さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

忘れられた石碑に心惹かれて

2019-01-06 | 日記
散歩の途中、広い圃場を見渡せる場所に打ち捨てられたように建っている立派な石碑がありました



どなたさんが建立されたんでしょうね。
「米塚」と表記され
「この米に億余の命生かされて 梢風」
とありました
今は誰も見向きもしない場所に打ち捨てられたように建っている石碑です。

私はこの石碑の前に立って、父や祖父らに「一粒のご飯だって無駄にしては(バチ)が当たるよと厳しく教えられたのを思いだしました。私らのような90歳前後の者が寄り集まるとよく父や祖父に厳しく教えられたこの尊いモラルを思いだして懐かしく話し合うのです。

家人が亡くなると亡くなった人の枕もとの机に別鍋で焚いた白米のご飯をお椀に高く盛り上げて供えます。これを食べて冥土の旅をしっかり歩んでくださいという思いなんですね。お米っててほんとうに尊いものなんですよね。

かつてのあの太平洋戦争の末期は極度の食料不足になりました。学校の休みが終わって寄宿舎に帰るときは家の者が2升ほどの米をリュックの底に入れてくれました。1升は1.8リットルです。途中検閲にあって取上げられないよう工夫してくれたのです。

これは寄宿舎の賄いだけでは空腹に耐えれないときほんの少しの米を飯盒に入れて寮のごみ燃やし場で焚いて食べたのです。いつも仲間の友人が一人か二人いましたね。おにぎりの四分の一くらいの少量のご飯がすごく美味しいものでした。米ってすごく貴重なものでした。

私は散歩の途中の農道でたくさんの籾が捨てられているのを見ることがあります。落ちた籾を拾うより刈り取った籾を運ぶ仕事の効率を上げるのが大事なのがいまの時代です。でも高齢の私には農道に散らばる籾がすごくもったいないと思ってしまうのです。

[M0TTAINAI]これはノーベル平和賞を頂いたアフリカの女性の方が日本のこの言葉に感動して世界に弘めた言葉ですよね。

いま私たちは食べ残したものはあっさり生ゴミに捨てます。私自身もったいないなどとは思いません。売れ残った大量の食料が捨てられていると聞いています。私自身売れ残った古い食べ物など買わされたら困ると思っています。

時代は移り変わっていくんですね。でも誰かに聞いたような気がします。[一粒のご飯だって無駄にしてはいけない] と言うモラルを忘れた今の時代がやがて厳しく罰せられ時が必ずやってくると。

米塚の碑の前でのボケ老のたわごとです。

92歳の誕生日の初日が明けました

2019-01-03 | 日記
ばばちゃんと山茶花ラーメンでささやかに祝いました。



90歳の誕生日では、暦年の歳に負けてたまるかと肩怒らしていました。
91歳の誕生日では、それぞれの日々を充実して生きなければと心引き締めました。
さて、92歳の誕生日ですけど、気張らず心と体のおもむくままに静かに生きようと思っているんです。

今年の6月26日はばばちゃんの90歳の誕生日です。足の関節の痛みで自由に歩くことは出来ませんけど頭はまあまあ明晰ですし心は明るく元気です。

90歳台の老々めおとになるわけです。爺いとしてはサポートの質を高める手習いをそれとなく深めていこうと思っているんです。考えるより実践と慣れが大事のようです。

まあ、92歳をごくあたりまえのように気張らず自然に生きていこうと思っているつもりなんですよ。