さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

会津野の空広々と澄み切って

2020-04-30 | 日記

散歩する爺いを嬉しく迎えてくれました

コロナウイルス感染の声の聞こえない今の私たちの町はほんとうに平和で静かでです

 

でも、明日から5月、連休が始まろうとしています、心配です。実家に帰省してコロナのことなど忘れてゆったりと過ごしたいと思う方も、また帰省してきた可愛い孫たちの姿を見たいと思われる実家の方もたくさんいらっしゃると思うのです。

でも、その人たちの中に自分ではきづかないウイルス保持者が仮にいらっしゃったとしたら小さな町です、コロナウイルスが広がって医療関係も物の流通関係も崩壊し、狂気の町になる可能性がないわけではないような気がするんです。

 奥会津の小さな町々では外部の方の来町にはしっかりとした対策とられていると聞いています。

私たちの町にとってはこの連休期間がひとつの勝負の時のように思えてなりません。軽く見ないで良識を持ってこの連休を乗り切って欲しいと思えてなりません。

 

どうか平和のうちに連休が過ぎますよう祈るばかりです


コロナウイルスなどいない私一人の散歩道

2020-04-29 | 日記

遠い日の想い出など蘇らせて静かに歩んで行きました

 

四歳の私とお隣の女の子がなにすることもなく二人で丸太に腰掛けていたのがぼんやりと思い浮かびます。爺さんにもう家に帰りなさいと言われて別れて家の帰ったような気がします。

80歳になった頃機会があっておばあさんになった女の子にそのことを話すと覚えていてくれて「幼い二人の初恋だったんかな」と笑っていました。

小学校5年になった春、クラスで一番出来る女の子に「さんたろう私一人で林の中の道を歩いて帰るの怖いから送って・・」といわれて1kmほどの田舎道を二人で歩って送ったことがありました。相手の女の子はなんの気もなかったんでしょうけど私はすごく嬉しかったんです。二人が道の両脇に別れてなに話すこともなく女の子家まで林の中の道をおくりました。家につくと女の子は家の後ろの畑からキュウリを採ってきてだまって私にくれました。鮮やかに思い起こす嬉しい想い出です。

小学校6年になると父の仕事で別な学校に転校しました。その頃早生まれで背の低かった私は一番前の席でした。あるときふとうしろの席に目をやると可愛いと思っていた女の子と目があってしまったのです。なぜかドッキリコして顔が赤くなり不思議な想いで胸がいっぱいになりました。それからは遠くからそっと見ることがあっても決してその子に近づくことはありませんでそた。

そして・・・・

そして・・・・

わたしは九十三歳の爺いになりました。恋いなどしたことはないんですか?って、それはいっぱいありますよ。でも失恋は一度もありません。なぜって全部が片思いなんですから失恋などあろうはずがありません。

そうそう私の青春時代は女の人を恋するなんて不良少年のすることと人は思い私もそう思っていたのです。女の人などただ遠くから見てあこがれることの出来る美しく輝く存在だったんですよ。


春の野に咲く花二題

2020-04-28 | 日記

野の道脇に小さいけど綺麗なハルジオン(春紫苑)の花が咲いていました


       

この花ってヒメジョオン(姫女苑)の花じゃないのかしらと言われると私は困ってしまうんです。よく似ている花で正直私には見分けがつきません。

茎を折ってみて中が空ならハルジオン、中が白いずいならヒメジョンとありましたけど、別に茎を折って中を見たわけではありません。ただ花弁が細く綺麗、春に咲いていたのでハルジオンと思っただけです。

でもハルジオンもヒメジョオンも北米からの帰化植物ですけど今は日本の野になじんで綺麗に咲いています。

 

今の野の道には黄色のタンポポが咲きみだれています。でもそのほとんどはヨーロッパ原産の帰化植物の西洋タンポポです。繁殖力の強い植物で宅地や道路などに造成された荒れ地でも好んで繁殖し花期は春だけでなく一部は晩秋まで咲き続け種をつくり繁殖します。

でもこれは日本古来のタンポポ(エゾタンポポ?)です。


 まだ造成工事などされたことのない黒土の肥えた場所などに咲き残っています。気のせいでしょか西洋タンポポに比べると優しい感じがします。

植物のことなど食べられるか食べられないか、美しいかどうかしか関心のなかった私です。ずっとずっと昔「アザミの花が好きなのに堤の道脇の草がキャタビラの大型の草刈り車で刈りとばされてアザミが消えてしまうのが悲しい」と言っていた友人にタンポポには西洋タンポポと日本古来のタンポポがあることを教えられてびっくりしました。タンポポはタンポポで一種類しかないと思っていた私でしたから。

 写真の左が日本タンポポ、右が西洋タンポポです

西洋タンポポは花の下の萼片がそりかえてめくれていますけど日本タンポポは萼片がかたまって締まっています。それで区別ができるんです。

私は日本タンポポはを駆逐する勢いの西洋タンポポが嫌いでした。でもあるとき「西洋タンポポだって来たくてきたわけじゃないのにみんなに嫌われて可愛そう、私は綺麗な春の花と思ってあげています」という小学校の女の子の話を聞いてちょっと考えさせられました。でもやっぱり西洋タンポポは好きになれません。


うららかな集落の春

2020-04-27 | 日記

初仕事なさる熟年のお二人のお姿が小さく見えてます


  播種をした田植え機用の苗箱が圃場に据えられて苗床が完成していますね。

大型の田植機を使った田植えのことなど知らぬ老体の私ですけども、田植え機用の苗床の作り方は3通りあるみたいに思います。

(1)この写真のように苗箱を田ん圃に並べてビニールで覆うって畝を作って苗床にするやり方。田植機が初めて入った頃からずーとおこなわれている苗床の作り方です。自分の家の田ん圃の田植えは自分おやりになさる方にはこのやり方多いように思います。

(2)大きなビニールハウスの中に苗箱を並べて育苗なさるかた。大型高速の田植機を使って他の家の田植えも請け負って田植えをなさる方に多いように見えます。

(3)JA(農協) で育苗された苗箱を購入して田植えをなさるかた。自分の田ん圃の田植えは大型高速の田植機で田植えをなさる方に依頼して田植えしてもらう方に多いように思います。

これは田植機をつかった田植えの現状をしらない古老の素人考えですからあまりあてにはなりません。でも今の田植えは少人数で早いスピードでおこなわれ、田植えが始まったと思うと広い圃場の田植えがすぐに終わってしまうんです。なんか味けない気がします。

古老の私の田植えの思い出といえば、稲の苗は水を張った苗代に直接に播種し、育った苗は手で引いて根をよく洗って束ね田植えに使いました。何時間も苦しい苗採りをして水から上がると脚に蛭(ひる)が2~3匹も吸い付いていて手で取り除くと赤い血が流れました。不思議なことに痛くもかゆくもなかったんです。

田植えと言えば農繁休業と称して3週間ほど小学校が休みになるのです。もう小学校の4年生にもなれば苗の運搬や代掻きの馬の鼻取りなどやって立派な労働力でした。

田植えは子供から老人まで一家をあげて仕事をしたのです。そのほか親戚や町の知り合いの方などにも手伝いを依頼して10数人で賑やかに田植えをしました。田植えが終わればみんなでご馳走を食べ白いお酒(どぶろく)飲んで祝いました。さなぶり(早苗振り)です。田植えは何日も続く苦しい作業でしたけどどこかお祭りみたいな雰囲気がありました。若い男どもは手伝いにきた早乙女の魅力的な姿に心惹かれてちらりちらり見て楽しんでもいました。もちろん遠い私の楽しい思い出のひとつでもあるんですよ。 。