逆に放銃は悪いことではないと考えている人もいる。一般的にはそっちの方が多いかな。
しかし、放銃が全て良い悪いというのはあまりにも極端すぎる考えだし、そんな考えで麻雀に臨むとなるとほぼ損すると思う。ま、良い悪いの定義は人それぞれだが、流石に良い放銃と悪い放銃は存在すると思う。
1、良い放銃というのは自分の納得のいく放銃であり2、悪い放銃というのは自分の納得のいかない放銃である。3、他に良いのか悪 . . . 本文を読む
麻雀は運の要素が大きいゲームだと言われる、ゆえに運のせいと考えることも多いだろう、しかしその反面運も実力の内という格言もある。どっちが正しのだろう?それともどちらも正しくないのだろうか?
ま、全て運のせいにするのは行き過ぎだし、私も間違ってると思う。ただ全て実力だけで解決できるゲームと言ったら、そんなことはないと思っており、運のせいにするのも致し方ないことだと、、、実際私だけじゃなくそう考える人 . . . 本文を読む
基本的な考えとして待ちが多くなればなるほど上がり易さの差は少なくなり、逆に待ちが少なければなるほど上がり易さの差は大きくなるというのが鉄則に思う。
どういうことかというと、こんな待ち取りを課されたとする。 14枚 VS 13枚1枚しか差がない。どっち切っても同じなら手広くを切るんだろうけど、これで、もしドラがであればケチらずにを切ったほうが良いかな。ドラだとドラ表にも掛かるし、多少出 . . . 本文を読む
前に同じようなことを何度か書いたことある気がするが。
勝つ為に麻雀を打つというのも、高打点を狙う麻雀というのも。どちらも思想である。問題なのはこれらを自分では思想と見てないことであり、自分の麻雀だけが正しいと思っていることである。
勝つだけの麻雀だけが正しいと思ってないだろうか?高打点を狙うだけの麻雀だけが正しいと思ってないだろうか? どちらも、原理主義的な危険な妄想であり、何か、こういう人間 . . . 本文を読む
結論から言うと、上級者に比べ通用しにくいと言える。
東発からバシバシ来てるな手入ってるかなと思いきや、手牌空けたら役なし形聴で、捨て牌見たら何度もアガってるとか。立直来たと思いきや、場に2枚切れの和了にくい地獄待ちとか。立直後に三副露までしてるのに、手牌バラバラとか。
全く何を考えてるか分からない。
麻雀は相手が強くなればなるほど、セオリーに従って打つことが多くなるので、読みが通じ易く作戦も . . . 本文を読む
東一局 九順目 西家 ドラ
東切り 切り 切り、切りなんてのもあるか。
打暗刻系対子系も絡めば、打点も見込めるので必ずしも手が安くなるような打ち方ではない。
打このタイミングで切ってしまおうみたいな感じもあるだろうが、何か切るにしても遅すぎる気もする。九順目であり、ドラ対子で入ってる可能性もそこそこ高い。鳴かれた時に追いつけるかどうかと思うし、そんな勝負できる手格好でもないの . . . 本文を読む
東1局 9巡目 東家 ドラ
良い手牌だが、難しい。クイタンドラ3、七対子、平和色々ある。
候補としては打 打 打 打 打と言った所か。
打 塔子固定しつつ、安定性が高そうである。クイタンと平和両方と言った感じ。七対子はほぼ見ない。
打 完全に七対子狙いという訳でもない。割と実践的にも思う。索子のドラ塔子で一面子出来た時に面子手にも移行できること . . . 本文を読む