思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

元号ではなく、世界暦(西暦)を!(元号は、世界との共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生んでしまいます)

2019-03-26 | 社会批評

 元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。  

 例えば、天皇主権(現人神としての裕仁天皇)から国民主権(人間宣言をした裕仁天皇)へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます(裕仁天皇は、敗戦の時、周囲から退位するように勧められましたが拒否しました)。これでは、歴史の意味は不分明になり、現実の世界感覚も薄れて日本の独りよがりになりがちです。

 「平成の時代」「昭和時代」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなります。パブロ・ピカソー1881年~1973年、棟方志功-明治36年~昭和50年では困ります。また、歴史の連続性の意識も薄れ、無責任になりがちです。

 したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきです。現在、役所は「元号法」により、元号使用を要請されています。北朝鮮も驚く国粋主義ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればよいのです。 公共の場や会社では世界暦(西暦)表記にすべきです。

 (※元号は、古代王政の「王が時間も空間も支配する」という思想=制度でしたが、それが世界で唯一残っているのが日本です。明治維新政府がつくった天皇教(国体思想=靖国思想)に基づく制度です。)


武田康弘

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