さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

白鷺が一羽遠くの野に見えて

2019-09-29 | 日記

 

よし撮ってやろうと静かに近づいて50mほどのところから55-200 mmズームレンズで撮りました。

 

このレンズ小型軽量でズボンのうしろポケットにいれて持ち運べるんです。CANON のM専用のレンズなんですけど新しく18-150mmズームが出来たからでしょうか中古でほんとに安く手に入れることが出来ました。年金暮らしの貧乏爺い重宝しています。私の機材はボデーもレンズもほとんど中古です。過去の名機が安く手に入り満足しているんですよ。

 

 

 

 


晩秋に稲刈る人見て昔を懐かしむ

2019-09-28 | 日記

嬉しい写真が手に入りました

 

皆さんはこの写真を見ると遠い遠い昔の写真だと思われるでしょうね。私などはついこの間ことのように思えるですけども、たぶん私が明治時代に祖父たちが稲の脱穀に使っていた「千刃こき」を見るのと同じような気持ちなんだろうと思います。

 明治時代の私の祖父たちは乾燥した稲穂をこのの「千刃こき」に引きかけて脱穀していたんですけども、大正時代にこの足踏みの回転式の脱穀機が出来て使われるようになって「千刃こき」は使われなくなりました。

 

踏み式脱穀機は昭和の中後期頃に水冷式短気筒エンジンとベルトで連結された回転式の脱穀機が使われるようになるまでの長い間すべての農家で使われていました。私も使っていた懐かしい脱穀機です。このように農業の様子は年とともに変わってきたんですよね。

の女の人の稲を刈る姿は江戸時代から昭和の後期に「バインダー」という稲を刈り取って束に結束するエンジン付きの機械が出来るまでの長い間続けられてきた姿です。

余談になりまけど稲刈りが機械化されたバインダーでおこなわれた頃までは農村はたくさんの若者や子供たちで賑わっていました。でもバインダーが使われた期間は短くてすぐにコンバインや田植機やトラクターが使われるようになりリヤカーは軽トラに変わり、それがあれよあれよとゆう間に大型化効率化が進み水稲農業はもうたくさんの人手は必要なくなって熟年のご夫婦の二人が中心になっておこなわれるよになりました。それにつれて農村から若者や子供の姿が激減したのです。                                                                            

さてこの女の稲刈りの写真ですが、頭の藁で作った深笠は女の人の日焼けを防ぐ必需品でしたし。背にしょっている選った(すぐった)藁は刈り取った稲を束ねるためのものです、刈り取った稲はX型に重ねて束ね乾燥するとき竿に掛けやすくしました。

女の人の着ている着物は綿の入った「ぬのこ」です。「ぬのこ」は寒い時期に着る着物ですからこの稲刈りは寒い時期の稲刈りですね。当時は手刈りですから能率があがらず稲刈りは9月末から10月末まで続き、毎日、刈り取り、運搬、乾燥、脱穀と続く厳しい作業でした。小学校の子供を含め家族全員の厳しい共同作業でした。でも厳しい労働ですから作業の休憩時に食べる「こびる」はきな粉をつけたおにぎりや草餅でした。これはあの時代のすごいご馳走でした。苦しい労働でしたけど豊かな取り入れの喜びがが家族全員のひとりひとりにありました。

これは懐かしい思い出の写真なんですよ。なんか今とはひと味違った充実感みたいなものがあったような気がするんです。いまの人達はこれをどんなふうにお思いになるんでしょうね。お訊きしてみたいものです。

 

ラクビーのアイルランドと日本のチームの対戦に気をとられ文章を書いて読み替えさず投稿しましたので誤字や脱字やおかしな表現などもあって、ラクビー戦が終わって読み返し訂正いたしました。でもまだあるかもしれません。ごめんなさい。

 

あんなに強いアイルランドに日本のチームが勝って感動しました。嬉しかったです。


今年撮れた最後のトンボの写真

2019-09-27 | 日記

午後の斜めの光を受けて輝いていました

ミヤマアカネの♂です。 会津マッちゃんさんのご教示を頂きました。

 

お酒を愛した放浪の俳人山頭火さんの句に 有名な「すっぱだかへトンボ止まろうとするか」 がありますけどそのトンボはたぶん「このミヤマアカネだろうと思います

ゆうやけこやけのアカトンボ 負われて見たのはいつの日か 懐かしいこの歌で歌われていたトンボもたぶんこのミヤマアカネだろうと思います

昔の初秋の空にはアカトンボが群れていました。ひとさし指とおや指でV字型を作り高く手を上げるとすぐにトンボが指の先に止まり指を閉じると簡単にトンボを捕まえることができました。その頃アカトンボと呼んでいていたトンボの中には尾が赤いのや赤くないのや、羽が広いのや広くないのやなどが混じりあって群れていました。

 

それがここ10年ほどでトンボやチョウや蜂などの昆虫は激減してしまいました、このトンボの写真は草の葉の先にとまっていたのを見つけ息を止めて静かに静かに近づいて撮った私の大事なトンボの写真なんですよ。

もうチョウやトンボは簡単には撮れない時代になりました。

「トンボ釣り今日はどこまでいったやら」

私は10歳前後のの子供の頃古い座敷箒をもって産卵している雌のヤンマを捕まえそれに糸をつけて雄のヤンマを釣りました。細い堀の流れの草の陰に隠れて雄のヤンマが飛んでくるのを待つている緊張感はほんとに楽しいものでした。トンボ釣りです。今はもうトンボ釣りってどうするのか知っている人はすくないでしょうね。

惑星探査の技術は進歩して日本の小惑星探査機「はやぶさ」は小惑星「りゅうぐう」からサンプルの岩石を持ち帰ることが出来るようになりました。宇宙の知識は急速に豊かになっていくみたいですね。

でも都会近くの地上にいる今の私たちは夜空の美しい銀河や北極星や北斗七星やカシオペヤやスバルなどの星座などを見て楽しむことはできません。ようやく見える天体といえば月と宵の明星明けの明星の金星と火星くらいですもんね。侘しいです。

人類は急速に進歩しています。どこまで進歩してどこまでいくんでしょうね。そして どうなるんでしょうね。でもそれにつれて大事なものがどんどん失われてくように思えてなりません。

 

18歳くらいの女の方が「私は許しません」と演説して今世界をリードしている超エリートの集まりの方々をしーんとさせたなどというニュースもありましたね。心打たれました。