さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

鮮やかな初夏の山登っていけば

2015-05-31 | 日記
 

 綺麗な野の花々が迎えてくれました

 
ヤマツツジの花です



 ヤマボウシの花です


 山法師、山で修行する修験道の人たちの白い装束にあやかってついた名なんでしょうか、深い緑の中の白が鮮やかです。秋にみのる赤い実は子どもの頃の甘い山のおやつでした。

 まだ少し早かったんですけども日光キスゲの花も見えました


 取り上げ峠からスキー場への尾根筋には小さな湿地があって日光キスゲが咲いていました。スキー場の小さな日光キスゲ群落は6月2日(火)頃が見頃だと思います。尾瀬や雄国湿原の日光キスゲは7月下旬です。坂下スキー場の低地ゼンテイカ(日光キスゲ)の開花は早いです。糸桜里の湯から5分もすればいけるきれいな群落です。

 
ウラジロヨウラクのピンクの花も綺麗でした



 
山の森の深い緑は二酸化炭素を吸収して酸素をいっぱい出してくれると聞いています



 近くにあったクロモジの枝を折って嗅ぐと胸の奥までさわやかな香りがいっぱいになります。遠くからかすかな小鳥の声もきこえてきます。ここはもう山太郎独りのための世界です。山の尾根の散策は本当に楽しいんです。それに片手に持った新しいコンデジは小さくて軽くてモニターも明るいし色も鮮やかに撮ってくれますから嬉しいです。ここに投稿した写真はみんな3万円台のデジカメで撮りました。山の散策にはもう重い一眼デジやマクロレンズなど持っていく必要のない時代になりました。マクロ撮影だってこのカメラで充分ピントもしっかりしています。







植え終わる圃場に カッコウの初鳴き遠く聞きました

2015-05-29 | 日記


 
初夏の畦に咲く花々も綺麗です

 キショウブの花を見ると私は子どもに帰って笹団子を食べたくなるんです。忙しく賑やかだった昔の田植え時の美味しいおやつでしたから。



 畦に咲くジバシリの花も綺麗です。レンズをマクロにして草に伏して夢中になってモニターを見ながら撮るんです。


 可愛い花でしょう。名前が可愛そうです「蛇の苺」っていうんです。やがてきれいな赤い苺がなりますけど誰も食べません。決して毒ではないんだソウですけども。可愛そうな畦に咲く苺の花です。



 小さい小さい花なんですけど、私は好きなんです。なんとまあ「カラスのエンドウ」といわれていばす。熟すると真っ黒なエンドウの実がなるからなんだそうです。子どものおままごと(近頃の子どもはやりませんね)にもならない小さなエンドウの実なんです。



 
半世紀ほど昔の子どもはこうしてママゴトして遊んだんです


 あまり人に見向きされない花「ハルジオン」です。北アメリカから鑑賞用として輸入された帰化植物なんだそうですけど、4月から5月頃に農道の脇や畦などにびっしりと咲いています。「貧乏草」などといわれている地方もあるとかであまり人に好かれていない花なんです。でもよく見ると綺麗なんですよ。漢字で書くと「春紫苑」優雅な名前です。花言葉は「追憶の愛」



 私は「貧乏草」なんでしょうか、山や野に咲く花が大好きで心が躍るんですけど栽培されているあでやかで美しい花々には興味がないんです。困った貧乏草の爺いだと自分でも思っているんです。

喜びも悲しみも刻み残して50年

2015-05-27 | 日記
 いつものように独り山の道を登っていると、深い杉の林の中の枯れ沢に転がっている倒木に木漏れ日がさして年輪が輝いていました。



 ゆっくりと腰を下ろして数えてみると50数年の年輪でした。50数年前と言えば昭和30年代後半に植林された杉林の倒木なんですよね。

 年輪を数えていると年輪の幅がひとつひとつ違うんです。数年続いて年輪の幅が狭い部分があったり、ゆったりと幅の広い部分があったりするんです。深い杉の森の中で独り年輪の数を数えながら、ふと50数年の過ぎた日々の思いが浮かびました。

 昭和30年代の頃でしようか、私が坂下に住み着いて間もない頃の冬だったと思います。坂下の町並みが豪雪に埋まってしまって何日も自衛隊が除雪作業をやってくれた時がありました。国道を除雪する除雪車など充分でない時代でした。私など朝夕職場に通うために深い雪の上に人の足でつけられた馬の背のような滑り安い4km近い道を歩まなければなりませんでした。一本道です誰かと出会えばどちらかが除けて道を譲らなければなりません。想い出すと坂下の人たちは決し道を争うことはしませんでした。早くを除けて道を譲った方が勝ちなんですよ。さあてどこで道を譲ろうかそこが微妙なんですけどごくごく自然にみな譲り合って通っていましたから不思議です。

 20年数年くらい前だったんでしょうか、すごい干ばつの年がありました。畑作はもちろん水田に引く水がないんですよ。農道の野草はすっかり枯れてしまいました。当時は今ほど水田の水利は完備していませんでした。小さなエンジン着きの自家用ポンプで川から水をくみ上げたり、すくない用水堀の水を公平に水田に引くために集落の人たちが総出で夜通し作業をしたり、公園の芝を助けるために消防車が出て散水したりして大変な年でした。

 私がまだ現役で働いていた時代でした。地球温暖化が問題になっている今から考えると嘘みたいなことですけど冷たい夏の年がありました。東北地方は厳しい冷害でした。近くでは標高の高い猪苗代近辺の被害は大変だったようです。国産の米が少ないのでタイ国あたりの産米、細長い米が大量に輸入されました。私なども少し食べましたけど日本人の口には合わず美味しいものではありませんでした。

 ところがあとで聞くと会津地方では冷害ではなかったんだそうです。盆地ですから冷たい風のやませは来ないので冷害にはならなかったのです。むしろ冷害で米価が高騰して会津地方の農家は潤ったんだと密かな話に聞いたことがありました。嘘かまことかわ私には分かりませんでしたけど。

 いろんなこがありますけど、思いは自分のことにも及びました。長い年月の間には喜びも悲しみ苦しみあります。でも不思議なことに苦しかったこと悲しかったことなど今はそれが懐かしく想い起こすことができるんです。90年近く生きて元気に山など歩っている山太郎の今が幸せだからなんでしょうね。杉林の中で独り年輪を数えながら思たことどもです。

 会津坂下町立東小学校運動会

2015-05-25 | 日記
子どもらの元気に輝いてる姿が嬉しくて一日夢中で楽しみました


 
美事な入場行進です


 入学してまだ1ヶ月半しかたっていない一年生の入場行進です。プラカードを持つ6年生のお姉さんについて美事な行進です。


 
全校児童の整列整然としてますね


 
開会宣言は一年生です。大きな声で「元気に競技しましょう」と宣言しました


 応援団長の美事な指揮ぶりです


 みんなでがんばろう。元気な声が会場いっぱい響きました


 子どもたちの元気に走り競技し演技する姿です













 来年入学する幼稚園児も参加しました。6年生のお兄さんに手を引かれて可愛いすがたです


 応援団のお兄さんの声に合わせて元気に応援する子どもたちです


 
大勢の保護者さんや観客の姿です


  
美事な鼓笛隊の行進です。本部前ではブラスバンドが美事な演奏をしていました


 午前9時から午後2時30分まで爺いは心躍らせたり感動したり美事な行進に涙ぐんだり、せいいっぱいに楽しんだ一日でした。

 お恥ずかしいんですけど、カメラの測光をスポットにしたまま撮り続けてしまったんです。だから写真がみんな明るすぎて色が飛んでいたり、真っ暗だったり、整理しようとして自分の惚けに絶望しました。写真の整理をやめようとも思いましたけど必死になって修正してやっとこれだけの写真にしました。だからみんな色彩が濁った絵になってしまいました。悔しいです。年はとりたくありませんね。