内は土間叩仕上げで、中国明時代の法要の法式を継承する黄檗宗の読経は現在でも立ったまま行います。
 

    

 ▲開梆(カイパン):木魚の原型

▼萩藩主毛利家墓所

この墓所は、山口市に所在する香山墓所、萩市に所在する旧天樹院墓所、大照院墓所とともに、長州藩36万石の藩主の墓地。 東光寺墓所は萩市椿東にあり、この墓所には3代藩主毛利吉就のほか、5代、7代、9代、11代の歴代藩主及び夫人の墓があります。

  

 

 

 

2016-10-13 05:42:01

☆cosmophantom


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