屋ね塗装の二人明るい空に輝いて見えました
なんか心が明るくなりました
ふと遠い遠い昔のあの子とのことを思い出しました。
私が4歳、あの子も4歳お隣の可愛い女の子でした。なんということもないんですけどもハルジオンの咲いていていた夕暮れの枯れた丸太に二人ならんで腰か掛けていたときのことが思い浮かぶんですよ。5歳になった時の春私は父の仕事の移動でみいちゃんと別れてしまいそれ以来ずっと会ってはいないんですけども、
二人とも80歳近い爺とばばちゃんになったときふとしたことでお会いしてその頃のことを話すとちゃんと覚えていてくださって「あれって幼い二人の初恋だったのかしら?」と笑っていました。
ほんわかした二人の思い出でが懐かしいです。
植え終わった田んぼの苗も活着してもう初夏ですよね
コロナ禍のせいでしょうか近頃大気が澄んで飯豊連峰が綺麗に見える日が多くなりました、。2011年の東日本大震災のときも飯豊連峰が綺麗に見える日が続きました。理由はよく分かるんですけど「大きな災害があると」空気が澄んで遠くの山が綺麗に見えるその気持ちはあまりいいもんではありませんね。。
私の散歩道のひとつに隣の集落の下政所地区があります。その方面の楽しみのひとつに下政所の鎮守さまの白簱八幡神社があります。
拝殿はそんなに大きくはないんですが、広い圃場の中に鬱蒼と茂る欅の林に囲まれて神さびて荘厳な感じがします。
神社略記によりますと源頼義・義家朝臣がこの地に宿陣(じんがまえ)し八流の白旗をたて八幡神社を祭ったとあります。
考古民俗歴史の権威でいらしゃって多くの業績を残され瑞宝双光章を受賞なさった古川利意先生の「会津坂下町の歴史」によりますと
会津坂下町下政所は蜷川莊の政所のあったところで、重福寺のある本曲輪を幅広い堀で取り巻く中世の楯の形を備えている。政所は政庁として政治の拠点だっただけではありません、莊内の百姓が会議を開く場所でもあったし、いざとならば立てこもる場所でもあたのです。
白旗神社は莊内の者が一味同心して神水を酌み交わす儀式もあったわけです。森厳な鎮守の森の欅の大木はいわば政所の生き証人でもあるわけです。
政所の莊官が次第に民力を蓄えて土豪となっていく姿が想像できます。とありました。
私は先生の教えに感動して早速下政所を訪れました。現在の重福寺です。
そして先生のおっしゃる本曲輪はこれかなと思って摂りました
南西から摂った写真です。
北側から摂った写真です。
北側の堀跡と覆われる場所は埋もれて深い草に覆われていました。
中央の屋根が重福寺です
不勉強な私も先生の教えのおかげでこんなすばらしい遺跡がこんな近くにあることろを知って感動してしまいました。
楽しんでよい勉強になりました。