桜が咲く頃までには

家族と歩む、ちょっと病気の主婦の日記です

おはようございます

2016-11-29 05:02:58 | 日記
痛くて起きました。

再度眠れないので、なんとなく書いてます。


でも、夜は早目に眠れました。

はあ〜

とりあえず、痛いです。
イライラしますう。



昨日、久しぶりにお灸をしてみました。
やっぱり良いですね!

痛みから気を紛らわす方法ってあるんですかね?

ふたりの寝顔

2016-11-28 01:39:16 | 日記
夜起きてしまって
眠いのに眠れない時とかは特に
寝室を出て過ごすことに決めています。


布団の中や暗闇では悶々としてしまうことが多く、
痛みや辛さと向き合う結果になるのは得策でないと思っているので。
まぎらわせるために起きます。

ママがいない〜というような
叫びに等しい泣き声で娘に呼ばれることもありますが
大概は1人こっそり戻ります。

その時に見られるふたりの寝顔は
何とも静かで穏やかで、言うなれば無です。
この体験は私の至福の時間です。

これが、しんどい時に見ると涙が出ちゃうこともあります。

人の心は、なんとも不思議なものです。

家族の寝顔を見ることは
仏さまを拝むのと、同じようなことかなと。
そんなような気すらしています。

今日は、そろそろ寝れるかなあ〜。
心の波が、すっかり落ち着きました!

どうも眠れません

2016-11-28 00:16:01 | 日記
今晩もダメでした。

どうも痛いし、冷えるのです。

努めて穏やかに過ごし、いっぱい笑いました。
家から一歩も出ませんでしたが、いろんな思い出を作れました。
主人も娘も、いっぱい笑ってました。
心配もかけましたが。
素敵な休日でした。

心身共にこっくりと眠れそうでしたが、終わりがうまくいきませんでした。
寝るタイミングを少し逃すとダメです。

なぜうまくいかないのか、自分では良くわかりません。
くだらないことが気になったり、
薬の飲み忘れがあって、部屋を出たり
寝かしつけなどもありますし
気づくと冷えてたり、ほてったり
痛くなったりします。
特に今日みたいな日に眠れないというのは、さっぱりわかりません。
電車の中でも小まめに睡眠をとっていた私はいずこへ。
寝るのはこんなに大変なことなんでしょうか。


こんな時は、元気な体がうらやましいです。
元気になりたいと思わないようにしてきましたが、つくづく、思います。
なぜ私は、元気ではないのか、健康ではないのか。
元気になりたい。

妬みでも羨望でも、仕方ない。
うらやましい、のですから、仕方ない。
そーいう感情を受け入れるのは、病気の自分に負けてるようで悔しいです。
痛くて泣いてるのか、悲しくて泣いてるのか、悔しくて泣いてるのか、さっぱりわかりませんでしたが、泣きました。
1人でわんわん泣きました。

生きることは大変ですね。

長い夜になりませんように。
祈りを込めて、録画の笑点見てます。
録画してくれてる主人と師匠の皆様方に、大感謝です!

遅いイベント

2016-11-26 00:38:47 | 日記
今年は娘の七五三ですが、結局私の体調が優れず、11月に行くことは厳しそうです。

主人の仕事もありますし、娘の体調もあるのでチャンスそのものがそう多くは無いのですが。

そもそも、やはり私待ちでした。

祖父母にあたる両親には、年末年始のご挨拶でと伝えて、一緒に七五三のお参りをしないことに決めていました。
私の体調次第で突如キャンセルもあり得るし、逆に突然決行もできるので、船頭はなるべく少なくしたいのが私の意向でした。
もちろん家族も含め、皆分かってくれましたので、時期外れになるかもしれないことを、つい疑問に思うことも忘れていました。
行けると思っていたんですね。
それなりに対策したんだし。
もしダメでも、簡単に仕方ないって思えると思ってたんです。


それなのに。
先日、娘の同級生たちに会った時に
「七五三終わったね〜、ほっとしたね〜」
「どこでしたの〜?」
「髪の毛、切れるわ〜」
とママさんたちがお話しているので、話題に入れない私はすっかり気落ちしてしまいました。

私は普通のママとは違うのかな。
私の都合で、子どもの行事を遅らせてばかりで、申し訳ないな。
でも子どものお祝いなのに、申し訳ないとか思ってやるものじゃないな。

そんなことをぐるぐる考えました。
ぐるぐるぐるぐる。
自分でもびっくりするくらい、元気なママさんたちがうらやましかったです。


さてはて。人にどう思われるかはどうだっていいのですが、
私自身が妬み嫉みに支配された母親でありたくないと思うので、
何とか前向きに捉えられないか、心と頭と体の相談会が始まりました。

体が言うこときかないのは仕方ない。
時期が遅れるからと言って、お祝いやお礼の心が娘に伝わらないはずがない。
寒い時期のお参りになっても、風邪を引くとは限らない。

しかし!
現実問題、七五三のご祈祷が11月で終わってしまう神社もあるので、
(祈祷の受付はするが、お土産無しといったところもあるので)
当初の予定していた神社も、他に思い描いていた候補の神社も、残念な結果に。。
11月にこだわって、体を引きずりながらのお参りとなるのは悲しいので、振り出しに戻って探し直すことにしました。

主人も、気張らずに無理せずに、ママの好きなところにしようと言ってくれたので、のんびりぼんやり探しました。

そして、意外とすぐに臨機応変そうな
多少ですが私たち家族に所縁のある神社を見つけました。
お電話してみると、カラカラと
「12月でももちろん!1年中いつでも大丈夫ですよ。おめでとうございます。」
なんと!
懐の深い神社さんではありませんか!

もちろん予約なしで大丈夫。
願ったり叶ったりです。

相変わらずのんびりした子育ての私ですが、
逆によかったなあ〜と思うことも多いので、
今回も良い出会いに恵まれそうだと感謝しています。

まだ行けるかわかりませんが、
七五三、すごくすごく楽しみです。
元気な娘を家族に迎えられたこと、ここまで大きく育ったこと、主人と娘と神様にいっぱいお礼を言いたいです。

確認

2016-11-23 14:20:37 | 日記
私の病気は一生治りません。

治らない、奇病、だとしても
私は生きている。
病気と共に生きることは、少し面倒ですが、
それだけです。

病気にはなりたくなかったけれど、
それは仕方ないことです。

ふと気づくと、私はもう
健康な人としての生き方も考え方もわからなくなりました。
このことに気付いた時には少しびっくりしました。
健康な人たちは、病気とか老後とかに対し、何か妙に楽観的すぎるように感じました。
本気で、「何を考えて生きてるのか?」と思ったことがあります。
それは、私の健康に対するこだわりや対策が強すぎるのだと最近ようやく気づきました。
すでに病気だったので、そーいう思考パターンになるんですね。不思議と。

つまり、私はすでに病気の人として生きているんだなと思ったのです。

面倒は面倒です。
薬を飲み忘れれば電池が切れてしまうので
自分の体の声を1日に何度も聞かなければいけません。
そのくせ、聞きすぎると心が疲れてしまうので、適度さが求められます。

しかし、やるしかないのです。
そのおかげで、笑う時間が山ほど増えました。
寝転がっていても、心から笑える時があるのです。

この数年、何度も反芻した言葉があります。
神様は、その試練を乗り越えられない人には与えない。



病気そのものは治せないので目標がうまく定まらない時がありましたが、
病気は私や家族を不幸にするわけではないと思っています。

今に感謝しながら、
病気と共に、幸せに生きる道をゆっくり探しながら歩きたいと思います。