さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

ポンプ小屋跡の桜の遠く会津嶺(あいづね)が

2019-03-28 | 日記
明るく見えて春ですね



いつの頃からかこの桜の木を私は「ポンプ小屋跡の桜」と呼んで心の支えにしているんですよ。


喜びの心嬉しい日にも

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失意の心で落ち込んでいる日にも



この散歩道のここを通る時はそれぞれの思いで私はこの木に祈るのです。

遠い昔この川の流れはもっと水量が豊かに流れており川幅もずっと広かったのです。



その頃この場所には木材で組まれた小さなダムがありました。そして対岸の堤の上にはポンプ小屋があってダムの水を吸い上げ堤の向こうの広い圃場の用水堀に流していました。そしてそのポンプ小屋の脇には一本の桜が植えられており春の花秋の紅葉で人々の目を楽しませておりました。

私の思い出のひとつにその桜の木とポンプ小屋を写真に撮って大きな写真に引き延ばして展覧会に出展し特賞になったのを見てその美しさに感動したことがあります。その頃の私も写真を撮るのが好きで私もまねをして同じ場所から何カットも撮りましたけどどれもこれも特選の写真の足元にも及ばないつまらないカットばかりで悔しい思いをしてました。

その頃私の愛機はオリンパスペンという小型のカメラでした。当時の私はいい写真が撮れないのはそのカメラのせいだと僻んでいましたけど、今の私にはそれはカメラのせいではなくて取り方が下手のせいだということがよく分かります。でもなんとかいい写真を撮ろうと撮りまくっていましたから当時のポンプ小屋と脇の桜のことを懐かしく思いだすんですよ。

もうひとつの思い出はその小さなダムの上に角材を二本渡して作られた一本橋のことなんです。私は神経が細くて高所恐怖症なんです。一本橋が高い訳ではありませんけどひどく危険に感じて怖くなってしまうんです。でもここしか渡る場所はありませんから注意しながらいつもこの橋を渡っていました。ですけど困ったことにいつも一緒に散歩していた愛犬は怖がってどんなに呼んでも叱っても私の顔を見るばかりで決して渡ろうとはしません。ほかのわんちゃんは平気で渡るのにヤムを得ませんいつも抱きあげて渡っていました。飼い主に似てあまったれの愛犬でした。



ともあれこの場所の小さな簡易ダムとポンプ小屋とその脇の桜と甘ったれの愛犬は懐かしい思い出の場所なんですよ。

でもやがてその場所に大きな変化が起きたのです。対岸の堤の向こうの広い圃場の大掛かりの基盤整備が何年もかけて行われたのです。狭い区画の水田は大型の耕作機械が入る大区画の水田になり、細い流れの入り組んだ用水堀はコンクリートのU字型の用水堀になり上流の大きなダムから豊かな用水が流れてくるようになりました。

何年かして基盤整理が終わり区画された広い農道を私たちも散歩することが出来るようになりました。大型のU字溝には綺麗な澄んだ水が流れていました。かつて馬が耕していた小さな区画の水田は消えて1ヘクタールちかい広い水田を大型のブルドーザーが耕し大型の田植え機で早いスピードで田植えがなされ大型のコンバインで刈り取り脱穀がなされ広い農道には軽トラを運転する農家の奥様方の姿が見えました。もうたくさんのお百姓さんが泥田の中ではいつくばって一日中働く農業ではなくなりました。仕事は大型農耕機械を一人のご主人が運転し奥様が軽トラでサポートして出来るようになりました。農村は大きく変わってきました。農村に人は大勢いらなくなったんです。

この話はもうやめましょう。92歳のボケ爺いの考えることではありません。でも92歳のボケ爺にそれなりの感懐もあるんですよ。それを述べてみることにします。

もう農業用水をポンプアップする必要はなくなりました。基盤整備が終わってみるとポンプ小屋は当然撤去されていました。そして驚いたことにポンプ小屋脇にあった桜の木が工事の邪魔になったんでしょうね切り倒されて切り株だけになっていました。その頃私はまだ60歳台の若者でしたからそのことにそれほどの感懐があるわけではありません、あら、ちょっと寂しくなったな、あれ切り株に2本ひこばえが出来て大きくなっているなと思っただけなんです。

それが70歳台、80歳台になると大きな感動を覚えるようになりました。その2本のひこばえがすごいスピードで伸びてりっぱな桜の木になっていることに気づいたんです。
今年3月のポンプ小屋跡の桜です。あのちいさかった幹に生えたひこばえがこんな大きな木になってなっているんです。


これは今の桜の幹なんです。生きた幹に囲まれて朽ちた木の部分が元の桜の切り株なんです。二本のひこばえの生きた幹に囲まれている尊い姿なんです。



ポンプ小屋跡の桜はいつも私の祈りの心を受け止めよりそってくれる私の尊い神様の木なんですよはい。

一気に乱暴に書き殴りました。乱文の上誤字脱字も多いとおもいます。ご容赦くださるようお願いいたします。




水温む川辺に緑も萌えて春になりました

2019-03-25 | 日記


老いの心嬉しくて遠い日の思いがよみがえりました
堤の土手の緑の若草は「ヤブカンゾウ」の若芽です



私の古里の只見では「ハッカケショウブ」と言っていました。今はもう学校教育やテレビに影響されて「ハッカケショウブ」などと言う人は少なくなっていると思いますけども。

「六尺以下を大雪とは言わず」 古里只見の斉藤美紀さんの句です

六尺といえば約2mです。私の幼い頃の只見は12月に根雪になって4月半ばまで深い雪に閉ざされるんです。今は只見を通る沼田街道は国道252号線になって大型除雪車による除雪体制が出来ていますから大雪でも車の通行が途絶えることはありませんけれど、昔は雪の上にかんじきをつけてあるってつけられた細い一本道を徒歩であるかなけれなりませんでした。ですからJRの駅のあるところまでは途中一泊して標高1200mの駒止峠を徒歩で越えてやっと行き着けるのでした。当然冬季の5ヶ月は物流はほとんど途絶えるのです。冬季一番困るのは野菜と魚類や肉の淡泊質です。

昔のの只見では11月になるとどこの家でも「秋上げ」と言ってたくさんの野菜を雪の下に囲ったり漬け物にして保存し、乾燥ニシンや塩鱒や乾燥鱈を大量に買い込んでいました。

でも4月の半ば頃になると新鮮な野菜は不足してしまい体はビタミンCの不足に苦しみます。ですから雪の消え間の土手などで萌えでる「あさずき」やこの「やぶかんぞう」の若芽はとても新鮮で貴重な野菜になるのでした

あの頃は「あさずき」は「ヒル」、「やぶかんぞう」は「ハッカケショウブ」と呼んで子供たちの大事な仕事の摘み草でした。

今はもう「やぶかんぞう」の若芽など摘む人など見たことはありません。でも私も家内のばばちゃんも古里は只見です。散歩に出かける私にばばちゃんは「はっかけしょうぶ」採ってきてといいます。おひたしにすると野草特有の苦みとか強い香りとかはなくてすなおな甘みのあるおいしいおひたしなんですよ。二人して古里をなつかしんでたべるんです。老いの懐かしみなんですよ「はっかけしょうぶ」は・・・  

あんれま、朝起きて見てびっくりこ

2019-03-24 | 日記
午前6時寝室の窓を開けると思いもかけない雪景色です




まだ3月、でももう下旬の24日どうしたんだろう!と驚いて長靴はいてコンデジ持ってとび出しました
庭のサツキは雪囲いをとったばかりなのに雪に埋もれてしまってこんなです。 


昨日摘んでおいしく食べた新鮮な緑の野菜もしっかり雪に埋もれていました。



でも春ですね。午前9時にはすっかり雪が止んで青空も見えて明るくなっていました。 



気温のどんどん上がって行くと思います。久しぶりの午後の野の道の散歩が楽しみになりました.