アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

南洋戦国賠訴訟・許してならない「国家無答責の法理」

2018年01月25日 | 戦争・安倍政権

     

 「本土」のメディアはほとんど取り上げませんでしたが、23日、那覇地裁で重要な判決がありました(琉球新報は1面肩で報道=写真左)。
 サイパンやテニアンなどの南洋諸島やフィリピンで戦争被害を受けた沖縄県出身者や遺族らが、国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟です。

 生活苦のため沖縄からの移民が多かった南洋・フィリピン群島には、当時約8万人の県出身者がおり、約2万5000人が命を失ったといわれています。そのうち「1万7000人から2万人の戦没者が未補償のまま放置」(原告)されています。

 判決で、「剱持淳子裁判長は戦時は旧憲法下で、国家賠償法施行前のため『国は不法行為責任は負わない』などとして原告側の訴えを全面的に退け」(24日付琉球新報)ました。
 いわゆる「国家無答責の法理」です。毒ガス遺棄を含め、戦争関連の国家賠償訴訟はほとんど退けられていますが、その不当判決に共通しているのがこの「法理」です。

 私たちは主権者として、「国家無答責の法理」を認めるわけにはいきません。なぜなら、それは天皇主権の大日本帝国憲法(明治憲法)の遺物にほかならないからです。

 「国家無答責の法理とは、明治憲法の下で、国の行為のうちで権力的作用の部分については、それによって損害が生じても国は責任を負わないとされていた法理です。この考え方の源流は、絶対主義時代にまで遡ります。当時は、国王の権限は神からの授かりものであるという『王権神授説』に基づいて、『王は悪をなさず』という原則が正当化されていました」(馬奈木厳太郎氏、水島朝穂氏編『未来創造としての「戦後補償」』現代人文社)

  したがってその考えは近代の「国民主権」の下では当然否定されるべきものでした。

 「日本でも現在の憲法が制定されるに至って、憲法17(「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国または公共団体に、その補償を求めることができる」)で国家責任が規定されることになり、この規定を受けて、国家賠償法が制定されました。国家無答責という考え方は、戦後の憲法の制定とともに葬られたのです」(同)

 ところが、国は葬られたはずの「法理」を今も持ち出して国家賠償を回避し、司法もそれを容認しています。

 これに対しては各訴訟の原告側からさまざまな反論がなされています。その1つはこうです。

 「[国家無答責の法理が一般論としては認められるとしても]この法理が認められるためには、保護されるべき公務の存在が必要であり、それがない場合には適用されない(幼い子どもを虐殺したりする行為には保護すべき公務性はみいだせない)」(同)

  では南洋戦で帝国日本はいかなる「公務」を行ったでしょうか。今回の原告弁護団長の瑞慶山茂氏(写真中の左)の「意見陳述」(2013年11月13日)から抜粋します。

 「日本軍による住民殺害 日本軍が日本人一般住民に対して狙撃して殺害したり、手榴弾を投げて殺したり、軍刀で殺傷したり、泣き声をあげる乳幼児の首をひねて殺害するなど、ありとあらゆる残虐非道な行為を行った。このようにして殺害された一般住民数は数千人にのぼるといわれているが、被告国が調査を実施していないためその詳細は不明」

 「サイパンの戦いは、日本人が生活している地域ではじめて戦われた地上戦だった。日本軍人を信じてついてきた民間人が、隠れ家となる洞窟内で受けたむごたらしい仕打ちは、グアム、テニアンなどでも見られたが、最後の戦いとなった沖縄戦では大規模に発生した」

  沖縄戦の教訓の1つは、「軍隊は住民を守らない」という軍事の本質が露呈したことですが、すでにその9カ月前の「サイパンの戦い」から一般住民に対する日本軍(皇軍)の蛮行は行われていたのです。

 主権在民の現行憲法の原理からも、また残虐行為を行った帝国日本に「保護すべき公務」など一片もなかったことからも、「国家無答責の法理」が否定されるべきは当然です。

  言うまでもなく、帝国日本(日本軍)の蛮行は日本人住民だけでなく、現地の住民に対してはより残酷非道に行われました。「国家無答責の法理」は、そうした日本の侵略・加害行為を隠ぺいし、謝罪と補償を回避するための口実にもなっているのです。けっして過去の話ではありません。

 「戦後の今日にもなお国家無答責の法理を裁判にもちだすという国の姿勢は、現憲法の価値原理に拘束されなければならない公務員の義務(憲法第99条―引用者)から逸脱したもの」(馬奈木氏、前掲書)
 「問いたいのは、先の戦争の誤りだけじゃない。いまの政府の対応、判断なのです」(瑞慶山弁護団長、19日付朝日新聞)

 明治憲法の「法理」だった「国家無答責」で侵略・加害責任を隠ぺいし国家賠償を回避しようとすることは、「明治維新150年」キャンペーンで「明治」を美化し、「新たな国創り」(22日の施政方針演説)を図るという安倍首相の狙いに通じるものです。

 


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「軍事費過去最大5兆1685億円」と情報操作

2016年08月23日 | 戦争・安倍政権

    

 「防衛省 最大5兆1685億円 概算要求 新型迎撃ミサイル配備へ
 
 共同通信のこの記事が載ったのは、リオ五輪で女子レスリングが金メダルを3個取った記事が1面で大きく報じられた今月19日でした(中国新聞、琉球新報など)。「防衛費」の記事は中の面で2~3段扱い。見過ごしかねません。
 しかし、本来これは1面トップに匹敵する重大なニュースではないでしょうか。

 日本の軍事費(「防衛予算」)は今年度初めて5兆円を突破しましたが、防衛省は来年度さらに2・3%アップさせ過去最大の5兆1685億円を要求するというのです。
 重大なのは、額だけではありません。主な内容を挙げてみます。

★垂直離着陸輸送機オスプレイ4機=393億円
★最新鋭ステルス戦闘機F35(写真右=米ロッキード社製)を6機=946億円
★宮古島、奄美大島に「南西警備部隊」配備=746億円
★地対空誘導弾パトリオット(PAC3)(写真中)の改修=1050億円
★新たな海上配備型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」取得費用=147億円

 オスプレイもF35も、日米軍事同盟を強化し、軍事一体化をさらに進めるためであり、アメリカの兵器産業を潤すものです。米軍のF35Bは16機が来年岩国基地に配備され、沖縄にも飛来する計画です。

 この軍事費がどれほど異常なことか。例えば、低賃金で苦闘している全国の保育士さんの給料を月額1万円上げるのに必要な費用は約550億円といわれています。F35の4機分にもなりません。兵器購入の軍事費と、保育・介護の福祉や教育と、どちらに国民の税金を使うべきか、普通に考えれば答えは明白でしょう。

 ところがその普通の感覚が、自民党政権(その背景に日米兵器産業)の情報操作によってマヒされられています。「中国・北朝鮮脅威」論です。

 例えば今回の「防衛省概算要求」の記事が出た前日、18日付の新聞(中国新聞)は同じく共同配信で「北朝鮮『核燃料を再処理』 兵器増産可能に」の記事を1面トップで大きく報じました(写真左)。中国の「尖閣諸島周辺で度重なる領海、排他的経済水域侵入」の「ニュース」は毎日のようにテレビから流されています。
 「軍事費5兆1685億円」は、こうした「中国・北朝鮮脅威」論の中で、その異常さが打ち消されているのではないでしょうか。

 北朝鮮の「ミサイル発射」は大々的に報じられますが、「朝鮮半島有事を想定した米韓合同軍事演習」(22日~2週間)が行われていることはベタ記事にしかなっていません。「北朝鮮は、5回目の核実験を行うか否かは『全面的に米国の態度にかかっている』(李容浩外相)と主張して同演習の中止を強く要求」(22日付共同配信)しています。

 保育も介護も医療も年金も教育も、「財源がない」の口実で切り下げられ、さらに消費税が上げられようとしています。「財源」はあります。軍事費を削減すればいいのです。それが平和への道でもあります。
 この当たり前の判断をマヒさせる「中国・北朝鮮脅威」論の情報操作。その実態を冷静に見極めなければなりません。
 


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「機能しないPAC3」を沖縄に配備する2つの狙い

2016年02月06日 | 戦争・安倍政権

  

 北朝鮮の「人工衛星打ち上げ通告」で、安倍政権は沖縄の石垣島と宮古島にPAC3(地対空誘導パトリオット)を配備し、与那国島へ陸上自衛隊の連絡員を派遣するなど、自衛隊配備を急展開しました。

 しかし、PAC3は「発射地点、高度、方向から未来位置を予測し、大気圏内に再突入する段階で迎撃するシステム」であり、「(北朝鮮が)打ち上げに成功する場合も失敗する場合もPAC3は機能しない」(軍事評論家・前田哲男氏、4日付琉球新報)のです。「PAC3が軍事的に何の役にも立たないのは明らか」(元防衛大教授・孫崎享氏、6日付琉球新報)です。

 では、安倍政権がPAC3を沖縄に配備する意味、狙いはどこにあるのでしょうか。

 1つは、「北朝鮮の脅威を誇張する意図と、沖縄県民のために(政府が)心を砕いているという姿勢を示すという二つのパフォーマンス」(前田氏、同)としての意味です。
 「ミサイル迎撃が目的ではなく、住民向けに『頼りになる自衛隊』の演出を狙ったPAC3配備」(5日付琉球新報社説)であり、石垣、宮古、与那国への「ミサイル発射に乗じた自衛隊配備の地ならし」(同)にほかなりません。

 しかし、狙いはそれだけではないでしょう。
 注目されたのは、5日付中国新聞(共同配信)の次の記事です。「北朝鮮ミサイル 韓国、米MD参加に傾く」の見出しで、こう報じています。

 「北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイルの発射準備を進める中、韓国は中国への配慮から議論を避けてきた米国主導のミサイル防衛(MD)に加わる姿勢を鮮明にし始めた。MDの要となる最新鋭地上配備型迎撃システム『高高度防衛ミサイル(THAAD)』の韓国配備へ向け、近く米韓協議が始まるとの見方が強まっている

 韓国は北朝鮮の動きに対し、PAC2で迎撃する構えですが、「PAC2で対応できる高度は十数㌔にとどまる」ため、つまりPAC2が“機能しない”ことを理由に、「米国主導のミサイル防衛」に加わる姿勢を強めているというのです。

 こうした韓国・朴政権の動向は、安倍政権とけっして無関係ではないでしょう。「PAC3が機能しない」ことを口実に、安倍政権が本格的にMDに加わる動きを強めることが予想されます。
 事実、丹後半島の航空自衛隊経ケ岬分屯基地に設置されようとしている強力レーダーは、北朝鮮や中国を念頭においたMDのためだとみられます。
 MDとは何でしょうか。

 「ミサイル防衛(MD)の任務を、北朝鮮や中国その他の国が発射するミサイルから日本人の命と暮らしを防衛することだと思い込んでいる人が少なくないが、それは幻想にすぎない。MDとは、米国の新型戦争の根幹をなす『宇宙ベースのネットワーク中心型の半宇宙戦争システム』を防衛するのが任務なのだ。・・・在日米軍基地と自衛隊だけを守るための盾ではないのだから、集団的自衛権の行使を容認することなしには、MDに参画することはできないしくみとなっているのだ」(立命館大教授・藤岡惇氏、「世界」2015年3月号)

 「米国主導のミサイル防衛(MD)」と、集団的自衛権行使容認に道を開く「戦争(安保)法制」がここでつながってきます。

 北朝鮮は「人工衛星打ち上げ」を「科学技術発展のための平和利用」だと言っています。それを日米韓の政府のみならずメディアはあげて「事実上の弾道ミサイル」だと決めつけています。菅官房長官などは会見(5日)で、「事実上」も取って「ミサイル」だと断定しました。確かに「平和利用」も「軍事利用」も原理は同じです。北朝鮮に軍事力誇示・挑発の意図があることも間違いないでしょう。

 しかし、「平和利用」をそういう視点でとらえるなら、日本(JAXA)がすすめている「宇宙開発」も、宇宙飛行士のエピソードに終始するのではなく、その軍事利用、宇宙軍拡の側面(狙い)に目を向ける必要があるのではないでしょうか。原発再稼働をエネルギーの側面からだけでなく、原爆への転用の可能性の側面からも注意喚起する必要があるのではないでしょうか。

 安倍首相やメディアは北朝鮮の「衛星打ち上げ」を「安保理決議違反」だと断罪します。ミサイルの発射は確かに「安保理決議違反」です。しかし、その「安保理決議」は、アメリカをはじめとする核保有大国が、自分たちの核・ミサイル保有を棚にあげ、北朝鮮にはそれを「禁止」するというダブルスタンダード、大国主義の産物にほかならないのではないでしょうか。「安保理決議」だといえば、水戸黄門の印籠のように、それだけで「正義」だとして問答無用と切り捨てるのは、「核大国」とその同盟国の横暴ではないでしょうか。

 北朝鮮、中国の行動に対しては、冷静で公正な情勢分析と判断が必要です。政府や一部メディアの一方的な決めつけや扇動は、対話・外交による平和的解決の妨げです。
 「脅威」が誇張され、それを口実に自衛隊増強、沖縄への自衛隊配備強化、MDをはじめとする日・米・韓の軍事一体化が進行する状況は、きわめて危険な歴史の再現と言わねばなりません。


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「北朝鮮の核実験」と戦争法制

2016年01月07日 | 戦争・安倍政権

  

 北朝鮮の核実験(6日)は、言語道断、強く非難されるべきです。
 同時に重要なのは、この事態に対し、日本は、私たちは、何をすべきかです。

 安倍首相は早々に「独自制裁」を含め「断固たる措置」をとると強硬姿勢を見せました。大手メディアも一様にそれに呼応するように、「国際包囲網の強化・再構築」を主張しています。
 それでいいのでしょうか。

 第1に確認する必要があるのは、「核抑止力」論の誤りです。
 金正恩・第1書記が「核保有国の仲間入り」をアメリカや中国などに対する「外交手段」にしようとしているのは、「核抑止力」論の妄想にはまり込んでいるからにほかなりません。

 これに対し、「核武装は無謀な体制の維持に何ら役立たない。むしろ破滅へと導く逆効果しか生まない」(7日付朝日新聞社説)という指摘はその通りです。
 しかし重要なのは、この指摘は北朝鮮にだけ該当するものではないということです。

 アメリカをじはじめとする核保有大国は、自分たちの核保有・核実験は棚上げし、「小国」のそれを非難・攻撃し、核兵器を独占しようとする。それが世界の核兵器廃絶を阻害している元凶です。国連安保理も核保有大国で占められています。
 重要なのは、日本が日米安保条約によってアメリカの「核の傘」に入り、その大国主義の一端を担っていることです。

 北朝鮮の核実験・核保有を批判・非難するのは当然ですが、同時に、その矛先はアメリカをはじめとする核保有大国にも向けなければなりません。そして「核抑止力」論そのものを打破しなければなりません。北朝鮮だけを批判・非難するダブルスタンダードから脱しない限り、根本的解決はありえません。

 第2に考える必要があるのは、安倍首相や大手メディアが主張する「国際包囲網」とは何かということです。
 「日本は、米韓両国との連携を改めて固めたうえで、中露などと協力して国際包囲網の再構築を図るべきである」(7日付毎日新聞社説)
 「北朝鮮政策で結束する日本、米国、韓国にとっても、正念場である。改めて共通の立場を確認し、中国・ロシアとの協調も探り、北朝鮮に一致して対応する態勢を固めるべきだ」(7日付朝日新聞社説)
 
 安倍首相や大手メディアが主張する「国際包囲網」とは、日・米・韓同盟=軍事同盟を中心に、中国、ロシアを加えた軍事力(「経済制裁」を含む)による包囲網、軍事ブロックの強化にほかなりません。

 そして今りわけ重大なのは、昨年安倍政権が強行成立させた戦争(安保)法制が、施行(3月)目前だということです。
 戦争法によって、「北朝鮮の核の脅威」を口実にした日米韓の「包囲網」=軍事ブロックに、日本の軍隊(自衛隊)が加わることになるのです。

 今回のことでその問題に触れた新聞の社説は、私が見た限り、東京新聞だけでした。
 「昨年成立した安全保障関連法は朝鮮半島有事など、『重要影響事態』での自衛隊の後方支援などを定める。国際情勢の変化に応じて防衛力を適切に整備するのは当然だが、北朝鮮の脅威を名目に『軍事力』強化を加速させてはなるまい」(7日付東京新聞社説)

 戦争法を想起させたことは評価しますが、下線部はとうてい賛成できません。また「軍事力強化を加速させてはなるまい」という悠長な問題でもありません。

 東アジア情勢が「緊迫」すればするほど、「制裁」や「軍事力」による「包囲網」ではなく、「対話」の促進こそ模索すべきです。それが「拉致問題」解決への道でもあります。
 そのためにも、日米軍事同盟強化・集団的自衛権行使の戦争法を廃止することがまさに急務であり、それこそが私たちに課せられた責任ではないでしょうか。
 
 沖縄戦で撃沈された「対馬丸の」生存者・上原清さん(81)はこう訴えています。
 「政府は平和外交に徹してほしい。圧力ではなく対話を重視し、国連を通じて話し合いで問題を解決すべきだ」(7日付琉球新報)
 戦争体験者のこの思いを共有したいと思います。


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「慰安婦問題」は“ひとごと”か

2015年12月29日 | 戦争・安倍政権

   

 ※予定を変更して、「翁長氏『戦う民意』を読む②」は後日に回します。

 28日の日韓両政府による「慰安婦問題合意」に対し、日本のメディアはほとんどすべて「歓迎」「評価」しています。恐るべき事態です。
 今回の「合意」は、これまで被害者たちが求めてきた「法的責任」の明言をさけ、したがって「賠償金ではない」と断言し、さらには被害者と支援団体が「歴史の象徴物であり公共の財産」とする「少女像」(平和の碑)の撤去を要求し、なによりも当事者の被害者たちを蚊帳の外に置いた「政治決着」という点で、絶対に容認できません。

 とりわけ重大なのは、日本のメディアや「街の声」(あくまでもテレビ放映の範囲ですが)が、この問題を「日韓政府間」の問題とし、まるで私たち「日本国民(日本人)」には直接関係ないかのような論調・空気が蔓延していることです。
 「慰安婦」問題は、けっして“ひとごと”ではありません。

 第1に、今回「準備不足」といわれる中で、両国政府が「合意」を急ぎ、それを「不可逆的な最終解決」などと強弁するのは、いったいなぜでしょうか。

 今回の「合意」は、「日韓共通の同盟国である米国から関係改善を求められていた」(29日付毎日新聞社説)結果であり、「日韓双方の背中を押したのは米国だった」(29日付東京新聞社説)のです。「米国の国益に直結するアジアの安定にためには、いずれも米国の同盟国である日韓の協力が不可欠」(29日付共同配信記事)だからです。
 外相会談直後の記者会見で、岸田外相が「日韓、米日韓の安全保障協力も前進する素地ができた」と述べたのは、今回の「合意」の本当の狙いが、米日韓の軍事同盟強化にあることを吐露したものです。

 しかも、この時期の「米日韓の安全保障協力」には特別の意味があります。

 施行間近な戦争法(安保法制)と東アジアの関係について、浅井基文氏(元広島平和研究所所長)はこう指摘します。
 「危険極まることは、米韓同盟は朝鮮に対する先制攻撃の可能性を織り込んだ戦略を採用していることだ。米韓が朝鮮に対する軍事力行使を開始すれば、日本が集団的自衛権行使として参戦する可能性が現実味を帯びるのである。
 正確に言えば、日本が集団的自衛権を行使するには、韓国の要請がなければならない。韓国の要請がない限り、日本は集団的自衛権を行使できないというのは国際法として確立している原則だ。安倍政権に対して不信感が強い韓国政府は、この点を繰り返し強調している」(「マスコミ市民」10月号)

 日本が戦争法によって朝鮮半島で集団的自衛権を行使して参戦するには、日韓の「関係改善」が不可欠。アメリカを間に挟んだ日米韓の軍事同盟を強化し、戦争法による日本参戦の条件を整える。それが今回の「慰安婦合意」の真相ではないでしょうか。

 第2に、元「慰安婦」を支援している挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)は今回の「合意」に対する批判の「声明」を発表しました。その中でこう指摘しています。

 「今回の発表では、日本政府が加害者として日本軍『慰安婦』犯罪に対する責任認定と賠償などの後続措置事業を積極的に履行しなければならないにもかかわらず、財団を設立することでその義務を被害国政府に放り投げて手を引こうという意図が見える。そして、今回の合意は日本内ですべき日本軍『慰安婦』犯罪に対する真相究明と歴史教育などの再発防止措置に対しては全く言及しなかった」

 帝国日本による「慰安婦制度」は、元「慰安婦」の「名誉と尊厳」のみならずあらゆる人権を踏みにじったもので、当時の国際法・国内法に照らしても明白な犯罪行為です。挺対協が指摘しているのは、その加害の責任を明確にせよ、ということです。
 「慰安婦制度」の加害性は、いうまでもなく侵略戦争と植民地支配の加害責任と一体不可分です。「慰安婦制度」の加害責任を明確にすることは、侵略戦争と植民地支配の加害責任を明確にすることにほかなりません。
 そして日本は、私たち日本人は、いまだにその加害責任を明確にしていないのです。
 それは、天皇制の下、敗戦から今日の安倍政権まで引き継がれている歴代自民党政権の一貫した政策です。しかし、政府だけの問題ではありません。私たち「日本国民(日本人)」にももちろん責任があります。歴史の真実を究明し、それを今日に生かす「戦後責任」があります。

 とりわけ「慰安婦制度」についていえば、戦争に駆り出された私たちの祖父、曾祖父が、その“利用者”(加害者)となった可能性はけっして小さくはないのです。その孫、ひ孫である私たちが、どうしてこの問題を“ひとごと”だと傍観することができるでしょうか。

 「慰安婦制度」はじめ、日本の侵略戦争・植民地支配の加害責任を明らかにし、被害者(国)への謝罪とともに、その教訓を今日に生かす。生かして米日韓軍事同盟体制の強化を許さない。戦争法を廃止し、日米軍事同盟を廃棄して非同盟・中立の日本へ向かう。
 それが私たち「日本人」一人ひとりの責任です。それなしに「最終解決」などありえません。


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「下町ロケット」と宇宙軍拡

2015年11月26日 | 戦争・安倍政権

   

 テレビドラマ「下町ロケット」(池井戸潤原作、日曜夜・TBS系)を楽しみに見ています(原作は読んでいません)。中小企業、技術者の気骨を描いて見応えがあります。

 まるでドラマと歩調を合わせるように、24日、初の商業衛星を載せた国産ロケットH2Aが打ち上げられました。JAXA(宇宙航空研究開発機構)と三菱重工のコラボです。

 また今月11日には、国産初のジェット機MRJが試験飛行しました。これも三菱重工(三菱航空機)です。

 H2AもMRJもメディアで大きく取り上げられ、宇宙・航空ファンの喜ぶ姿が映し出されました。
 しかし、三菱重工の相次ぐ“空”への進出を、手放しで喜んだり、関係ないと無視してよいでしょうか。

 三菱重工は日本最大の軍需(兵器)産業です。「陸・海・空のあらゆる分野で最先端技術を駆使した装備品の開発・生産・運用支援・能力向上を行うことで、わが国防衛の一翼を担ってきた」(公式サイト)と豪語する企業です。「防衛・宇宙分野」の売上高は4839億円(2014年度)にのぼっています。

 三菱重工の宇宙・ロケット技術が、軍事(兵器)に転用されないと言えるでしょうか。というより、もともと「宇宙」と「軍事」は一体不可分です。同社の公式サイトが財務報告を含め「防衛・宇宙分野」と一体に扱っていることがそれを象徴しています。
 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏も、「JAXAが開発した小惑星探査機『はやぶさ』も、多くの人々を感動させましたが、あの遠隔操作可能な高性能の無人探査機が軍事利用も可能なことは、科学者でなくても想像がつきます」(『科学者は戦争で何をしたか』)と指摘しています。

 そのJAXAは、防衛省が公募した「軍事技術に応用できる基礎研究」の「マッハ5まで出る極超音速複合サイクルエンジン開発」に応募し、採択され、年間3000万円までの研究費(税金)を支給されることになっています。

 三菱重工やJAXAのこうした動向と関連して見落とせないのが、安倍政権が決定した「第3次宇宙基本計画」(2015年1月9日)です。
 藤岡惇立命館大教授によれば(「新型核戦争システムと宇宙軍拡」=「世界」2015年3月号)、「宇宙事業の三大分野」の順位は、これまでは「科学技術、産業振興、安全保障」の順番でしたが、同「計画」では「安全保障」がトップにすえられ、「軍事優先の姿勢が明確となった」といいます。
 さらに同「計画」は、「アジア太平洋地域に対する米国のアクセスが妨げられ」「米国の抑止力は大きく損なわれる」可能性が生まれてきたとし、「日本の宇宙衛星も、レーザー攻撃やミサイル攻撃を受けても破壊されぬように装甲を強化し、耐性を高めねばならぬ」と説いています。
 結局、同「計画」は、「日本は米国とともに『宇宙でも戦争する国』となり、米国戦略軍の指揮のもとで、日本の軍事衛星編隊が奮闘するための10カ年計画」であると藤岡氏は警鐘を鳴らしています。
 (藤岡氏の「世界」論文は、ピース・フィロソフィ・センターのサイトで読めます。ご参照ください。http://peacephilosophy.blogspot.ca/2015/10/blog-post.html

 直近にJAXAが決めた2人の宇宙飛行士(油井亀美也氏と金井宣茂氏)がいずれも自衛隊出身なのは、はたして偶然でしょうか。

 22日放送の「下町ロケット」で主人公(阿部寛)は、「日本でロケット開発が始まったきっかけは、多くの犠牲を出した台風の被害を繰り返さないためだ」(大要)と言いました。
 宇宙・ロケット技術が「平和と民生」のためになるのか、それともアメリカ追随の「宇宙軍拡」になるのか。私たちにはそれを監視し、声を上げる責任があります。


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ナビラさんの訴え・・・アメリカの空爆と日本

2015年11月21日 | 戦争・安倍政権

   

 パキスタンのナビラ・レフマンさん(11)=写真左は、2012年12月、無人機(ドローン)による空爆で、祖母を殺され、自身も大けがをしました。
 その実態を、アメリカ議会の公聴会で述べる機会がありました。公聴会に出席した下院議員は、435人中たったの5人。

 一方、同じくパキスタン人でナビラさんと住所も近く、同じ12年12月に被害に遭ったマララさん(ノーベル平和賞受賞)が訪米した時は、オバマ大統領が直接会い、対談しました。

 ナビラさんとマララさんに対するアメリカのこの極端な対応の違いは、いったいどこから生まれるのでしょうか。
 それは、マララさんを攻撃したのがパキスタンであったのに対し、ナビラさんらを攻撃した無人機空爆はアメリカが行ったものだった、という違いです。(以上、19日の「報道ステーション」より)

 国境なき医師団(MSF)がアフガニスタン北東部で運営していた外傷センターが、10月3日、空爆によって破壊され、患者10人(うち3人は子ども)、スタッフ13人が殺されました。
 アメリカは当初否定していましたが、2日後に爆撃が米軍によるものだと正式に認めざるをえませんでしたました。しかしそれでもなお、「爆撃はアフガニスタン政府の要請によるものだ」と責任転嫁しています。(MSFのメルマガより)

 これがアメリカです。アメリカ主導の有志連合による空爆の実態です。空爆は多くの一般市民を殺戮し、家や土地を破壊し、多くの難民を生み出します。まさに国家によるテロにほかなりません。
 そして「テロリスト」を最大限非難しながら、みずからの空爆=国家テロによる犠牲には目も向けず、責任逃れに終始する。それがアメリカなのです。

 「戦争は正義のためだと正当化しているが、人間の命を奪っているのはアメリカだと思います」
 沖縄「島ぐるみ訪米団」の玉城愛さん(シールズ琉球)は、19日ワシントンでの対話集会で、勇気を振り絞ってこう発言しました(21日付沖縄タイムス)。
 アメリカが行っている空爆は、まさに玉城さんの言葉を裏付けるものです。

 そのアメリカに追随し、軍事同盟(日米安保体制)をいっそう強化しようとしているのが日本の安倍政権にほかなりません。
 安倍首相は19日、マニラでオバマ大統領と会談し、「対テロ」で「緊密に連携」することを約束するとともに、「日米同盟について『国際社会の平和と安定に一層貢献していくための、新たな協力の序章にしたい』と強調」(共同配信)したのです。

 今月16日、ナビラさんらを東京に招き、市民との交流集会が開かれました。企画した現代イスラム研究センターの宮田律理事長は、こう訴えます(19日付中国新聞より)。

 「彼らが語るのは、『テロとの戦い』の美名の下で人権無視、むごい攻撃が続き、テロとは何の関係もない市民が犠牲になっている現状だ。理由もはっきりしないまま始まったイラク戦争はじめ、『テロとの戦い』で、イスラム世界では膨大な数の民間人が巻き込まれ犠牲になっている。日本人は『テロとの戦い』という抽象的な表現でなく、そこで起きている実像をよく知るべきだ
 「自爆テロにしか生きがいを見いだせない若者を救うためには、教育や就労の機会を与えることが一番の解決になる。日本はこうした点でこそ貢献していくべきだろう」
 「ナビラ・レフマンさんは東京の集会で『なぜ戦争をするのか。戦争に使うお金、武器を買うお金があるのならば、教育に使ってほしい』と訴えた。重く受け止めるべき言葉だと思う」

 ほんとうの「正義」とは何なのか。日本はどういう道を歩むべきなのか。日本に生きる私たちは今、何を言い、何をしなければならないのか。ナビラさんの瞳が、私たち一人ひとりに問い掛けているようです。


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後藤さんの遺志に逆行する「制裁の空爆」

2015年11月14日 | 戦争・安倍政権

   

 このブログを書いている14日午前現在、パリで発生した「連続テロ」はまだ同時進行中です。事件の背景は明らかになっていません。

 この約1日前、アメリカ国防総省は、IS(「イスラム国」)が「首都」と位置づけるシリア北部ラッカを無人機で空爆したと発表しました。
 パリの「連続テロ」がISと、またこの空爆と関係があるのかどうかはまだ分かっていません。
 しかし、少なくとも言えることは、ISとアメリカ主導の「有志連合」の抗争が激化していることです。

 ここで見過ごせないのは、アメリカのラッカ空爆が、「フリージャーナリスト後藤健二さんらを殺害したとみられる覆面男、通称『ジハディー(聖戦士)・ジョン』に対し」(共同通信)て行なわれたとされていることです。日本のメディアは「後藤さん“殺害犯”に空爆」などと報じ、これがまるで後藤さん殺害に対する制裁行為として正当化されるかのような印象を与えています。

 とんでもないことです。後藤さんはけっして「制裁の空爆」など望んではいないでしょう。それどころか逆に、一般住民を殺戮し住居・土地を破壊する空爆という「国家テロ」を、誰よりも許せなかったのが後藤さんではなかったでしょうか。

 後藤さんの母親の石堂順子さんは13日夜のテレビニュースで、涙ながらに訴えました。
 「この世からこういう争いはもう消えてほしい。世界平和を望みながら逝った彼(後藤さん)の思いを実現してほしい。心からそう思います
  これこそが母の切なる願いであり、後藤さんの遺志ではないでしょうか。

 忘れてならないのは、米軍のラッカ空爆も、パリの「連続テロ」も、日本とけっして無関係ではないということです。無関係どころか、戦争法(新安保法)によって、日本はまさに当事国の1つになっているのです。

 戦争法の集団的自衛権によって、日本はアメリカ主導の「有志連合」の一員に入ってしまいました。少なくとも、当のISはそう認識しています。「『イスラム国』はこのほど発行した機関誌で、米国が主導する中東での軍事作戦に加わる『連合国』の一員として日本を名指しした」(10月5日付共同配信記事)のです。

 安倍政権はそれを必死で隠そうとしています。メディアも沈黙しています。そのため多くの国民は、ISと日本は直接関係ない、と能天気に構えているようにみえます。
 実際は、海外で日本人がテロに巻き込まれたり、標的になるだけでなく、いつ日本で連続テロが起こっても不思議ではありません。
 それがアメリカに追随する集団的自衛権、戦争法の実態です。

 私たちはそういう危険な領域に入ってしまったのだという恐怖をリアルに認識し、絶対に戦争法を廃止しなければなりません。
 そして、戦争法の根源である日米軍事同盟をなくする世論をいまこそ広げなければなりません。
 「軍事で安全は守れない。国家安全保障は完全に時代遅れ。・・・人間が人間らしく生きる社会をどうつくるのか。・・・人と人のつながりを大切にする『人間の安全保障』が最大の平和構築になる」(古関彰一氏、11日付琉球新報)

 それこそが後藤さんの遺志を引き継ぐことではないでしょうか。


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「南京大虐殺」と「シベリア抑留」-安倍政権のダブルスタンダード

2015年11月07日 | 戦争・安倍政権

   

 馳文科相のユネスコ総会での演説(日本時間6日)など、安倍政権は引き続き、中国が申請した「南京大虐殺」の世界記憶遺産登録に反発しています。
 この問題についてはすでに取り上げました(10月15日、http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20151015)。
 ここでは、安倍政権の「南京大虐殺」に対する姿勢と、日本政府の申請で同じく世界記憶遺産に登録された「シベリア抑留」のダブルスタンダード(身勝手な二重基準)を明らかにし、その意味するものを考えます。

 安倍政権が「南京大虐殺」の登録に反発しているのは、「ユネスコを政治利用するもの」(菅官房長官)という理由です。
 一方、日本が申請した「シベリア抑留資料」に対し、ロシア外務省は10月22日「声明」を発表し、「旧ソ連・ロシアとの合意文書を『乱暴に歪曲している』と批判」(10月23日付共同配信記事)しました。「旧ソ連に連行された日本軍将兵は、戦争終結後に不当に留め置いた『抑留者』ではなく、戦争継続中に合法的に拘束した『捕虜』である」(同)というものです。そして、「1991年に当時のゴルバチョフ・ソ連大統領が訪日して調印した協定でも『抑留』との文言は使用しなかった」(同)と指摘しています。

 日本政府は旧ソ連・ロシアとの公式な「協定」に反して、一方的に「抑留」としロシアに批判の矛先を向ける、ある種の政治利用だというのがロシアの見解です。
 このロシアの「批判声明」に対し、日本政府はどう反論したのでしょうか。

 反論はできないはずです。「ソ連に連れ去られた日本の軍人たちは、国際法上の『捕虜』であり、日本政府もそれを認めている」(栗原俊雄氏『シベリア抑留―未完の悲劇』)からです。
 「しかし帰還後、『捕虜ではなく抑留者』とする旧軍人関係者も少なくない」。なぜか。天皇(大元帥)の名による「戦陣訓」が「捕虜」を恥じと教え込んだうえ、「ソ連に身柄を拘束されても『俘虜=捕虜』とは見なさないと、天皇の「『勅語』と『大陸命』はそう約束していた」からです。そのため「政府は旧軍関係者の感情をおもんばかり、法律や行政文書では『抑留者』と呼称している」のです(引用は栗原氏の前掲著より)

 そもそも「抑留60万人、死者6万人」といわれる「シベリア抑留」はなぜ生じたのでしょうか。
 敗戦必至の1945年7月、天皇裕仁は終戦の仲介を依頼するため、近衛文麿元首相をソ連に派遣することを決めました。その際、用意したのが「和平交渉の要綱」です。
 「要綱」は「国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること」を前提にしたうえ、「海外にある軍隊は現地に於て復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す」(要綱三)、「賠償として、一部の労力を提供することは同意す」(要綱四)としたのです。

 近衛のソ連派遣は実現しませんでしたが、「要綱」はソ連側に伝わったといわれています。
 天皇裕仁の政府は、「国体」=天皇制護持のため、満州などにいた日本兵をソ連に提供することを決めたのです。これが「シベリア抑留」の根源です。

 さらにその背景には、連合国による「ヤルタ会談」(1945年2月)の「現物賠償」の規定があります。シベリア抑留帰還者からも、「シベリア抑留は連合国に対する現物賠償であることは間違いない。・・・国が負担すべき賠償金をシベリア抑留者が負担した」(松本宏氏『真相シベリア抑留』)という批判の声が上がっています。

 こうした天皇裕仁、天皇制軍隊・政府の責任には触れず、 「日本人捕虜」の日記やはがきなどを「記憶遺産」として登録申請し、「抑留」の犠牲・悲惨さのみを示すことが、公正な態度と言えるでしょうか。
 中国が申請した「南京大虐殺」への反発・攻撃と、自らが申請した「シベリア抑留」の一面的なアピール、ソ連からの批判無視は、明らかにダブルスタンダードと言わねばなりません。

 安倍政権のこうしたダブルスタンダードの根底に、アジア・太平洋戦争の加害責任にはほうかむりし、自らを被害者と描こうとする歴史修正主義が横たわっていることは明白です。


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「南京大虐殺のユネスコ登録」は外交問題ではない

2015年10月15日 | 戦争・安倍政権

   

 ユネスコの世界記憶遺産に日本帝国陸軍による「南京大虐殺」に関する資料が登録されたことに対し、安倍政権はユネスコが「中国の政治利用」に加担したとして、ユネスコへの拠出金を停止・削減するという脅しをかけています。

 これには身内からも「日本の国際的な存在感の低下に拍車を掛け、墓穴を掘るだけだ」(松浦晃一郎前ユネスコ事務局長、15日付沖縄タイムス=共同)という声が出ているように、またしてもカネで圧力をかけようとする日本政府の愚行です。

 しかしこの問題でさらに重大なのは、日本のほとんどすべてのメディアが、「日本外交にとって有益だろうか」(14日付朝日新聞社説)などと、これを「外交問題」「日中問題」として報じていることです。
 「南京大虐殺」の記憶遺産登録、さらに安倍政権による中国への抗議、ユネスコへの圧力・脅しは、けっして「外交問題」(だけ)ではありません。私たち自身が問われている日本の「国内問題」です。

 そもそも、安倍政権は「南京大虐殺のユネスコ登録」の何を問題にしているのでしょうか。
 外務省の「抗議談話」(10月10日)は、「日中間で見解の相違がある」にもかかわらず「中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、当該文書は完全性や真正性に問題がある」としています。ではその「問題」とは何なのか。具体的な内容についてはまったく触れていません。

 日本帝国陸軍によって「南京大虐殺」の蛮行が行われたことは、まぎれもない歴史的事実です。
 たとえば当時外務省東亜局長だった石射猪太郎は日記にこう記しています。「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼之が皇軍か」(吉田裕氏『現代歴史学と戦争責任』より)
 だから菅官房長官さえ、「旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」(2014年2月、11日付朝日新聞)と認めざるをえなかったのです。

 だとすれば日中間の「見解の相違」とは「30万人」という犠牲者の数ということになります。確かに「30万人」には異論があるところです。しかし東京裁判では「20万人以上」とされ、日本側の調査でも「20万人を下らない」というのが定説です。
 「犠牲者20万人」なら問題はないが、「30万人」は「極めて遺憾」(外務省談話)だというのでしょうか。そんな理屈は通用するはずがありません。「諸外国から『虐殺自体は認めているのに、なぜ規模をめぐりそこまで怒るのか』(在京の東南アジア外交筋)と受け止められる懸念がつきまとう」(14日付沖縄タイムス=共同)のは当然です。

 通用しない理不尽な口実で、安倍政権が南京大虐殺の記憶遺産登録に反発している本当の理由は何でしょうか。
 その本音を、安倍首相は14日の中国外交トップ・楊国務委員との会談で吐露しました。「過去の不幸な歴史に過度に焦点を当てるのではなく未来志向の関係を構築するべきだ」(15日付各紙)

 想起されるのは、安倍首相の「戦後70年談話」です。
 「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない
 日本の東アジア侵略という歴史の事実、加害責任を帳消しにしようというのです。それが、「積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献」(「70年談話」)するとして、戦争法を強行したことと表裏一体であるのは言うまでもありません。

 こうした安倍政権による「日本の負の歴史」の帳消し(歴史修正主義)を許すのか、黙認していいのか。歴史の事実と加害の責任に正面から向き合い、次の世代に引き継いで、東アジアの国ぐにとともに生きてゆく日本の進路をさぐることこそ私たちの責任ではないのか。問われているのは、私たち自身です。

  「南京大虐殺」、あるいは「首相らの靖国神社参拝」「慰安婦問題」を中国や韓国との「外交問題」としかとらえないのは、重大な誤りです。その誤りを助長しているのが日本のメディアです。
 それは、沖縄の米軍基地問題を自分(本土)とは関係ない「沖縄の問題」としか見ないことと根は1つです。

 「日本の歴史」、とりわけ「負の歴史」に対して、第三者・傍観者であることから、1日も早く抜け出さねばなりません。


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