伝統文化★資料室

東京成徳大学・日本伝統文化学科の学生と教員が「伝統文化資料室」から、情報発信します!

鈴本演芸場5月下席レポート

2013-05-29 09:59:32 | フィールドワーク

5月25日昼席鑑賞、全員が寄席初体験です。

「太神楽」翁家勝丸

翁家勝丸さんの花籠鞠は、鞠が籠の中をまるで意思を持って動いているかのようなすばらしいものだった。しかも、ただ単にすごい芸を見せて観客を魅了するというだけでなく、時には失敗し、時にはあっと思うような仕掛けで観客の笑いを誘っており、非常に見ていて楽しいものだった。また、傘回しの時には、準備ができてないうちにボールを投げられてしまい、会場がどっと沸きあがるといった場面もあり、こういった観客との掛け合いがあるところも寄席ならではのものなんだろうなと思った。(大塚)

「誘拐家族」春風亭百栄

落語家の人たちは、世間話のような段階から、ネタにもっていくのが、滑らかで上手であった。百栄さんも、「落語には様々な登場人物名がいますが、悪役というのは滑稽さを兼ね備えていることが多いですね、例えば…」   というような形でネタの部分に入っていった。また、歌舞伎などは昔の話しを題として演じられるが、落語は、最近の生活様式の中からネタが生まれているので、非常に親しみやすく、内容にも入りやすかった。   公演に行く前のイメージでは、昔、江戸時代あたりの話しをおもしろおかしくするものだと思っていた。 百栄さんの話しも、誘拐犯が電話をしてくるという、現代においての話であった。最初は悪であった誘拐犯が、徐々に友人のようになっていく推移が、見ているものに安堵感を与える。そこに犯人の滑稽なキャラクターが乗っかり、入りすくいつの間にか笑っている、そんな作品であった(前田)。

「強情灸」橘家圓太郎

今回は寄席ということで初めての経験であり、非常に貴重な体験となった。出演者の中から一人選んでということなので橘家圓太郎氏の噺を構えて聞くことにしたが、まず客との世間話でもするように導入し、違和感なく噺本編にへと入り、意地っ張りな江戸っ子のコミカルな掛け合いが始まる。お灸の熱さがどうのこうのという内容で、熱い灸を耐えた江戸っ子がもう一人を小馬鹿にしつつ自慢をする。それが面白くないので自慢された方は負けじと腕に巨大な灸を据える……と噺が進んでいくが、感心したのは登場人物の演じ分けとその演技、気の強い江戸っ子がまくし立てる様子の迫力だ。落語というものが面白く感じる一因の一つがこの高い演技力であると言えるだろう。落語の世界というのは他の伝統文化の例に漏れず、非常に厳しい世界だという。その厳しさに身を置いているからこそ噺家というものが成立しうると思うと脱帽物だ。出演者の中にはまだ若い人もいるように見えた。是非これからも寄席を面白くしていけるようにして欲しい(幸島)。

「ものまね」 江戸家小猫

まず、祖父の代から動物のものまね芸をやっているとあり、動物への観察眼が一味違うと思った。色々な動物園を巡った結果、よく知られていない動物のものまねも会得していた。ただ鳴き声を真似するのではなく、クスッとくるような鳴き声の出し方と話があった。熊の鳴き声はベアーとクマーで表せるなどだ。鳴き声だけでわかる動物、そうでない動物を混ぜて客を楽しませており、恥を捨てることがポイントだと言っていた。人間以外のものを真似するのだから必要なのだろうが、なかなかできることではない。また鶯の声を出すのに豆ができるまで指を噛む、という話も流石の一言だった(関根)。

「おばさん自衛官」三遊亭白鳥

三遊亭白鳥は独特の雰囲気を持つ落語家であった。
まず登場からして普通ではなく、落語家にしては服装が面白かった。生地は青く、肩から腕にかけてジャージの様なラインが入っており、胸と背中には名前の通り白鳥のマークをあしらい、袖も白鳥の翼の様に作られたインパクト重視の物であった。
枕では簡易な自己紹介と自分の真打になる前となった後の地元からの待遇の違いや母親の話などを面白く話していた。
噺本編は古典落語では無く、オリジナルのものであり、内容は厄介なオバサンを自衛隊に活用したらどうなるか、と言ったものであった。
これが見事に厄介なオバサンの習性をわかりやすく表現していて、時折クスリとさせられた。
この噺は動きなどによる表現が多く使われていた。そのオバサンの独特な動きの表現は大袈裟ながらも的を射ている様に感じられ、たいへん面白かった。
三遊亭白鳥の所属している落語協会所属のサイトを調べると、自己PRの欄に「白鳥落語は自分オリジナルの創作落語なので、私以外何人も出来ないのだ。」と書かれていた。
これ等の事から三遊亭白鳥は創作落語を得意としている事がわかった。
その独特の出で立ちから第一印象は色物なのかという疑念であったが、しかし真打であるだけあってうまいと思わせてくるところが随所にあった。
その結果あの奇抜な服装も、噺が面白ければ良い方向へ強い印象を与えることがことが出来るのだと感じさせられた(安田)。

「代書屋」柳家権太楼

最初に歳月が過ぎるのは早いという話でマッカーサーがこの間きたや、バレンタインデーについてチョコレートは駐留軍にもらったなど戦後の昭和を思わせるネタを混ぜた小話などがあった。
本題のネタは履歴書制作で依頼人が職員の質問対して的外れ答えを言ったりして、それに対して職員が訂正やツッコミを入れたりするものだった。
特に面白いと思ったのは依頼人の名前が湯川秀樹でノーベル賞ではなく天皇賞をとったという昭和のネタをいれてきたものだっだ。
歌舞伎などよりも気楽で見に行きやすいと思った(水落)。

「紙切り」林家正楽

紙切り、という演目があった。観客がリクエストしたものを紙を切って表現するものであった。体を揺らしながら紙を切る手は止めることなく、かつ見ている私たちが飽きないように話で笑わせてくれた。また、作られた作品は素晴らしいの一言であった。演目の開始と共に作られた相合い傘には和服を着た男女が傘を指していた。観客がリクエストしたものは、三社祭、スカイツリー、梅にウグイス、富士登山とどれも簡単には作れるものではない。だが、正楽さんの作品は今にも動きそうな雰囲気だった。観客がリクエストするということは、その場でデザインやどう切るかを考えて素早くやらなければならないということだ。それを行える正楽さんはまさに玄人ということができるだろう(白石)。

「道灌」橘家文左衛門

落語「道灌」は江戸発祥の落語で、前座噺の典型である。主なあらすじは次の通り。

(隠居のところへ遊びにやってきた八五郎が、張り混ぜの屏風などの絵を見ながら色々なことを教わった。そのなかに若い少女がお盆の上に山吹の枝をのせている絵があった。この絵の、「太田道灌が狩りの途中で村雨に遭い、雨具を借りようと立ち寄ったあばら家で、若い少女がお盆の上に山吹の枝をのせ「お恥ずかしゅうございます」と言って差し出してきた。これに内包された和歌の真意に気づけなかった道灌は歌道に暗い自らを恥じた」という逸話を聞いた八五郎が、傘を借りに頻繁に来る友人をその和歌を詠んで追い払おうと考えるが.....。)

橘家文左衛門は東京都江戸川区出身の落語家である。今回の寄席ではいささか不良めいた風貌と態度が印象的であったが、その芸風はTV番組において多分に発揮されているようだ。長寿番組として知られる「笑点」の兄弟番組、「BS笑点」でレギュラー出演している彼は自称「楽屋の模範囚」と名乗り、番組中には共演者の落語家をたわむれに突き飛ばすなど、その乱暴で豪快な芸風は広く知られたものらしい。

文左衛門のいささか豪快で軽妙な芸風は八五郎の隠居を茶化す芝居によくマッチしていると感じた。
咄家の芸風というものに目を向けて寄席を楽しむことに興味深さを感じることが出来た(三須)。

「漫才」ホームラン

 生で落語や漫才を観るのは初めてだったので、とても新鮮だった。私は、漫才についてのまとめを担当した。漫才は、ホームランさんという二人組の男の方のコンビのネタを観た。ホームランさんは、1982年結成のコンビである(落語協会より)。漫才は、ただコンビだけがネタをするだけではなくお客さんとも絡みながらネタを繰り広げていた。その甲斐もあって、演芸場が一体となって盛り上がり笑い声が響いていた。CMをネタにしていたので、自分自身が知っているものもありとても分かりやすく楽しく観る事が出来た。ネタを考えてそれを披露しながらお客さんとの絡みを入れたりと、臨機応変に対応する所は経験の積み重ねだと思った。とても楽しかったので、また機会があれば演芸場に訪れたいと思う(野口)。


「家見舞」春風亭一朝


三味線の音とともに人が出てきて、一礼すると音楽がぴたりとやんだ。そこから一朝さんの話は始まった。一朝さんはハキハキとしたしゃべり方でとても聴きやすい声だった。また、観客の顔をじっくりと見ながら話をしていた。これは、観客がどんな話題に反応しているのかを見ながら次に何を話すのかを考えているのだろうと思った。
一朝さんは最初、自分の師匠の話をしていた。86歳という高齢でありながら元気な師匠の面白くてどこか愛嬌のある人柄がよくわかる内容だった。その後にお金がない江戸っ子二人の話が始まった。
顔の向きを変えて違う人が話しているという風に見せたり、箸を使っているという場面で扇子を使ったり話以外にもたくさんの工夫を見ることができた(鈴木)。

「金明竹」桃月庵白酒

なんといっても、スラスラ出てくる早口が印象的な噺家であった。長い台詞を三回では終わらず四回も繰り返し、その際全く噛んでいない。すごく口が回るなぁと関心した。できればもっとたくさん聞いてみたいぐらいになめらかな滑舌で羨ましい。古典落語の演目の「金明竹」を大筋は変えず、今風に合わせてアレンジされてあるところに工夫を感じた。また、早口すぎて何を言っているのか分からないため、正確に伝言できず可笑しな文を作り上げていくところはとても面白かった。笑い終わる前にどんどんネタを被せていくので、ひーひー腹を抱えて笑ったものだ(鐘)。

「粋曲」 柳家小菊

鈴本演芸場では、普段あまり見ない落語や漫才の他、初めて見聞きしたものがたくさんあり新鮮だった。曲芸や紙切りの手先の器用さはもっと近くで見てみたい。鈴本で初めて「粋曲」というものを知った。柳家小菊さんが軽快な曲を弾きながら、かえる・へび・なめくじの三竦みなどを唄っていた。三味線の音も引き締まった音をしており、私もあのような綺麗な音を出せるようにしたいと思った。演者が変わる際の間の音楽も白鳥さんにあわせ白鳥の湖とアレンジを加えていて楽しませる工夫がされていた。「粋曲」はもっと色々聞いてみたい(大堀)

「悋気の独楽」林家正蔵

 テレビのバラエティーのイメージが強い方だったが、急な代役にも関わらず見事に噺をされていた。
 まず噺に入る前の掴みの部分、芸能界での出来事や自分の家族の話題、歌舞伎や歌舞伎観劇での体験談など、客が馴染みやすく、また興味のある話題を上手く散りばめているという印象を持った。この掴みを噺の中心と錯覚するほどであった。
 噺は古典の「悋気の独楽」子供、若い女、主人、その妻と演じる役柄も多かったが演じ分けが見事になされていた。また、饅頭を食べる場面や、扉を叩く、独楽を回すなどの動作があたかもその行動をしているようであった。
 加えて、古典でありながら自分の名前や自分に関連のある事柄を散りばめるというところがあった。これは、前半に出てきた若い噺家さん には見られなかった事である。ただ、話をプロットに嵌めて演じるのではなくところどころ自分のアレンジを入れて話されているところにキャリアの片鱗を感じた(長谷川)


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