さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

小雨降る静かな街の昼下がり

2017-01-30 | 日記


どうしたんでしょうか、今日の午後の散歩は雨の中でした。
おとといなど零下何度かの厳しい寒さで「台所の窓が開かない」とばばちゃん(家内)が叫び、冷たい霧が午後まで晴れず、集落の木々には霧氷の花がついていました。それが今日の午後は雨になっているんです。

テレビでは盛んに気温が4月中旬並みの暖かさなどと報じられ、上着など脱いで熱い熱いなどおっしゃる男の方の姿などが写しだされています。私たちの町は雪国ですから残雪がいっぱいでまだ寒いんですけど雨が降っています。真冬の雨です異常気象なことには変わりありません。

地球温暖化・・やむを得ませんね。地球上の人間みんなで化石燃料を燃やし車を走らせ工場の機械を動かし高炉で製鉄をして熱い廃棄ガスをいっぱい出していますから地球を取り巻く大気が温かくなるのは当然です。どこかの国の廃棄ガスに汚れた空気が私たちの町まで流れてきて遠くの山が霞んで見えなくなったりするんですから・・

私が子どもの頃「竜巻」などという恐ろしいものが空から下りてきて家まで空に巻あげるそんな出来事がどこか遠い国におきている。怖いよなどと聞かされていました。それが今は日本のあちこちに起きている。異常気象です。怖いです。

でも今は毎年のようにこんな気象が続きますから異常気象ではなくてこれが普通の気象なのかも知れませんね。

ついでに90歳爺いのたわごとを言わせて貰えば、毎朝朝ドラなどをばばちゃんと一緒に楽しませて頂いていますけど、今の世情を移しているんでしょうけど今のお若い方々の喜び悩み悲しみが爺いにはまるで別の世界のように思えたりする時もあるんです。豊かで平和なんですよね。

今のお若い方々には「ちゃぶ台返し」などということを聞いてもなんのことかお分かりになりませんよね。むかしむかし80数年ほど昔、狭い6畳ほどの畳敷の茶の間で両親と子ども5人ほどが小さなちゃぶ台と言われる座机を囲んで食事をするんです。一家の幸せのひとときです。ところが家長である父親がななにか不満があってかんしゃくを起こし食事の最中いきなりそのちゃぶ台をひっくりかえすことがあるんです。母親も子どももすみませ~んとしゅーんとするんです。私はそんな経験をさせられたことはありませんけど、よく聞く話ではありました。家長と言われる人の権威がこんなにも厳しく強かったといううことなんでしょうか。

今私は、ばばちゃんと二人ですから、強いて言えば私が家長なのかもしれません。その私はばばちゃんの調えて呉れた食事を有り難く頂戴し、そしてばばちゃんのいろんな話を実は聞いてはいなくても「うんウン」うなずいているんです。「ちゃぶ台返しなど夢にも出来ない,家長の権威など少しもない家長はだらしない」などというう方もいっらしゃるかも知れません。でもとんでもありません今の私にはこれが一番の幸せなんですよ。どこかでお偉い方が「今の日本の家庭のあり方がよろしくない、しっかりと考えなおし指導していかななければならない」などとおっしゃる声を聞いたことがあるような気がします。とんでっもありません私は私の家族のあり方を他の方からご指導を頂くなどごめんして頂きたいと強く思っているんです。

雨の散歩からくだらんことまでだらだらと書いてしまいました。ボケ爺いのぼやきです。ごめんなさいね。

爺い90歳、ばばちゃん88歳、二人は「めおと」です。

2017-01-29 | 日記
男と女の二人です。性格も価値観も全く違うといううより正反対の二人です。いつも平和で和んでばかりいるはずがありません。けんかして沈黙の日が続く時だってあるんです。でも寄り添って、そして二人のそれぞれの生き様を大事にしあいながら老夫婦は生きているんです。

ばばちゃんは片方の手の平にすっぽりと入るような小さなコンデジを持っていて写真を撮るのを楽しみにしています。脚の痛みを病む老体のばばちゃんは自由に歩き廻ることは出来ません。撮影の対象は限られています。小さな庭の小さな一坪花壇の花と、台所の窓からの朝の風景が主になります。こんな写真を撮るばばちゃんです。

自分が植えて咲かした花壇の花の写真です。これってでーんと花が大きく片側に写っていて細やかな女性の撮った写真ではないように思うんです。ものに動じない肝っ玉ばばちゃんの撮った写真だと私は思います。



これは台所の窓から撮った雪の朝です。私は写真の下の部分に大きくて丸いプラスチックの容器がデーンと写っています。細かなことなど気にならない大ざっぱなばばちゃんらしい写真だと思っています。



これも台所からの雪景色の写真です。



「爺ちゃん朝焼けがきれい。早く撮って」と声をあげているばばちゃんに「バカらしい朝焼けの写真など・・・」撮れるはずがあるか、耳の遠い私は聞こえないふりをして無視しました。そのときばばちゃんが台所の窓から撮った写真です。



私の家は婦唱夫随です。小さいことをあげれば靴下の片方に穴があけば穴のあかないほうの靴下はとっておきたいと私は思います。別のくつしたの片方に穴があいたときそろえて使えるからです。ところがばばちゃんは片方の靴下が少しでも伸びてるな気づけばさっさとゴミ箱にすてます。私が風呂場が少しいたんでいるので修理しなければといえば、ばばちゃんは「ウン」といって業者を呼んで話し合い新しいスタイルに全改造してしまいます。こうしたいんだけどとばばちゃんが言えば、私はただ「ハイ」と答えるイエスマンに過ぎません。

ほんとのことを言えば私は興味のないつまらないものは全部ばばばちゃんに任せて自分の好きなことをやっていたほうが楽なんです。必要なことは全部肝っ玉ばばちゃんがやって呉れますから、そういうばばちゃんを正直尊敬しているんですよ、時々喧嘩もしますけどそのほうが楽ですし平和ですから。

深い霧 放射冷却の寒さが身にしみる

2017-01-28 | 日記
 大寒の日の朝、ばあちゃん(家内)が「台所の窓が氷って開かない」といっているのが聞こえてきました。外に出て見ると一面の深い霧でした。気象予報では一日晴れとありましたけど午前中いっぱい霧が晴れず太陽は見えませんでした。

 午後1時頃ようやく霧が薄らいできたので散歩に出て見ました。隣の集落が消え残る薄い霧の中に寒々と見えていました。どうやら集落の中の樹には霧氷がついているようでした。厳しい寒さです。



 午後の2時近くなってようやく霧がすっきりと晴れました。空気が澄んでいたので会津嶺(あいづね)磐梯山の姿がくっきりと見えて綺麗でした。



 今日の散歩は約1時間30分、歩数6945歩でした。雪の上で私の歩幅を確かめてみたら約65cmありました。6945×0.65m=4514.25 距離に換算すると約4.5kmの散歩ということになるようです。

凍て緩む嬉しい今日の散歩道

2017-01-27 | 日記
私の幼い頃過ごした奥会津の小立岩では
厳しい冬の寒さが和らぐことを「凍て(いて)緩む」といっていました

 今年も暖冬かななどと思っていたら突然に襲ってきた寒波で激しく吹雪く日が続きましたけどここ数日は寒さが緩んで過ごし安くなりました。歩道もすっかり除雪されて歩み安くなったので、久方ぶりにちょっと遠出の散歩を楽しんできました。

町はずれの小川の流れも



国道49号線の大通りも



新館(にいだて)集落に残る旧越後街道の雪道も



リンゴの樹に消え残る小さな雪のかたまりも



集落の鎮守[八幡さま」の雪景色も



広い雪原に流れる小川の川辺にも



まだ春めいたなどとは言えませんけど「凍ての緩んだ」心休まる冬の散歩道の眺めでした。ゆっくりと2時間ちかく楽しみながらの散歩道でした。歩数は8628歩、歩幅を一歩を65cm と考えると約5.6km近く歩ったことになります。久方ぶりの楽しい散歩でした。

寒々と小さな冬の駅静か

2017-01-24 | 日記


駅の構内には、会津若松行きの上り列車を待つ6人ほどの人と、雪の奥会津川口方面行きの下り列車を待つ人一人、それにホームにお立ちの駅長さん、あっそうそうもう一人高い跨線橋の上で寒風に耐えてカメラを構えている爺いがおりました。みんなで9人それぞれ静かに立っている「あいづばん駅」の午後1時40分頃のひとときです。



午後1時44分、JR只見線の只見を代行バスで発車し川口駅からは気動車に変わった上りの列車がやってくるのが跨線橋の上から見えました。ライトをつけて警笛ならしてやって来たんです。私の古里奥会津只見からやってきた列車なんです嬉しかったです。



駅に停車した列車からは下りる人は誰もいません。6人ほどの方が車掌さんに守られて列車に乗るのが見えました。皆さん女の方のようでした。



午後1時46分、会津若松方面からの下り列車が駅に入ってくるのが見えました。ホームで列車を待っているのは下り列車にお乗りになる方お一人と駅員の方お一人の二人だけなんです。



2両編成の下り列車がホームに着くと駅がぱっと明るくなりました。たくさんの方が列車を降りてこられたんです。数えてみたら12人の人たちでした。



午後1時47分、下り列車は12人の人をおろし、川口方面にお出でのお客さん一人を乗せて奥会津只見に向かって発車していきました。 「さよなら・・」下り列車は警笛を鳴らして古里只見へ向かって発車していきました。警笛の音が私には「さよなら」と聞こえたんです。



六尺以下は大雪とは言わず 斉藤美規(宇多喜代子著俳句と歩く「冬の只見」から)
一尺=30.03cm ですから六尺は180cmです。

そんな句がふと思い浮かびました。豪雪の奥会津只見の人達はいまどんな暮らしをしているんだろう。思いが古里に飛んで懐かしくなりました。

「よりんされ」冬至かぼちゃと叔母の声 三瓶一燈  (同冬の只見から)

目をつむる私にはこんな声が聞こえてくるんです。

「しなたよくきゃったなむ・・おらえの冬至カボチャはうまいぞや~・・ええさよって食ってけやれ・・」

これって只見ことばの丁寧語なんですよ。共通語にするとこんな表現になるんでしょうか。「あなたよくお出でなさいました、嬉しいです。私の家の冬至カボチャはとってもうまくできていますよ。どうか家にお寄りなさって食べていってください」

跨線橋の上の寒風に吹かれながら私は古里の思いいっぱいにいつまでも下り列車を見送っていました。