桜が咲く頃までには

家族と歩む、ちょっと病気の主婦の日記です

感染症対策おばけ

2020-02-28 04:50:00 | 日記
世の中大変なことになってますが、まともに感染症対策について考え、向き合い、闘い続けてきた私。

免疫をギリギリまで落として、結果的に自分を実験台にしてやってきた数年間。
どれほど神経質と言われてもやるだけやってきて、我が家では当たり前のことも、よそ様にとっては異常。神経質。あり得ないこだわり。

でも、こんな事態だから、私の実践している感染症対策のうち、確実に有効なものを書きたいと思います。


私のオススメの感染症対策は
①手洗い
 ハンカチは複数枚持参し、数時間置きに変える
 手が荒れるとそこに菌が繁殖しかねないので、こまめにハンドクリームを塗る

 自宅で使うタオルのうち、手洗い後のタオルは毎日1回、極力2回はかえる。個人タオルにするよりも、こまめな変更の方が効果的。

②細かく水分を補給する
(喉のばい菌を押し流します)
③クレベリン
(首から下げるタイプのものを常につけています)
④洗えるものはすべて、頻繁に洗濯する
(コートやカバンなども)
 (つまりウォッシャブルのものしか買わないくらいの生活。)
⑤食器は消毒
(熱湯消毒になるので、食洗機が大変に有効)
⑥家族間で食べたものを共有しない
(子どもの食べ残しなどはそのまま残す。なので、食べられなさそうなものは最初に取り分ける。取り箸を利用する。外食時、1皿借りるなどして食べられなさそうなものなどを全員取り分けてから食べ始める)
(アイスやお菓子なども、美味しいから食べてごらん!はひと口食べた以上、ダメ)
⑦寝る部屋の加湿
⑧電車や劇場、病院の待合室などの長時間の密閉人混み空間は極力避ける
⑨ビタミンB群サプリとビオフェルミンを日常的に飲用する
⑩できれば帰宅直後に入浴
(外でついた菌を落とすことが目的。髪の毛はもちろん毎日洗い、着ているものはほぼすべて洗濯。洗えないコートやジャケットは、クローゼットを分けて収納し、クレベリンなどをかけています)

で、かなり感染症は防げるようになりました。
何かご参考になれば。。

お気づきの方がいらっしゃるかもしれませんが、実はマスクは意味がない。
なぜなら、マスクについた菌を触り、その手で何か食べたりしてしまえば終わりなのです。

マスクは⑧の時だけ利用し、即座に捨てています。至近距離でのくしゃみや咳から守るつもり、、でもほとんど効果なし。ダメですね。
下手にマスクしてるから大丈夫でしょうとか思う方が危ないかも。朝から晩まで使い捨て1枚のみを利用するのは逆に危険度アップです。
ガーゼタイプのものにクレベリンでも吹きかけながら利用する方が良いかと思います。

結局、1にも2にも手洗いです。
うがいも別になくて大丈夫。
でも鼻うがいは朝晩行っています。これはおすすめ。


それでも、人混みはダメ。
買い物なら意外と平気なので、人が移動しない人混みがダメと私は考えています。
それから、具合が悪くなってステロイドの量が増えれば、保菌しているものが発症しちゃいます。なので、体調管理はとても大事。
家族の誰もどーにもなってないのに、私だけ理由もなく風邪を引くことがあるので。

他に細かなはなしをすれば、まだまだあります。
神経質かもしれませんが、慣れればこんなもんで風邪ひかないで済むならって感じです。結構大したことない対策だと思いませんか?
でもなかなか理解されませんし、変な人扱いされることもしばしば。


こんなおばけからのお願いは、うつしてもいいやとかは論外だけど、仕事への責任感とかでも、感染症をもってる方に出かけないで欲しい、ということです。
防ぐのはかなり難しい作業なので。


最後に。
かかる時はかかります。
病は気から、と言う通り、悩んだり不安に思ってると発症しやすいです。
なので、冷静に穏やかに楽しい毎日を送ることこそ、大事だなと思いながら過ごしています。
笑うことが何より大事!
あ!やっぱり手洗いか!!笑

以上。
感染症対策おばけのレポートでした!^ ^

無茶しちまったい!

2020-02-26 02:55:00 | 病気
病気が治らない以上、うまく付き合って生きていくしかありません。

人一倍時間も労力もかかるけど、生きていくと決めたからには仕方ないのです。

しかし、やっぱり健常な時と違って、無理はしないとね。
無理しないで生活はまわらない。
無理しないで生きてはいけない。

一方で、無茶はあかん。

と言いながら、
健康で元気だった時の「大変かな?」くらいが無茶に相当してしまう。
だから、こちらとしては軽い運動くらいでも無理をしていることになり、ちょっと明日にこたえるかな?という運動は無茶になる、といった塩梅。

元々は元気なとき健康優良児だったから、底無しの体力を誇っていた時期もあるし 笑

今の自分が歯痒くて仕方ない。
動くと痛くて痛くて。
先日、我慢してたらダメになって、家族が大慌てで救急車呼びました。

主治医に診察してもらったら、そりゃダメだ、救急車呼ばないとと。
あなた普通の体じゃないんだからね、と。

自分の力量の少なさと、振り切れた時の迷惑かける感じに、無力さとせつなさとやるせなさを感じています。
(篠原涼子の歌的な文章だな!こりゃ。)

そして何より、これを私が受け入れたとしても、周囲はわからない。
理解してほしいとは思わない。でも、こんなにもポンコツな動物なんだということは普段の私からはわからないと思う。

がんばればがんばるほど
笑えば笑うほど
私は倒れる方へ と導かれる。

これが1番もどかしい。。

みっともなくて、息ができない

2020-02-22 04:15:00 | 子ども
娘に過剰歯が見つかり、先日抜歯の手術を受けました。

過剰歯とは、大人の歯が余計にあることを意味します。
ゆえに、どこにあるかと言われると歯茎の中にとどまっていて、毎日の歯磨きではわからない、生えてきていると認識できないことも珍しくはないようです。

私の娘は定期検診の折、たまたまレントゲンを撮影することになり、見つかりました。虫歯もなかったので、よくまあレントゲンを撮っていただいたなと。
外に全く露出していないので、運良く発見していただけた感じです。

その手術について、娘は大層心配だったようで、抜歯が必要であると知ったときは受付の椅子でホロホロと泣いていました。
術式や、時間、手順、痛みの度合いなど、かなり不安を抱えていた様子でした。

抜歯からの抜糸に至るまでの期間も含めて、とにかく娘の不安に寄り添うようにしました。
普段なら、ちょっと待っててと言いたい時も、ん?それは痛いよ、とか、麻酔は最初が痛いよとか、治るまでに1週間かなとか、術式について知ってることを話したり。
6歳児。認識の仕方が独特な時があり、それは気をつけなければならないけれど、嘘は絶対通用しない。秘密にしても、見抜く。
空気を読む力は、実は抜群。

こちらもそれ相応の覚悟で向き合い続けた期間でした。

外来での小手術。
娘は立派でした。
何回か、麻酔はこれで終わりか?痛いのはいつか?あとどのくらいかかるか?など折を見て質問があったものの、泣くも喚くもせず、一生懸命に口を開けていました。

我が子がこんなことをできるようになったのかと感動しつつも、その状況は感動とかしてる場合ではないくらい娘の体に酷なものに見えました。私も背筋が伸びました。子どもに支えてもらいながら、全く動じていない風を装った母親として娘から離れないでいられたのかもしれません。

そんな立派な子が。
術後にマウスピースをつけてトイレに行って状況を確認した後。

しばらくしてから震えて、泣き始めてしまいました。
口を開けられないので、息ができないとホロホロ泣きながら私に訴えるのです。

その理由に私も先生もびっくり。
「みっともないので、口を開けられない」
と言うのです。血だらけの口と、黒い糸。こんな情けない姿はない、と衝撃を受けたと言うのです。

なんとも。
そんな理由で、泣いた子はそう居ないようで。

私も血だらけの口になるのも糸の色も伝えていなかった、というより想像、想定していなかったので。
娘は初めてのことや想定していないこと、納得できていないことに対する不安や抵抗が大きいので、このことは大変に驚いたようです。

気づかなくてごめんね、と伝えたのち
「頑張った証だから、みっともなくないよ」と言うと、
「ほんと?」
と少し落ち着きを見せてくれ、その後割とすぐに立ち直ってくれました。

幼稚園では、マウスピースが人気者だったようで、黒い糸もまた見せて見せてと人気だったようです。

「みっともない」
祖母から私まで、そして娘にまで。
みっともないことに対する嫌悪感の強さは、遺伝したようです 笑

でも、それを吹き飛ばす力が娘にはある。
私も見習わないといけないなと、また娘に教わりました。

みっともないねえ

2020-02-02 06:59:00 | 病気
よく、祖母が自分自身についてそう話していました

こんなみっともない姿で、情けないねえ

と、自分の老を認めきれずによく話していました。


私自身、ステロイドと病気そのものによる外見への影響甚だしく、顔はまん丸でとんでもない二重アゴです。
この二重アゴは、ステロイドの他に病気そのものによる影響と、太ってることも関わるので尋常ではなく。
要するに私はこの容姿を受け入れきれません。

鏡を見るのが今はとても嫌いです。
でもふさいでしまってはいけないと、外出時マスクはやめました。
口角を少しでも上げたいとニコニコ笑うようにしました。

写真は出来る限りうつりたくない。
でも娘との思い出はと、時々うつるようにしています。

心を保つために、わざと暴飲暴食してしまうこともあります。太るけど、我慢しきれない時は幸せ〜って思うほど食べちゃう。
心の安定こそ、私の今1番の目標なので、容姿は二の次になっています。
それでもこんな風に外見と向き合わない日はありません。無視しきれない。。

何しろステロイドをこれだけ飲んでいると、並大抵では痩せません。
その運動に必要な足を動かせないとなると。。。良いダイエット法が、手っ取り早い方法が奪われているので難しさに拍車がかかります。
また、痩せたところでムーンフェイスはそのまま。そもそもリンパなどが腫れるので、アゴから首はひどくふくれています。
風邪などで耳鼻科に行った時、なんだこの顎はと腫れ上がる私の耳下腺などを心配そうに見られました。
原因は突き止められていません。

写真も鏡も嫌な私が、娘の幼稚園の卒園などなどで人前に立ったり、写真に残ったりするのだと思うと、笑顔の裏でかなり落ち込んでいます。
謝恩会で、出し物をやらなくてはいけなくなり、舞台に立つことが強制されました。なんの拷問かと、日々悩みました。
今は誰もロクに見てないしと言い聞かせて、かつたまたま近くのお母さまとこれきっかけで仲良くなれたので、がんばろうと思っています。
でも嫌なものは嫌です。


祖母の話に戻ります。
みっともないから、と祖母はあまり遠出をしなくなりました。
私の結婚式もそれを理由に欠席しました。
人が多く集まる場にも行かなくなりました。
それでも祖母はとても幸せそうでした。

祖母は人さまに迷惑をかけて死にたくないと、それが私の夢だと言って、本当にその通りに昨年旅立って行きました。
近い人全員にありがとうと言い残しました。
病院の中にひ孫が入れるまでがんばって生きました。私の娘に朦朧とする意識の中で「会いたかったよ」と手を握ってくれた翌朝、旅立ちました。
あたたかく、幸せな最期に思えました。
私の祖母は紛れもなく、幸せでした。


何が人の幸せなのでしょう。
それは本人が決めることで、周囲がとやかく言うことでもないし、理解が得られないこともあるでしょうけれど、それの何が問題なのでしょうか。

どんなに強がって見せても、
どんなに毎日笑って、病気なのに明るくて元気をもらえるとか、お世辞だとしても言ってもらえても、
私はやっぱりこの容姿は受け入れられません。。

この醜い姿を晒しながら生きること
それ自体が苦痛なんです。
しかし、外に出たくない、写真にうつりたくない、そんな悪い感情を認めないで元気ぶって生活してきました。
でもそれでいいんだと、醜い自分が嫌いだと、堂々と思い、言っていいんではないかと。
突然思うに至りました。

久しぶりに祖母を思い出して、思いました。
くっくっくと変な笑い方をする祖母は、私が自分をみっともないと言うと
「あらやだ!そんなこと言うもんじゃないよ。」と否定したかと思いきや「でもまん丸で、ひどい病気なんじゃないかと心配になっちゃうね。」とどストレートの感想を言われていました 笑

母も、「嫌だよねー」同意してくれます。

そんなことないよ、キレイだよと言われる方が悲しい。
そんなこともあるんだなあ。

ふと、祖母を思い出して、自分の醜い姿を嫌いだと認めて、それを堂々と言って歩こうと、今決めました。わがままでもいいじゃない!だって嫌いなんだもん!とね。
心が幸せであることが、今の私にはとても大切だと思うのです。


祖母は外出も人さまをお招きするのも、お祭りも大好きな、大変に社交的な人でした。
なので今は、ちょっとは遊びに出れてるといいなと思います。側から見てる私はそんなに醜くないんだけどなあって思ってましたからね。
人の幸せは、周囲にはわからんもんですなあ。