東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 伊保庄の山近,原,愛宕社を散策調査

2014年07月24日 | ふるさと

 私の母親の生まれ故郷である柳井市伊保庄の山近に行ってみました。私が小学生の頃、東京に住む叔母と一緒に来たのが最後でした。それ以前に幼児の頃に何度も来たはずなのですが、写真に残っているだけで記憶にほとんどありません。そもそも山近の一家は、母親を除いて全員ブラジルに移住してお墓だけが残されました。そのため、小学生以降行くことはありませんでした。

       山近の上の方にある沼        最下画像C地点:山近,原,平生大野の分岐点
 

 母親がよく話す、愛宕社(あたごさー)に行って見ました。私も一度は来たことがあるはずなのですが、あまり記憶がありません。お社を探してみましたが、まるで道が分かりません。道の一部は決壊していました。地元原の方に2度聞いて、蚊に襲われながらもようやく探し当てました。境内はイノシシのせいで穴だらけでした。文殊様(もんじゅさま)が近くにあるようですが、どこにあるのか思い出せませんでした。あまりにも寂しげな愛宕社でした。
 この愛宕社、今でも1月4日にお祭りをしているとのこと。この愛宕社のお祭り、昔は露天が並んで賑やかだったそうです。ある年、境内の上に紐が張られ、軽業師が渡ったことがあるそうです。また、日の神様とも言われ、日照りの年には雨乞いの儀式が行われたそうです。なお、お祭りは、山近と原地区で交互に担当しているそうです。太夫さんは、賀茂神社の2人のうち、今は藤井さんか務めているとのこと。お祭りの1月4日以外は地元の人もめったに入らないようで、このように荒れているのではないかと思います。
 ところで今、お年寄りが愛宕社まで登れず困っているとのこと。また、この8月23日に古老の集まりがあるそうです。聞いた話では、今の愛宕社はかつてはもっと山の上にあったそうです。

      境内はイノシシに掘られて穴だらけ、左が愛宕社,右は氏子会館


 私が高校生の頃の航空写真を見ると、当時はなんとか平生の大野から伊保庄への県道は歩くことができたようです。しかし、この40年近くの間のモータリゼーション発達のため峠を歩く人が激減しました。今は、峠を越えないで車で柳井経由で伊保庄に行きます。
  かつての峠道はジャングルです。平生側の道は絶えましたが、伊保庄側の道はかうじて残っているようにみえます。この冬に再度チャレンジして山頂まで歩いてみようと思います。地図上では、山頂の室津半島スカイラインまでたかだか600mの距離ですので。

      愛宕社の鳥居、明治2年設置            鳥居横のたくさんのお地蔵様
 

 下の画像は、今回調査した伊保庄の山近と原地区です。黄色の線は今回実際に通った道です。橙の道は歩けなかった道で、あそらくこのように続いていると思われます。
 A地点は母親の実家がかつてあった場所。B地点は平生の大野から山道を下ってきた時、原と山近に分かれる地点。C地点は原,山近,そして大野を結ぶ県道です。

                   今回調査した伊保庄の山近地区と原地区

コメント
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