だれもが歴史で習い知っている通り、国家権力の横暴はすさまじもので、政府に都合の悪い者は、捕らえられ、獄中でひどい扱いをされ、警察官による拷問で殺されることもありました。思想犯として「治安維持法」で捕まり殺された人は、1600人(粗末な扱いで病気になり死んだ者を含め)といわれます。
政府を批判する者は、天皇陛下に背く非国民とされ、警察官や憲兵らに殺されてもみなは、見て見ぬふりでしたし、朝日新聞(大阪朝日)も、幸徳秋水が、実質一日だけの裁判で即刻死刑となり処刑されたのを、社会のうじ虫は死刑で当然、という社説を載せました。無罪なのに、社会主義者は殺されて当然とされたのです。
こういう国家でいいですか?
安倍首相は、その戦前社会の支配的政治家で、東条英機と共に対米戦争の決定者である岸信介を一番敬愛しますので、一度も「戦前思想」への批判をしたことはなく、逆に戦後レジーム(体制)を終わらせると宣言してきました。
これほどの悪=公共悪はありませんが、こういう思想が、国連からも批判されていた共謀罪を強行に通した背後にあるのです。日本は今までも国連やアムネスティーから繰り返し、人権改善を勧告されてきましたが、政府はまったく聞く耳をもちまぜん。戦前社会を支えた個人を軽視する国体思想(天皇制国家主義)への批判が弱いのは、首相や副首相をはじめ、多くの保守政治家は、戦前社会を支配していた政治家の孫たちだからです。
無条件敗戦の責任をとらず、退位さえせずに死去した昭和天皇の裕仁に象徴されるように、太平洋戦争の責任をとらず(東条英機一人に全責任を負わせ)、また、それを追及しもしない国民は、世界の歴史に例のない「全面的な敗戦国の支配者が再び政治権力を握る」という異常・異様な事態を招いたわけです。A級戦犯の岸信介が戦後に首相となり、その意思を受け継ぐ孫の安倍晋三は、いま、大活躍です。
個人という言葉=概念を嫌い、日本には人権思想はなじまないとする「反人権宣言」(ちくま新書)の著者で安倍首相の親友=八木秀次麗澤大学教授は、首相の命を受け、教育(政府が統制するという改革)や皇室問題での政府の審議委員を務めています。安倍首相の本音がよく分かります。戦前思想の国、個人消去の国へ、なのです。
2014年2月13日の一面
憲法理念で為政者を縛る、権力の保持者は一人ひとりの国民であり、国民の一般意思に基づく公共権力を代行するのが政治家である、というデモクラシーの原理がボヤケたら、たちまち個人は消去されてしまいます。安倍首相のように、立憲主義を認めないという発言をした首相は、世界のどこにもいません。
民主政治の原理中の原理を知らず、その言葉を聞いたこともなく、その内容を知ると、それは大昔の話!!??というデタラメを公言するそんな首相は、世界でただ一人です。主権者の根本意思=「憲法」に従って政治を行わなければ、国家はリバイアサン(怪獣)となり、国民は怪獣のおもちゃにされてしまいます。
市民国家=公共社会をつくらなければいけません。主権はわたしにあり、あなたにあるのです。
武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員=「日本国憲法の哲学的土台」を講義)