桜が咲く頃までには

家族と歩む、ちょっと病気の主婦の日記です

押しつぶされそうになる心

2018-04-30 15:03:03 | 日記
痛みと向き合い、自分の無力さに頭を抱える時、時と場合で異なりますが2つの感情が去来します。

1つは怒り。
もう1つは悔しさ。

怒りは苛立ちに近い。
なぜ私なのか、どうしてこの痛みに向き合い立ち向かわなければならないのか、私にはやるべきことがある、人様のお役に立ちたい、娘を思う存分抱っこしたい。

なぜ私なのか。
なぜ全てを捨て、今ここに横たわり、頭を抱えなければならないのか。
いっそ殺してくれと、本気で思うのです。

そちらは、まあよしというか、痛みがおさまれば終わる感情でもあり、湧き上がるこの想いを押さえつけることも到底できることではありません。
仕方がない部分でもあるのです。


しかし、悔しさはもう。。
痛くない時もずっとある。

痛みが和らいだ時、自分に何かできる体を持ち合わせた時、ようやくきた喜びよりも先に悔しくなることがあるのです。
そして、ごまんとあるやりたいこと、やるべきことから何を選ぶか苦慮しているうちに、また私を人たらしめない瞬間に突入することもしばしば。

元気だとしてもね、そんなにできないと思うのに。
悔しさに包まれて、涙が止まらない時があります。


そんな感情と過ごしていたある日、大河ドラマの西郷どんのオープニングを聞こえてきました。
主人がなんかテレビいじってたのかな。

なんですかね、とめどなく涙も鼻水も流れて。
鼻を盛大にかんだあとに
ああ、自分のできることをやろう。そう思えたのです。

結局しょっちゅう悔し涙を流すけれど、そんな時はこの曲を思い出す。

失うものがなくなった人間の強さは、そう、強いんだと。
私には私の、こうなってしまった私の強さがあるはずです。
実際に時々、自分で見怖いくらいに第六感みたいなものが働く時がある。

それは人様の役に立ちたいと強く強く願う時。

戦争と平和というドラマを見た時も、夏目漱石の妻を見た時も、直虎を見た時も思いました。
うん、自分のなすべきことをするんだと。
今回もまたそうですね。感情のベクトルはそれぞれ異なりますが。


今日も泣きながら、みんなと一緒に、同じように働きたいと泣きながら。
泣きながら、自分のすべき仕事に向き合っています。
みんなの支えになりますように。

心は押しつぶされています。
それでいいのです。泣きながらがんばれるなら。
泣きながら仕事する人なんていないでしょ?笑
魂が入ってるんですよ、私の仕事。

それこそが、私の強さなのだと、最近は思って自信を取り戻しつつあります。

自分と向き合うということ、病を利用するということ

2018-04-28 12:00:55 | 日記
私は今現在、ほとんどテレビを見ません。
理由は明確にはわかりませんが、というか複合的でして、嫌いというのもあるかもしれませんし、時間の無駄に感じておるかもしれません。

それでも、絶対に見ているテレビが2つあります。
挫折しない限り、という条件はつきますが 笑

1つは内村さまーず
もう1つは大河ドラマ


娘にも強制ではないけれど、結果的に見させているので、街中の看板とかで
「あ!おおたけさんだー、ね、ママ」
と大きな声で言われると、ちょっと恥ずかしい気持ちになったりする自分がいます。

なんでだろ。

自分が好きなものを公然と発表されると、いやいやいやいやとか思うのかな。笑


で、本題は大河ドラマのほう。

正直挫折しちゃうこともあるけれど、一応毎年見るって決めていて。
今年は娘にも強制的に見させています。
直虎は見させたかったけど、時間的に寝ちゃう感じでして。
時々見てました。

西郷どんは、毎週。もう起きてられるので、その日は9時就寝にして。
オープニングの鬼のお面で怖いー!と泣かれたけれど、抱っこして平気だよーとか言って。
脱落することなく、4歳児、大河ドラマを楽しんでいます。


先週はなぜ年長の文字がなくなるのかについて、30分くらい議論しました。
いいなおすけは悪い人なのか優しい人なのか、そんな話もしました。
西郷どんは、ご飯をお腹いっぱい食べるために頑張っていることも伝えました。
とんでもない食育の効果が出ました。

主人とは、なぜ井伊直弼が赤い鬼のお面を持っていたのかを説明したところ、ほおー!となったり、まあ、要するに、私は歴史も好きなんですね。

でもとにかく人が好き。
偉人が好きという訳でもない。

その時代に誰が何を考え、どういう歯車で時代が動いたのか。

おこがましいですが、最後には私はこういう時に何ができるかを、何を思うか考えます。
そして、自分の無力さを知る。
行動力のなさを知り、発想力の乏しさと向き合う。

こうして、なぜか明日からまた頑張らなければならないと思うのです。


私は何ができるのだろう。
何をすべきなのだろう。
生きている限り。誰かの支えになれたら。
その一心で、また今日も自分と向き合います。

病気にまけてられるか!
負けてたまるものか!
病気を利用して、私をまた違う世界に導くのです!
昔の、プライドばかり高いちっぽけな私はもういませんからねー。

そんな風にして、大河ドラマを毎週楽しみにしています。

おかしいな?と思うイライラと痛み

2018-04-27 04:37:34 | 病気
最近また痛いです。

ん?痛くなくなったことがあるみたいな言い方ですな?

そうなんですよー。
痛み止めとか、なんかいろいろ変えたり、注射とか点滴とか、試してみたので痛くないなあと実感できる時間が時々訪れるのです。

なんでいろいろ試せたかは、ちょっと脇に置いておきまして。


それでね、気づいたことがあるんです。

なんだこのお腹の底から湧き上がるような
もしくは上っ面を駆け抜けるような
いずれにしてもとめどないイライラとした感情は。

自分で感じるんですよ、なんかイライラしすぎじゃないの?とね。
おかしいな、おかしいよ、と。
でも止まらない。


それこそが痛みを強く感じている証拠であることに気づいたんです。
ようやく。
最近。


痛みは慣れてしまうと、自覚できなくなるんです。
これは本人も全くわからない。

加えて、なんか肩凝ってるなあとか思ってたら、全然見当違いとしか感じられない二の腕とか触られて

ぎゃー!!!!

となったりして、え?私の痛みの源はこちらでございましたか?といった人体の不思議を感じることもあります。
いわゆる関連痛とか、そんなことも山ほど起こるのです。

眠れない原因も
なんだか妙に高ぶる、長引くイライラも
痛みが原因だと思うと取り除いてあげることに俄然価値が出て来ます。

それが1番難しいんですけれども。



もし、周囲の方にこんなことがあったら

ん?痛いとかかゆいとかあるかなあ?

なんて立ち止まって指摘してあげてください。
もちろん全然関係ないかもしれませんけれども、もしそうだとしたら、ご本人はどれほど助かり、また周囲の方も助かると思います。
だって、痛くてイライラしてると思えばかわいそうだと思うけれど、ただイライラしてるんだと感じると、その攻撃対象が自分だったりすればそれはそれはつらいと思うのです。

痛みは、自覚できなくなる。
じゃあ何のために痛むのよと、痛むから体を大事にするとか痛覚がある理由を否定する出来事が人体には起こるんですね。。

んー、なんで自覚できなくなるのかを考えてみるのも楽しいかもしれません。

とにかく、こんなことがあるよって知ってもらえたら嬉しいです。
きっと、いつか人生のどこかでお役に立つ知識だと思います。

恐れずに

2018-04-05 03:20:35 | 日記
西郷どんのスペシャルで、渡辺謙さんが、鈴木さんにかけた言葉として紹介されていました。

恐れずに、迷わずに

飛び抜けて珍しい言葉でも無く、むしろありきたりというか、普通なことかもしれません。

でも私にもとても響きました。


何か物事を進める上では、迷い、恐れるのは当然です。
後悔するのも、また必至。

でもね、それをしないようにと言うのです。
それはすごくすごく難しいこと。

一方でとてもシンプルなことかもしれません。

目的があれば、恐れも迷いも薄らぎます。
そして物事が楽しくなる気がしました。


時々、こうやってすーっと入ってくる言葉があります。
その世界の一線で活躍する方の言うことは違うなあ。

私も。迷わずに。
前に進むのみです。

またやってしまった

2018-04-03 04:17:48 | 病気
私はどうも、軽い病状と見られがちです。

なんでなんでしょうか、わかりません。


ヘルパーさんは、生活に入ってきてくださるせいかわかってくれます。
なんでなんでしょう、これはこれですごい能力だと思います。


ドクターもナースも
医療では第一線のイメージですが

目の前の検査データとかの方が大事で、
患者は二の次なんですかねえ。


そんなものかなあと、最近はある程度割り切れますが、一抹の虚しさを感じることはやめられません。
そして、私の状況、もう少しでも改善できたらなあと願うばかりです。