アリの一言 

オキナワ、天皇制、朝鮮半島の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

天皇・皇后訪比② メディア一体、加害の隠ぺいとナショナリズムの鼓舞

2016年02月02日 | 戦争・天皇

  

 天皇・皇后は、フィリピン訪問で誰に会い、誰に会わなかったのか。どこへ行き、どこへ行かなかったのか。

 1月27日天皇・皇后はフィリピンの「無名戦士の墓」に供花したのに続き、29日、カリラヤに日本政府が建てた「比島戦没者の碑」に参拝しました。これが今回の訪比のメーンイベントでした。
 「訪問日程には、陛下の意向が色濃く反映された。・・・親善訪問としては過去に例のない『慰霊の日』が設けられた」(30日付共同配信)
 「宮内庁は『日本人の慰霊』が前面に出ないようフィリピン側に配慮した。そのために、無名戦士の墓への供花は・・・27日に行い、比島戦没者の碑への供花は帰国前日の29日に設定した」(27日付毎日新聞)

 「友好親善」の名目で「招待」された訪問ですが、天皇の目的は旧日本軍兵士の慰霊だったのです。その露骨さを隠すために、「無名戦士の墓」を先にする日程にしたというわけです。

 「比島戦没者の碑」に供花した後、天皇・皇后は、「見守った150人ほどの遺族らに静かに歩み寄り『苦労も多かったでしょう』と丁寧にいたわりの言葉を掛けた」(30日付共同)(写真左)。
 「天皇、皇后両陛下の拝礼に合せて、静かに頭を下げる遺族たち。『胸がいっぱい』『ほっとした』」。「生還した元日本兵」の一人は、「亡き戦友に向かって『陛下がお見えになったよ』と報告したい」(30日付共同)

 日本政府が建てた「慰霊碑」の前で、“慈悲深い天皇・皇后”と、彼らを慕う遺族・元日本兵の“涙のドラマ”が展開されたのです。
 NHKはこの光景を、午後0時35分から1時20分まで「特別番組」として一部始終生中継しました。

 ところで、NHKは今回の天皇訪比を出発から帰国まで詳細に報道しましたが、その際の枕詞は常に、「日本人だけで50万人以上が命を失った太平洋戦争の激戦地・フィリピン」でした。そこには110万のフィリピン犠牲者はありません。NHKの念頭にあるのは常に「日本人」なのです。

 天皇・皇后が「無名戦士の墓」に参拝した27日、同じマニラで、天皇・皇后の訪比を待っていた人たちの“もうひとつの集会”が行われました。旧日本軍によって性奴隷にされたフィリピン人の元「慰安婦」と支援の人たち約300人です(写真中。28日付東京新聞)。

 「日本人に恨みはないが、実行者と日本政府は許せない」という元「慰安婦」たち。集会では、「アキノ大統領に対し、日本に補償や謝罪を求めるよう訴えた」。ある元「慰安婦」は、「この機会に、大統領は(天皇・皇后に―引用者)慰安婦の問題を訴えるべきだ」とスピーチしました(同東京新聞より)。

 元「慰安婦」たちの集会を、天皇・皇后は知らなかったのでしょうか。日本軍の遺族や日系人に会い、時間をかけて「やさしい言葉」をかけるなら、元「慰安婦」たちにも会って、せめて彼女らの声に耳を傾けるべきではなかったでしょうか。

 この元「慰安婦」たちの集会を、NHKが無視したのはもちろん、私が見た限り、東京新聞が社会面2段で報じた(写真中)以外は、朝日新聞が社会面最下段にベタで19行載せただけでした。

 もう1つ。

 地図で見ると、マニラから、天皇・皇后が参拝した「比島戦没者の碑」があるカリラヤと反対側にほぼ同距離で、バターンがあります。
 1942年4月9日、バターンを攻略した日本軍は、約10万人の捕虜を約120㌔先の北の収容所へ移動させるのに、約60㌔を歩かせたのです(太平洋戦争研究会著『太平洋戦争』より)。
 「炎天下での移動のために捕虜が途中でバタバタと倒れていった。米兵一万二千名とフィリピン兵一万六千名が死亡あるいは行方不明となった」(同書)

 いわゆる「バターン死の行進」です(写真右)。捕虜に対する国際法を無視した「日本軍の残虐行為の象徴」(同)の1つとして悪名をはせています。

 フィリピンの人たちにとって、この「死の行進」は決して忘れ去られた過去のことではありません。その証拠に、毎年「死の行進」を冠にしたマラソン大会が行われているのです。
 今年はその大会が、天皇・皇后が帰国した1月30日に行われました。これははたして偶然でしょうか。

 バターンには「死の行進」の記念碑もあります。天皇・皇后がほんとうに「フィリピンの犠牲者も慰霊」するつもりなら、まずバターンに行って記念碑に供花するのが筋ではなかったでしょうか。

 天皇・皇后が会わなかった元「慰安婦」たち。行かなかった「バターン」。共通しているのは、いずれも天皇制帝国日本による戦争の加害の象徴だということです。
 天皇・皇后の「慰霊の旅」は日本の加害責任に向き合うことなく、あえてそこから逃避する「旅」だったと言っても過言ではないでしょう。

 この天皇・皇后の「慰霊の旅」を日本のメディアはどう伝えたか。
 遺族や元日本兵、日系人から天皇・皇后に対する思慕の言葉をこれでもかと引き出して満載し、同時に、「両陛下『日系人誇らしい』」(29日付朝日新聞)などの見出しで、天皇・皇后が日系人・日本人を思いやり、「誇る」言葉を強調したのです。

 そして社説で、「両陛下は激戦地に足を運び、平和への願いを示している。その思いを共有したい」(29日付朝日新聞)、「数々のお言葉からにじんでいる平和に対する願いを共有したいと思う」(26日付東京新聞)と、異口同音に天皇・皇后との「思いの共有」を求めたのです。

 これは天皇・皇后の下に「国民」を結集させようとする新たなナショナリズムにほかならないのではないでしょうか。侵略戦争の加害責任を隠ぺいし、その隠ぺいした「歴史」の下に国民を統合しようとするナショナリズムの鼓舞ではないのでしょうか。

  それがどういう意味をもつか。次回(木曜日)考えます。

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