アリの一言 

オキナワ、天皇制の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

琉球新報、沖縄タイムスに問われているものは何か

2015年06月13日 | 沖縄

         

 写真誌「フライデー」(6月26日号、講談社発行)に、「スクープ撮 菅官房長官が『沖縄タイムス』『琉球新報』と“懐柔密会”」という見出しの記事が出ました(写真中)。
 6月8日夜、「都内超一流ホテルのロビー階にあるバーの個室」で、菅氏と「沖縄タイムス、琉球新報の幹部」が、「2時間以上」会談した。前の週に官房長官サイドから「地元紙との懇親をはかりたい」との打診があり、「場所等は、官邸側で準備した」、というのが記事の概要です。

 同記事には、タイムス、新報の次のようなコメントが載っています。

 「菅長官から直接話をうかがい、考えを聞く機会と捉え、取材方法の一環として参加しました。菅長官は基地移設計画を進める従来の政府方針を説明しただけで、理解を求める発言はなかったと記憶しております。会合によって、沖縄タイムスとしての立場に変更はありません」(沖縄タイムス社東京支社)

 「日常の取材活動、取材源についてのコメントは差し控えます。辺野古新基地問題についての本紙の報道姿勢に変更はありません」(琉球新報社東京報道部)

 両紙ともいまのところ「フライデー」に抗議はしていません。

 この記事が事実なら、私が最も気になるのは、当日の飲食代を誰が出したのかということです。両紙が取材費として出したのか、菅氏が「官房機密費」から出したのか、それとも割り勘だったのか。

 首相をはじめ時の政権幹部とメディアが、夜の料亭やホテルで飲食を共にしながら「懇談」するのは、新報、タイムスに限らず、残念ながら日本のメディアの宿痾です。
 折しも、「週刊ポスト」(6月19日号、小学館発行)は、「『マスコミ特権』は世界の恥だ」と題する特集を組み、「安倍首相と大新聞・テレビ幹部&記者『夜の会食』完全リスト」(写真右)なるものを掲載しました。
 第2次安倍政権の2013年1月から15年6月1日までの首相とメディアの「夜の会食」を、一覧表(表にあらわれているものだけ)にしたものです。

 数えてみると、その回数は61回にのぼります。一覧表に出ている「参加者」を会社ごとに分類すると、のべ人・回数は次の通りとなります。
 「読売」18、「時事」10、「産経」9、「毎日」7、「朝日」6、「フジテレビ」5、「日テレ」5、NHK4、「日経」4、「共同」4、「テレ朝」4、「中日(東京)」2、「中国」1、「西日本」1、「静岡」1。このほか、「報道関係者」3回、「内閣記者会キャップ」3回、「首相番記者」「報道各社の論説委員」「報道各社の政治部長」「女性記者」各1回など。ちなみに、個人で最も多かったのは、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長で9回にのぼっています。

 これらの「夜の会食」にかかった経費は官房機密費(もちろん税金)から出されるのが常です。この機密費というブラックボックス、民主党政権誕生時に「全容を解明する」と大見得を切りながら、雲散霧消してしまったのは記憶に新しいところです。

 新報、タイムスがこうした「大手メディア」の悪弊の“仲間入り”をすることは、もちろん好ましいことではありません。
 でも、新報、タイムスにいま最も問われていることは、はたしてこうした問題でしょうか。

 沖縄タイムスは6月10日付で「翁長知事就任半年」の特集を組み、「辺野古強行国を追及」「痛烈な言葉、世論も支持」などの見出しで翁長知事の「半年」を賛美しました。琉球新報も翌11日付で「就任半年」をまとめ、「辺野古移設の考えを変えない国に、県行政としていかに対峙し、県民意思を実現していくかという命題に挑んでいる」と翁長氏を持ち上げました。

 しかし、「就任半年」を振り返るなら、翁長氏が選挙で公約した「埋め立て承認の取り消し・撤回」に、半年たってもいまだに手を付けず、「視野に入れる」「選択肢」にとどめていることを、なぜ両紙は追及しないのでしょうか。

 たとえば琉球新報は2月26日の社説で、「もやは許可取り消しの可能性を論じる段階ではない。…移設作業をこれ以上続けさせてはならない。翁長雄志知事は即刻、許可を取り消すべきだ」と主張しました。沖縄タイムスも3月8日の社説で、「これ以上のブロック投入やボーリング調査の再開を許してはならない。翁長知事には速やかに知事権限を行使してもらいたい。決断の時だ」と迫りました。

 両紙のこうした主張はどこへ行ってしまったのでしょう。辺野古の事態はこれらの社説の時点よりさらに日々悪化していことは周知の通りです。両紙はなぜ当時の主張を引っ込めてしまったのでしょう。なぜ今こそ声を大ににて「取り消し・撤回」を求めないのでしょうか。そこに、「取り消し・撤回」を行わない翁長氏への配慮・迎合がないと言い切れるでしょうか。

 翁長知事の言動を、メディアとしての曇りない目で見て判断・評価し、言うべきことを堂々と主張する。それがいま両紙に問われている最も重要な問題だと私は思います。


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映画「あん」と沖縄・愛楽園

2015年06月04日 | 沖縄

      

 河鹹照監督(脚本も)の最新作「あん」(樹木希林主演)が、5月30日封切られました。ハンセン病元患者の生きることへの真摯な姿と、彼女と知り合ったことで再生する中年男性と少女の交流を描いた感動作です。原作はドリアン助川著『あん』(ポプラ文庫)。

 奇しくもその2日後の6月1日、沖縄(名護市)の国立療養所・愛楽園内に、展示や映像でハンセン病隔離政策の歴史を後世に伝え、地域との交流を図る資料館、愛楽園交流館がオープンしました(写真中。2日付沖縄タイムスより)。

 資料館開館に向け、2012年から企画運営委員会で20回以上熟議を重ねてきました。とくに、患者を屋外で解剖する映像や、強制堕胎による胎児標本の展示などをめぐっては、「衝撃的な事実が、逆にハンセン病に対する新たな偏見を生む可能性も考慮しながら、展示の在り方を判断した」(大城貞俊委員長、2日付沖縄タイムス)といいます。

 全国のハンセン病患者が隔離されたのは、1931年の「らい予防法」から。その非科学的差別政策が解除(あくまで法律上)されたのは、1996年の同法廃止によって。ほんの19年前のことです。

 全国のハンセン病患者と家族は、筆舌に尽くしがたい苦難を強いられましたが、沖縄ではさらに本土にない苦しみがのしかかりました。沖縄戦が差別を加重させたのです。
 沖縄では日本軍による強制収容が1944年5月から本格化しました。収容された患者を待っていたのは、壕掘りという24時間体制の強制労働でした。

 「末梢神経が麻痺している患者にとって壕掘りは苛酷な作業であり、傷を作っても気付かないことが多かった。気付いた頃には化膿し骨を痛め、切断以外に選択肢がない状態に追い込まれていた」(吉川由紀氏「ハンセン病患者の沖縄戦」−『友軍とガマ』より)
 「病ゆえに家族と引き離されながら、治療らしい治療も受けられず強制労働に駆り立てられる。怪我をすれば手足を切断され、飢餓とマラリアに苦しむ中で、弱者がさらなる弱者の介護を強いられる。死者の埋葬や火葬にも無感覚になった」(同)

 強制労働、米軍の空襲、非衛生による病気悪化、飢餓、マラリア・・・これは愛楽園とともに、沖縄のもう1つの施設、宮古島南静園(写真右)でもまったく同じでした。

 国はなぜハンセン病患者を隔離したのか。
 「その目的はハンセン病患者のない皇国建設のための『民族浄化』であった。らい予防法の制定も、患者ではなく、むしろ国民を『らい禍』から護るためのものであったのだ。戦争は隔離政策に拍車をかけ、無らい県運動の名のもと『祖国ヲ潔ムル為二!』患者を社会から締め出す方策が展開される。ハンセン病患者は皇軍の将兵になれない非国民であり、改めて、植民地をもつ一等国大日本帝国にとっての国辱とみなされた」(浜口稔氏「ハンセン病患者の語る戦世」−『沖縄と「戦世」の記憶』より)
 「国辱の血の拡散を防ぐ終生隔離によって病根を断つための断種と堕胎を法制化した国家があり、その法律が許すがまま、彼らの人権を故意に、あるいは無知によって蹂躙したわたしたち日本国民がいたのである」(同)

 天皇制国家によるハンセン病隔離政策は、日本だけでなく、植民地の韓国(更生園)、台湾(楽生園)、満州、パラオなどでも強行されたことを忘れてはなりません。

 映画や原作の「あん」にはそうした背景は描かれていません。でも、「あん」では「聞く」という言葉がキーワードになっています。月の声を聞き、小豆の声を聞く主人公。「私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。・・・だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」と語る主人公。
 「聞く」ことは知ること、そして声なき声を想像することのにつながります。私たちは元患者さんたちが受けた差別の歴史、この国の暗い歴史を知らねばなりません。「無知」によって人を差別し人権を蹂躙しないために。
 愛楽園資料館を訪れたら、館の内外にこだまする「いのち声」に耳を傾けたいと思います。


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「明治産業革命遺産」と「琉球処分」

2015年05月23日 | 沖縄

         

 「明治産業革命遺産」(8県23施設)の「世界遺産登録」と安倍政権の関係については先に(5月7日)書きましたが、韓国はさらに具体的に、三菱長崎造船所(写真左)、高島炭鉱、三池炭鉱など、「7施設で5万7900人の朝鮮半島出身者が動員され、94人が死亡、5人が行方不明」(韓国国会報告)という数字をあげ、反対の姿勢を強めています。

 日本政府はあくまでも、対象期間は「1853年から1910年(朝鮮併合)まで」だから韓国の批判は当たらない、と強弁しています。
 これに対しては、次のような指摘があります。
 「この枠組みは明治維新から日本の資本主義の核ができた時期までの近代化だけを賛美し、その後の強制労働などは一切見ない。これでは世界遺産に登録されても、歴史をきちんと検証できるか、韓国の人に疑問に思われても仕方がない。本当に後世に伝えるべきなのは、かつて日本の間違った政策で朝鮮や中国の人々が受けた痛みや悲しみの方ではないだろうか」(近代史研究家・竹内康人氏、東京新聞5月20日付)

 同感です。そして、さらに付け加えなければならないのは、日本政府の植民地政策の犠牲になったのは、朝鮮、中国など東アジア諸国の人たちだけではなかったということです。琉球王国(沖縄)こそ日本の植民地政策の犠牲を真っ先に受けた国(民族)だったことを決して忘れてはなりません。
 「琉球処分」です。それはまさに今回安倍政権が世界遺産登録申請の対象としている期間に強行されたことなのです。主な出来事を挙げます。

 1854年  琉球王国、アメリカと独自に条約締結(琉米条約)
   68年  明治維新。琉球は鹿児島の管轄下へ
   71年  琉球船の台湾遭難事件(明治政府、琉球の日本領有と台湾進出を企てる)
   72年  琉球王国を琉球藩とし明治政府の直轄下へ(「琉球処分」=廃琉置県のはじまり)
   75年  処分官・松田道之を琉球に派遣し、琉球藩(琉球王国)廃止(沖縄県設置)の方針通告
   79年  松田、歩兵400、警察官160を引き連れ、暴力的に「廃琉置県」強行(「琉球処分」完了)
   80年  明治政府が清に「分島・増約案」提示(中国市場への参入と引き換えに宮古・八重山諸島を割譲)−不成立

 「明治産業革命遺産」と「琉球処分」は年代が一致するだけではありません。

 23施設の中には、鹿児島の集成館(写真中)関連施設が3つ含まれています。集成館とは、「1851年薩摩藩主に就任した島津斉彬が欧米列強による植民地化を防ぎ、日本を強く豊かな国にするため大砲鋳造や造船」(鹿児島県HP)を行った、薩摩版「富国強兵」の拠点です。その薩摩藩は1609年の武力侵攻以来、明治維新まで琉球を支配し続けました。島津斉彬自身、「琉球を拠点とした欧米諸国との貿易構想をうちたてた」(『沖縄から見える歴史風景』)人物です。

 さらに、23施設には「松下村塾」が含まれ、吉田松陰門下、長州出身の明治政府官僚(安倍首相が「尊敬」してやまない)が美化されています。その筆頭は伊藤博文(写真右)ですが、伊藤こそ「琉球処分」の張本人の1人です。1875年の通告に従わない琉球王国に対し、松田に武力侵攻をけしかけたのが、当時内務卿だった伊藤です。
 「ヤマト政府命令が一向に進展しないことに業を煮やした明治政権は、1878年に伊藤博文が松田道之に『琉球処分案』を起草させ強硬策をとることにした」(山本英治氏『沖縄と日本国家』)

 「琉球処分」から130余年。琉球(沖縄)に対するヤマトの「植民地政策」は今日に続き、「辺野古新基地強行」として現象しています。この歴史と現実こそ、決して忘れてはならない「負の遺産」です。

 


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注目の「与那国住民投票」。翁長知事はなぜ沈黙?

2015年02月21日 | 沖縄

         

 自衛隊配備の是非を問う注目の与那国町住民投票が、あす22日行われます。

 争われているのは、陸上自衛隊沿岸監視部隊(約150人)の駐屯、監視用レーダーや隊舎などの建設の是非です。
 一昨年8月の町長選挙で政府・防衛省の支援を受けた誘致推進派の外間守吉町長が当選したため、工事はすでに昨年5月に着工していますが、今回の住民投票で「反対」が上回った場合、外間町長は、「配備は止められないが、町として国に非協力的な立場を取らざるを得ない」(15日付琉球新報)と明言しています。
 「反対」の意思表示によって、陸自配備に事実上のストップをかけられるかどうか、たいへん注目されます。

 与那国島への陸自配備には、少なくとも5つの重大な問題があります。

  崋衛隊票」が有権者の20%!与那国は軍隊(自衛隊)の意のままに

 与那国の人口は約1500人。有権者(成人)は1187人です。自衛隊誘致などに対する島民の意見はほぼ2分されており、一昨年の町長選での外間氏と反対派の崎原正吉氏との票差はわずか47票にすぎませんでした。
 そこに150人の自衛官が家族とともに「移住」してきたらどうなるか。「2人家族」だとしても約300票が「自衛隊票」となります。これは実に有権者の約20%です。キャスチングボートどころか、自衛隊(国家権力)の意向が与那国町の重要事項を決めてしまうことになりかねません。

 沖縄防衛局の井上一徳局長は、今回の配備は「艦船や航空機を監視することが主な役割」(18日付沖縄タイムス)だとして「安心感」を振りまいていますが、いったん配備してしまえば、その後何をしようが自衛隊のやりたい放題になる危険性がきわめて大きいのです。

 ▲譟璽澄次ε甜波のへの不安消えず

 今回の監視レーダーの設置自体も島民にとって重大です。それは電磁波による健康破壊の不安が消えないからです。レーダーはもっとも近い所では人家からわずか180辰両貊蠅紡い蕕譴泙后
 住民の不安に対し、外間町長は今年1月、防衛省主催の「説明会」を開催して「安全」を強調しました。しかしその講師が防衛省から資金援助を受けているセンターの代表というお手盛りぶりで、不安はいっそう強まっています。

 7鎧基地依存の経済・財政へ転落

 誘致推進派の最大の理由は、「人口増加」とともに、「何十、何百億という国のお金が入ってくる」(「自衛隊に賛成する会」金城信浩会長、20日付沖縄タイムス)という「交付金」頼みです。
 しかしこうした基地依存の経済・財政は、「バブル的な金で施設を造っても将来的に財政を圧迫する先例はいくつもある。活性化より財政規律を破壊する原因になる可能性の方が高い」(島袋純琉大教授、18日付沖縄タイムス)のです。

 で鵬される自然

 与那国はかつて人気ドラマ「Dr.コトーの診療所」(吉岡秀隆主演)の舞台になった島です。あの広大で青々とした牧場に、自衛隊のレーダーなどが建てられようとしているのです。
 軍事施設が沖縄の貴重な自然を破壊する。海と陸の違いはあっても、その点では辺野古とまったく同じです。観光にも大きな障害となります。

 ゲ縄を前線基地化する安倍戦略の一環

 もっとも重大なのは、与那国への陸自配備が「島しょ防衛」を口実にして対中国、北朝鮮との緊張を強め、沖縄全体を前線基地にしようとする安倍戦略の一環だということです。
 辺野古をはじめ、宮古島の下地空港の自衛隊使用、第2那覇空港の自衛隊増強など、与那国と同時並行的に、安倍・防衛省が狙う重大事態が進行しています。

 2007年6月24日、アメリカの掃海艇が突然与那国に入港・上陸しようとしたことがあります。これに対し、島のおじい、おばあら100人以上が座り込みで抗議し、しばらく上陸を阻止し、米軍を驚かせました。その年です、与那国に突然「防衛協会」がつくられたのは。これが陸自誘致運動の発端です。

 いまも誘致反対の先頭にたっている「イソバの会」(イソバとは、昔与那国島を守ったという伝説の女酋長の名前)の女性が、ある集会でこう訴えたのを思い出します。
 「『武器のない所に鉄砲玉は来ない』。これが島のおじい、おばあの教えです」

 見過ごせないのは、こうした重大な与那国情勢に対し、翁長知事が沈黙を決め込んでいることです。
 翁長氏は13日の記者会見で、与那国への陸自配備についての見解を問われ、こう答えました。
 「近く住民投票が実施されるので私としてのコメントは差し控えたい。県としては今後に注視して議論するなかで、県としての対応を考えたい」(14日付沖縄タイムス)

 町財政(金)のために自衛隊を誘致しようとしている「賛成派」に対し、翁長氏はなぜ持論(のはず)の「基地は沖縄経済の最大の阻害要因だ」と言えないのでしょうか。
 辺野古新基地に本気で反対しているのなら、それと一体の与那国陸自配備にも「反対」だとなぜ言えないのでしょうか。

 沖縄が直面している重大事態は辺野古だけではありません。
 「辺野古新基地反対」と「与那国陸自配備反対」の一体化が求められています。

 そのことは逆に「賛成派」の方がよく知っています。「賛成する会」の金城会長はこう言っています。「本島で辺野古の新基地建設への反対が盛り上がっているので、その影響だけが唯一の気掛かりだ」(20日付沖縄タイムス)

 住民投票が行われるあす22日には、偶然にも辺野古で新基地に反対する県民大会が行われます。大会で、「辺野古新基地反対」とともに、「与那国陸自配備反対」のコールが起こることを切望します。
 

 


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翁長知事「本気」には程遠い辺野古「停止指示」

2015年02月17日 | 沖縄

         

 沖縄県の翁長雄志知事が16日、防衛局に対し辺野古沿岸部海底へのコンクリートブロック設置作業を停止するよう指示しました。「初の知事権限行使」(琉球新報17日付。以下、新報=琉球新報17日付、タイムス=沖縄タイムス17日付)です。

 辺野古の現場でたたかっている市民からは、「ありがたい」「やっと動いてくれた」(タイムス)など「歓迎」の声が上がりました。これまでの翁長知事の“静観”にいかに市民が焦り、怒っていたか分かります。

 しかし、今回の「停止指示」は、およそ「知事の本気度が示された」「大きな一歩だ」(新報)などと評価できるものではありません。

  崢篁濟惻─廚“効果”はあまりにも限定的

 今回翁長知事が防衛局に指示したのは、次の3点です。
 /靴燭淵屮蹈奪の設置停止とすでに設置したブロックの移動停止
 海底面の現状変更停止
 設置したブロックの位置に関する図面や設置前後の海底の写真など必要資料の提出
                                              (以上、タイムス)

 つまり写真右の地図の黄色い〇の部分へのブロック投入を、これ以上やめよというものです。その範囲はきわめて限定的で、内側の「岩礁破砕許可区域」は不問に付されています。
 しかも、黄色い〇部分への違法投入に対しても、「新たな設置」は停止せよというだけで、すでに投入されているものの撤去は求めていません。

 撤去(原状回復)について翁長氏はいまだに、「調査で現状を把握して違反があれば、あり得る」(タイムス)と言うだけです。違反はすでに明白です。ジュゴンネットワーク沖縄の細川太郎事務局次長が、「許可区域外のコンクリートは即刻撤去を指示できるのではないか」(新報)と指摘している通りです。

 △△泙蠅砲眞戮ぁΑΑΕ灰鵐リート投入はほぼ終了

 翁長氏の「停止指示」に対し、防衛局は、「ブロックの設置をほぼ終え、23日以降にボーリング調査や仮設岸壁の建設に入る」(タイムス)といいます。これに対し県も「許可区域内の海上作業は可能」(同)と認めています。結果、「防衛局は翁長知事の指示では、当面の作業への影響は出ないとみている」(同)。
 作業がほぼ終わったころに、「新たな設置停止」を指示しても何の効果があるのでしょうか。事ここに至るまでに手を打たなかった(動かなかった)翁長氏の責任は不問にできません。

 あまりにも遅い・・・県の「調査」結果が出るのは3月10日ごろ

 これまでの対処の遅さ(黙認)だけではありません。翁長氏が「違反」があるかどうか判断するという「県の調査」は、その結果が出るのがなんと来月10日ごろになるというのです。

 「県は24日に業者と契約、27日から現場調査に乗り出す。・・・調査結果は1週間から10日程度で報告があるとして、その後に知事が許可(岩盤破砕許可―引用者)取り消しなどを判断する」(タイムス)

 調査のスタートがなぜこんなに遅く、調査になぜこんなに時間がかかるのか。そもそも、サンゴや海底の損傷、違法性は複数の市民団体やメディアの独自調査ですでに明白です。その資料を活用すれば良いので、新たな調査など必要ありません。時間を浪費するだけです。その間にも、工事の既成事実化はどんどん進んでしまうのです。

 ぁ嵋楷檗廚蓮嵋笋疥て承認」。「本気」なら「即時撤回」を

 カヌーで抗議を続けている市民の訴えです。
 「(今回の指示は)許可区域外の話で、埋め立て中止などについては言っていない。もっと踏み込んでほしい」「作業は一日一日進む。知事がはっきりと中止や撤回を言ってくれないと作業は止まらない。県民は止めるために知事を選んだ」(タイムス)

 その通りです。「知事の本丸は承認の効力をなくすこと」(仲地博・沖縄大学長、タイムス)です。「承認の効力をなくす」手段は、埋め立て承認の「取り消し」か「撤回」です。安倍政権が強権的に工事を強行している今にいたっては、「即時撤回」以外にありません。これが「本丸」です。
 今回の翁長氏の「停止指示」は、「本丸」どころか、「外堀」のさらに外をどうするかという話なのです。

 与党県議の一人は、「知事がようやく最初のジャブを打ってくれた。第2、第3の行動で『新基地を造らせない』材料を積み上げてほしい」(タイムス)と話しています。
 事態が静止しているならそうした段階論も可能かもしれません。しかし、事態は刻々と動いています。というより、時間との勝負なのです。

 「防衛局は18日にも大型スパット台船を使った海底ボーリング調査を再開・・・6月ごろまでに埋め立て工事に着手したい考え」(新報)
 「知事の判断は当然だが、動きが鈍い。現場では次々とサンゴが破壊され、見るに堪えない」(細川太郎氏、新報)
 辺野古新基地建設阻止に悠長な段階論は有害無益です。即時撤回しかありません。

 
 県政野党の自民党幹部が言っています。「本気で辺野古に反対するのならば、埋め立て承認をすぐに撤回すればいい」(タイムス)
 これは正論です。正論は誰が言っても正論です。言うことが自民党と同じだから言うのがはばかれると自粛したり、発言者を攻撃することは根本的に誤りです。それは、安倍政権を批判したら「テロ集団」と同じになるから批判するな、というようなものです。

 翁長知事が「本気」で辺野古新基地建設を止めるつもりなら、埋め立て承認を即時撤回すべきです。
 

 
 


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「翁長知事突き上げ」がやっと公然化し始めたけれど・・・

2015年02月12日 | 沖縄

         

 辺野古埋め立て工事のために政府・沖縄防衛局が大浦湾に投げ込んだ巨大なコンクリートブロック(アンカー。1基10邸腺苅記鼎鬘沓鬼陲陵縦蝓砲、サンゴや岩礁を破壊していることが、10日の琉球新報、沖縄タイムスで報道され、大問題になっています。

 本土の新聞の多くは無視していますが、11日の報道ステーションは報じました。ブロック投げ込み区域は、県の「許可」範囲外であることが明らかになっており、この点だけでも翁長雄志知事は直ちにブロック投げ込みを止めさせることができます(写真左のグリーンが「許可」区域、黄色の〇がブロック投げ込み区域。写真中央がアンカー。写真はいずれも報道ステーションから)

 これに対し、元名護市議の宮城康博さん(写真右)が中心になり、「沖縄県民とすべての憂慮する市民有志一同」の名前で、10日、翁長知事に対し、「沖縄県は沖縄防衛局に対して、大浦湾内での『アンカー設置』作業を直ちに中断し岩礁破壊の許可申請をするよう勧告を」と題する「緊急要請」を行いました。
 わずか2日で県内外2662人の賛同署名が集まった画期的な要請です。

 要請文は事態の深刻さを指摘したうえで、県が「内容を精査し判断する」としていることに対し、「(その)間も大浦湾では『粛々』と巨大なアンカーが投下され環境が破壊され続けています」とし、「辺野古には新基地はつくらせない、を公約として当選された翁長県知事におかれましては、一刻も早く、沖縄防衛局に対して大浦湾内での『アンカー設置』作業を中断し、岩礁破砕の手続きに基づいた許可申請をするよう勧告してください」と要求しています。

 
 一方、沖縄県内で憲法9条を守る活動を続けている6つの「9条の会」も10日、合同で、翁長知事に対し、第三者委員会の検証作業を急ぎ、「辺野古断念を求める政治的意思」を表明するよう要請しました。
 「うるま市具志川九条の会の仲宗根勇共同代表は『第三者委は日程が間延びしている。県民の危機意識を共有すべきだ』と訴えた」(11日付沖縄タイムス)と報じられています。

 辺野古の重大事態を事実上黙認し続けている翁長知事に対し、ようやく、要請、突き上げ、批判の声が公然化してきました。まさに不安や苛立ちが怒りに転化しようとしています。
 さまざまな風当たりの中で、勇気ある声を上げはじめた人たちに心から敬意を表します。

 同時に、あえて言いますが、まだ焦点が合っていないように思えます。
 第1に、アンカー作業を止めることはまさに緊急に必要なことですが、それはあくまでも応急措置としての“止血”です。いま必要なのは“緊急手術”、すなわち「埋め立て承認の撤回」です。翁長知事にはそれができるのです、その気さえあれば。
 「アンカー作業の中止要請」は、「翁長知事は直ちに承認を撤回せよ」という要求と同時に行われるべきです。

 「9条の会」の申し入れも同様です。知事に「辺野古断念を求める政治的意思」の表明を求めていますが、いま必要なのは「意思の表明」ではなく、具体的な実効行為、すなわち即時撤回です。カラ文句の「意思表明」は聞き飽きました。

 第2に、宮城さんたちが要請文を渡したのは「県海岸防災課」、「9条の会」は「基地防災統括監」。相手が違います。翁長知事に直接手渡し、直接申し入れるべきです
 おそらく県当局がそうさせたのでしょうが、断固として翁長氏本人への面会を求めるべきです。宮城さんたちも「9条の会」の人たちも、みんな選挙で翁長氏を応援した人たちです。翁長氏に直接会って申し入れる資格も権利もあります。翁長氏がそれに応じないとすれば、それは首相や官房長官が翁長氏に会おうとしないこと以上に問題ではないでしょうか。

 宮城さんたちの申し入れに対し、翁長氏は何と言ったか。「事実だとしたら大変なことだ。事実関係について確認して県の対応を決める」(11日付琉球新報)
 なんということでしょうか。事実に決まっているではないですか。これが県民の支持で当選した知事の言う言葉でしょうか。

 宮城さんたちの「緊急要請」の最後の言葉を、翁長氏はかみしめるべきです。
 「現地では、カヌーに乗って抗議する市民・県民に対する海上保安庁職員による暴力的排除行為が連日行われており、ことは市民・県民の生命を守るためにも大至急を要する事態です


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「しんぶん赤旗」は沖縄の情勢を隠ぺい・歪曲してはならない

2015年01月31日 | 沖縄

         

 前回のこのブログで、沖縄の翁長雄志知事に、「公約」に基づいて直ちに「辺野古埋め立て承認」を撤回するよう求めました。
 その際、海外の識者らが連名で翁長氏に書簡を送ったことに注目し、その一部を紹介しました。
 大変重要なニュースですが、本土の新聞には載っていないようです。
 「しんぶん赤旗」(日本共産党機関紙)はどうだろうかと、昨日図書館で見てみました。そして、目を疑うような驚きと怒りを禁じえませんでした。「書簡」の趣旨がまったく反対に歪曲されていたからです。

 「赤旗」(1月28日付)は2面3段の囲み記事(写真右)で、「翁長知事に海外の連帯 識者15人 沖縄新基地反対」の見出でこう書いています(以下、全文)。

 [ワシントン=洞口昇幸]沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地の同県名護市辺野古への「移設」(新基地建設)に反対し、普天間基地の即時無条件撤去を求める昨年1月の声明に賛同した海外の識者・文化人のうち15人が23日、翁長雄志・県知事に連帯の意思を示す手紙を送りました。
 送ったのは、ニューヨーク州立大のハーバート・ビックス名誉教授、シカゴ大のノーマ・フィールド名誉教授、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソン氏(政治学博士)、ジャン・ユンカーマン早稲田大教授・映画監督、米アメリカン大のピーター・カズニック教授、オーストラリア国立大のガバン・マコーマック名誉教授など。
 手紙では、昨年11月の県知事選で翁長氏が勝利したことで新基地反対の民意が再確認され、辺野古を守るために長年取り組んできた人たちにとって、「大きな励ましとなった」と述べています。

 この記事(見出し含め)がいかに「書簡」の趣旨を捻じ曲げているか。「書簡」を報じた沖縄県の2紙と比べれば明らかです。

 琉球新報(1月25日付、写真左)は、1面で、「辺野古阻止へ『行動を』 海外識者15人、知事に手紙」の見出しで、「(海外の識者・文化人が)翁長雄志知事に手紙を送り、辺野古の新基地建設に向けた日本政府の作業を止めさせるために積極的な行動を取ることを求めた」と報じました。
 沖縄タイムス(同日付、写真中)は、2面トップで、「知事に迅速行動要求 外国識者 辺野古に危機感」の見出しで、記事と解説を掲載しています。

 この中で沖縄タイムスの平安名純代・米国特派記者は、「識者らは・・・『本格的埋め立て工事は間近に迫っており、残された時間は非常に限られている。遅すぎるという感を否めない』と危機感を表明。・・・『県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしい』と訴える」と「書簡」の内容を紹介。「解説」でこう指摘しています。
 「今回の要請の背景にあるのは、埋め立て承認の取り消し・撤回を掲げて当選した翁長知事の対応の遅さだ

 「書簡」はどういうものだったのしょうか。ここに全文を転記します。本土のみなさん、ぜひ読んでください。

2015年1月23日

沖縄県知事 翁長雄志様

 私たちは主に、昨年1月に発表した「世界の識者、文化人、平和運動家による辺野古新基地建設反対と普天間基地返還を求める声明」の賛同人となった、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、欧州の市民グループです。私たちは 、沖縄の社会、政治、歴史の研究などを通じ沖縄に関わってきており、これまで十数年にわたり沖縄についての記事を英語で世界に発信してきた『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』(japanfocus.org)の執筆者でもあります。

 昨年の声明で私たちは、仲井眞前知事による民意に背いた辺野古埋め立て承認を批判し、沖縄の過重な基地負担の不当性を訴え、辺野古新基地建設反対を訴えました。そして11月、辺野古新基地を「造らせない」と公約した翁長知事が当選したことで新基地反対の民意が再確認されました。知事が現地に赴き基地建設反対を訴えたことは、大浦湾と辺野古を守るために長年たゆまぬ努力をしてきた人たちにとって、どんなに大きな励ましとなったことでしょう。

 あれから2か月が過ぎました。現在、基地建設に向けての作業が強行されています。連日抵抗する市民と機動隊が衝突し、毎日のように怪我人が出ている様子は見るに堪えません。私たちの理解では、出動しているのは沖縄県警であり、県警は知事が任命する県公安委員会の管理下にあります。知事はその権限をもって、辺野古で抵抗する市民たちに暴力的な警備は行わないように、また機動隊は交通警察に交代させるよう県警に指示できるはずです。海上保安庁にも暴力的な警備を即刻やめるよう申し入れてください。

 知事は、前知事による埋め立て承認の検証のための委員会を1月下旬には決定し、月に二度ほど会合し、早ければ4月に検証結果をまとめるよう作業を進めるとの報道があります。その結果埋め立て承認に法的瑕疵があれば取消、そうでなければ撤回を考えているとのこと。また、4月以降、訪米団を組んで米国政府に直接基地建設中止を訴えるという計画も聞いております。

 しかし本格的埋め立て工事は間近に迫っており、残された時間は非常に限られています。遅すぎるという感を否めません。

 今埋め立て作業を止める権限を持つのは日米政府と、埋め立て承認の取消か撤回という方法で作業を止めることができる翁長知事だけです。知事が、埋め立ての取消か撤回という権限を行使しないままに訪米しても、説得力を持たないのではないかと思います。逆に訪米前に少なくとも取消か撤回への明確なコミットメントをすれば、訪米行動は意味あるものとなります。その際は私たちも全力でバックアップします。

 また、沖縄県民は、沖縄をこれ以上差別させず、自然環境を破壊する基地は造らせないという価値観のもとに知事を選んだのです。法的検証は確かに大事なことですが、法的側面にあまり重点を置くことは、埋め立て承認を「法的基準に適合している」と正当化した仲井眞氏と同じ土俵に立ってしまうのではないでしょうか。県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしいと思います。

 知事が取消か撤回を行うまでは、日米政府は前知事の承認に従って着々と作業を進めてしまいます。一度大浦湾が土砂やコンクリートで破壊されてからでは遅すぎます。検証委員会の判断が出るまで作業中止を求めることはもちろんですが、委員会は一刻も早く答申を出し、知事は取消か撤回の決定を下すことを期待します。

 埋め立て承認の取消か撤回をせずこの基地が造られてしまったら、初めて沖縄県の合意に基づく新基地が造られたということが歴史に刻まれ、将来への重大な禍根が残ります。

 外部からの口出しと批判されかねないことを申しましたが、私たちの目標は知事と、知事を選んだ沖縄県民の多数派と共通しており、それは辺野古の基地建設阻止です。そして私たち自身も日米政府を動かし基地建設を断念させる努力を続けていきます。

 沖縄新基地建設反対!世界の声(No New Bases in Okinawa! Global Voices)

 <以下、15人の氏名、肩書は省略。太字は引用者>

 読めば歴然です。「書簡」を送った識者らは、辺野古新基地建設阻止を本当に願い、たたかっている県民と連帯するために、翁長氏に「迅速行動」を強く、厳しく要求しているのです。

 「赤旗」の記事は前置きの一部を引用しただけで、肝心な本文の内容はまったく伝えていません。そして「識者」らがただ素朴に「翁長知事に連帯」を表明しているかのように描いています。
 これは完全な「欠陥記事」であるだけでなく、なにがなんでも翁長知事を擁護したいというきわめて政治的な意図による事実の隠ぺい・改ざんと言わねばなりません。

 事態は動いています。いまや、翁長氏への不満は海外識者らだけではありません。
 「翁長氏は知事選で『あらゆる手段で新基地建設を阻止する』と表明していた。ある与党議員は『もう就任1カ月半だ。「あらゆる手段」が見えないことが県民に不安を与え、不安は怒りに変わりつつある』と不満を隠さない」(琉球新報1月28日付)

  日本共産党が「翁長支持」を続けるのは、政治選択ですが、それは正確な情勢判断によってなされるべきであることはいうまでもありません。
 そうであるなら、沖縄の正確な情勢を「赤旗」読者や党員・支持者に伝えることのは、政党として最低限の責務ではないでしょうか。
 政治的思惑から、事実を隠ぺい・歪曲することは、絶対に許されることではありません。




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翁長知事は「辺野古の人たち」を見殺しにするのか

2015年01月17日 | 沖縄

          

 前回の「日記」で、沖縄県の翁長雄志知事の「姿勢を問う」と書きましたが、その後の事態と翁長氏の言動を見れば、「問う」という段階ではすでになくなってきていると痛感せざるをえません。
 言い直します。翁長知事は辺野古で安倍政権の暴挙とたたかっている人たちを見殺しにするつもりなのか!

 翁長氏の姿勢・責任を問わねばならないこの間の言動を、3つ挙げます。

 
 _長知事はなぜ県警の暴挙を止めないのか

 辺野古のキャンプシュワブゲート前では、政府の工事再開強行に反対する市民を沖縄県警が強制排除する事態が続いています。すでにけが人も出る事態になっています(写真右)。
 なのになぜ翁長氏は指をくわえて傍観しているのか。なぜ県警の暴挙をやめさせないのか。県知事にはその権限があるのです。

 警察法は、「都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置く」(第38条)とし、「都道府県公安委員会は、都道府県警察を管理する」(同上第3項)と明記しています。県警本部長の「懲戒又は罷免」についても、県公安委員会は国家公安委員会に対し、「必要な勧告をすることができる」(第50条第2項)のです。そしてその県公安委員は、「知事が任命」(第39条)するのです。

 つまり県知事は県公安委員会を通じて、県警を管理し、県警本部長を辞めさせることもできるのです。翁長氏はなぜこの権限を行使しないのか。というより、いま辺野古で県警が行っている暴挙の最高責任は翁長知事自身にあるのです。
 いやしくも市民の支持で当選した知事なら、市民(しかも自分の選挙の強力な支持者たち)の生命・安全を守るのは最低の義務・責任ではないでしょうか。

 翁長知事はなぜ政府の工事再開に厳しく抗議し、「承認取り消し・撤回」を含め「新基地建設反対」を強く表明しないのか

 政府による15日の工事再開強行に対し、翁長氏はこう言いました。
 「大変残念だ。もうちょっと意見交換をする中からこういったことは考えてもらいたい」(琉球新報16日付)
 「残念だ」「考えてもらいたい」とはどういうことでしょうか。「言語道断、県民無視の工事再開は直ちに中止せよ」となぜ言えないのでしょうか。

 翁長氏の弱腰、というより理解不能なほどの政府への迎合姿勢はこの日だけではありません。

 12月26日の山口俊一沖縄担当相との会談で、辺野古のへの字も口にしなかったことは前回書きました。
 その後3度目の上京の今月14日、翁長氏は杉田和博官房副長官と会談した際、「『・・・辺野古新基地は造らせないと公約して当選した私の立場もご理解いただきたい』と伝えた」(琉球新報15日付)と報じられました。なんという卑屈な態度でしょう。

 ところがさらに驚いたことに、翌15日の記者会見で菅義偉官房長官は、「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する意向を伝えたとの翁長氏の説明を否定した。『米軍基地問題について具体的な話はなかったと報告を受けている』と述べた。・・・『あくまで(翁長氏の)就任あいさつだ』と強調した」(琉球新報16日付)。
 これに対し翁長氏は、「話はした。報道でニュアンスが違うところはあったが、話をしないわけがない」(琉球新報、同)と、報道のせいにして釈明しました。

 この問題の真相は17日の沖縄タイムスでどうやら判明しました。
 「翁長氏は官房長官の受け止めが異なることについて『反対だと強い意味では(伝えては)ない』とし、『振興策などのお礼も兼ねて、私が基地問題を訴えて当選した。ご理解よろしく』とあらためて説明。10分間の会談時間も挙げ『あの時間では公約を掲げて当選したという以上の時間はなかった』と時間の制約で強く訴えられなかったとした」

 強いも弱いもありません。要するに翁長氏は杉田官房副長官に「辺野古新基地建設反対」と面と向かっては言わなかったのです。
 「時間がなかった」というのはいまや翁長氏の常套句ですが、「辺野古新基地建設には断固反対」「工事再開は絶対許さない」と言うのにいったい何秒かかるというのでしょうか。

 さらに翁長氏は16日、なんと4度上京し、山口担当相と再会談しましたが、ここでは異論の出る余地もなく、辺野古のへの字も口にしませんでした。そもそも「10分間の会談」で政府に「予算の感謝」を伝えるために上京する必要がどこにあるのでしょう。その費用はいうまでもなく県民の税金なのです。

 基地問題に言及しなかった「理由」を聞いて、唖然としました。
 「翁長雄志知事は・・・基地関連では言及しなかった。翁長氏は会談後、『所要額を確保していただいたことに心から感謝を申し上げた』と説明。・・・会談で名護市辺野古の海上作業再開に触れなかったことについては『(会談の)要件が決まっている場合は話さない。10分間の会談で、帰り際に言うことは失礼だ』と述べた」(沖縄タイムス17日付)

 目を疑いました。「失礼だ」?!暴挙を働いている政府の担当相に抗議するのが「失礼」?!いたい何を考えているのでしょうか。辺野古でたたかっている人たちのことが少しでも頭にあれば、こんな言葉は出てこない(考えもしない)はずではないでしょうか。

 「検証チーム」発足でも工事中止を要求しないつもりなのか

 翁長氏が公約した「検証チーム」が19日やっと発足するといわれています。
 沖縄県議会与党の代表は15日上京し、日本政府や米大使館に新基地建設反対を申し入れました。その中で、「県議らは辺野古の海上作業再開について抗議し、翁長雄志知事が今後取り組む埋め立て承認の検証作業が終了するまでの作業中止」を求めました(琉球新報16日付)。当然の要求です。

 ところが翁長氏は同日、「検証チームの作業が終了するまで作業を見合わせるよう求めるかについては『チームの立ち上げを踏まえてこれから議論し、判断したい』と述べるにとどめた」(琉球新報、同)。
 いったい何を「判断」するというのでしょうか。何のための「検証」なのか。県議会与党が要求したように、少なくとも「検証中」は政府に工事中止を強く求めるのは当然です。翁長氏はなぜそう言えないのでしょうか。

 翁長氏は政府に顔を向けて水面下で談合するのではなく、きっぱりと市民・県民の側に立って安倍政権の暴挙とたたかうべきです。
 そして選挙で翁長氏を擁立・支援した人たち、会派も、1日も早く「翁長タブー」を捨て、翁長氏の理不尽な言動を批判し、姿勢を正させるべきではないでしょうか。

 


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沖縄知事選から2カ月。安倍政権と翁長知事の姿勢を問う

2015年01月15日 | 沖縄

          

 16日で沖縄知事選から2カ月になります。選挙で示された「辺野古新基地建設反対」の県民意思に背を向け続ける安倍政権の暴挙は絶対に許せません。
 同時に、この間の翁長雄志知事の言動にも多くの疑問を禁じえません。

 
 翁長知事は就任後、実に3度にわたって上京しました。この間会談した閣僚は山口俊一沖縄担当相1人(12月26日)です。安倍首相や菅官房長官が「嫌がらせ」で会わないのなら言語道断です。
 同時に、「(自民党県連)幹部は自民出身の翁長知事と長い間協力してきた経験を踏まえ『彼は老練な政治家で、上京して冷遇されるのは折り込み済みなはず。政府と対峙する知事として県内世論の支持を固め、あらためて政府と交渉するつもりだろう』と分析」(8日付沖縄タイムス)という報道もあります。
 政府の理不尽さを明確にするためにも、翁長知事(県)は3回の上京で、いつ、だれに、どのような面会の申し入れを行ったのか、それに対してどういう回答があったのか、事実経過を明らかにすべきです。

 14日決定した来年度政府予算案に対し、翁長知事は「本県の振興に配慮がなされた」「格段の配慮をいただいた」と、手放しで評価する「談話」を発表しました(15日付琉球新報)。これは「沖縄振興予算が減額されたことについて県議会与党からは『基地問題とのリンクだ』として安倍政権に対して厳しい声が上がった」(同)という県政与党(「革新」)の評価とは逆で、「所要額が確保された」(同)という自民党県連の評価と一致するものです。
 来年度予算案に対する翁長知事の評価は、選挙母体となった県政与党よりも、自民党県連と歩調が合ったものになっているのです。

 そもそも翁長知事は3回も上京する必要があったのでしょうか。
 仲井真前知事のように、政府に就任のあいさつに出かけたり、予算獲得のために上京する必要があるでしょうか。
 先の総選挙で「オール沖縄」として当選した仲里利信衆院議員は、「東京で閣僚が会おうとしないなら、知事は会わないでいい。・・・政府の強硬姿勢にあえて抵抗もしない。その代わり、やるべきことはちゃんとやる。(水面下の交渉などの)パイプ役は必要ないと思っている」(12日付沖縄タイムス)と述べています。
  まったくその通りです。県民をバックに当選した知事には、中央政府に対するそうした毅然とした態度こそ求められているのではないでしょうか。

 では、翁長知事が「ちゃんとやるべきこと」とは何でしょうか。言うまでもなく、辺野古新基地建設阻止です。その県民の意思を明確に政府に突き付けることです。
 ところが、3回の上京で唯一会談した山口担当相に対し、翁長知事はなんと「辺野古」のへの字も口にしなかったのです。

 「翁長氏は会談で、沖縄の米軍基地問題について『過重な負担がある』と述べたが、普天間の県内移設反対に関する発言はなかった。翁長氏は記者団に『短時間だったので、(山口氏が担当する)振興策に力点を置いた』と説明した」(12月27日付毎日新聞)

 いったい、翁長知事は何をしに東京へ行ったのでしょうか。

 山口氏との会談だけではありません。翁長氏は知事選後、辺野古埋め立て承認の「取り消し・撤回」を口にしなくなっています。「検証チーム」も「1月中旬には発足」としていたものの、いまだに人選が確定していません。

 そんな中で、辺野古は重大な事態を迎えています。14日未明の工事資材搬入(写真右)に続き、15日未明には沖縄県警による抗議市民の強制排除が強行されました。
 県民の度重なる意思表明を無視してあくまでも工事を強行しようとする安倍政権の暴挙は断じて許せません。
 同時に、この辺野古の事態に対し、翁長知事にはまったく責任がないと言えるでしょうか。

 県警による市民の強制排除は、県知事である翁長氏に事前になんの報告もなかったのでしょうか。もしもそうだとすれば、知事に無断で抗議市民を強制排除するという暴挙を行った県警本部長を、翁長知事は処分すべきです。

 なによりも、辺野古で繰り返されている重大な事態は、翁長知事が埋め立て承認を取り消せば、あるいは撤回すれば、とりあえず止まるのです。
 翁長知事は「検証チーム」に下駄をあずけて「結論」を「少なくとも数カ月」先に延ばすのではなく、直ちに「取り消し・撤回」を表明すべきです。どうしても「検証」するというなら、速やかに「検証チーム」を立ち上げ、早急に結論を出すべきです。

 これまでの自民党知事と同じように、政府・自民党に顔を向け、水面下で交渉をすすめるのか、それとも安倍政権の辺野古新基地強行と正面から対決するのか。その姿勢がきびしく問われています。


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豊濱さんの遺志継ぎ、「宮森小事件」から今学ぶこと

2015年01月13日 | 沖縄

          

 13日の琉球新報で、沖縄の豊濱光輝さんが12日未明に亡くなられたことを知り、驚きました(享年79)。お元気そうだったのに。残念です。
 
 豊濱さんは旧石川市で発生した「宮森小事件」(1959年6月30日)の生き証人として、事件の継承に文字通り精力的に活動されてきました。私は一昨年11月16日に友人たちと宮森小を訪れました。そのとき渾身のガイドをしていただいたのが豊濱さんでした。半世紀以上たった今も、涙を流しながら語っておられたのが印象的でした。
 その時のことを記した「日記」(2013・11・18)を再録します。(写真は「なかよし地蔵」の前と資料館で説明される豊濱さん。右は事件直後の宮森小)

<再録>  「宮森小事件」にみる教師の良心

 16日の「平和ガイド学習」で高江に続いて、宮森小学校(旧石川市、現うるま市)を初めて訪れました。あのジェット機墜落事件(1959年6月30日)の宮森小です。現地でNPO法人石川・宮森630会の豊濱光輝会長に、亡くなった児童・市民を悼む「なかよし地蔵」の前で当時の生々しいお話をうかがいました。そのあと、資料館でさらに詳しい話を聴くことができました。

 事件はあの日の午前10時半ごろ発生。米軍嘉手納基地のF100D戦闘機が訓練飛行中、旧石川市6区の住宅地に墜落。さらに宮森小に激突・炎上し、児童11人、住民6人が死亡、210人が重軽傷。パイロットはいち早くパラシュートで脱出して無事。米軍は2日後に「不可抗力」と発表しました。映画「ひまわり」で本土でも知られるようになりました。

 当時巡回教員だった豊濱さんは爆音と同時に近くの事務所から学校へ駆けつけ、そのあと遺体引き渡しという辛い仕事を担当しました。当時の宮森小の児童数は1316人。我が子の無事を確認したい父母ら約2000人が詰めかけ、学校内は大パニックに。米軍MPが20〜30人駆けつけ、新聞記者らが撮った写真フィルムを抜き取りました。丸焦げになった我が子を我が子と知りながら認めようとしなかった母親・・・。ジェット機は住宅地に墜落し約150奪献礇鵐廚靴撞椰江に突っ込んだことも初めて知りました。

 その後、父母も教師も事件を語ろうとしませんでした。父母はあまりの悲しさのため。教師は「なぜ子どもたちを救えなかったのか」という自責の念のため。それが変わるのはなんと40年後の1999年。琉球朝日放送(QAB)がアメリカの公文書から「事故原因は米軍の整備不良」との真相を突き止め報道してからでした。
 これを境に教師たちは、「先生はなにもしてくれなかった」という一部の声を、政治・社会に対する教師の責任に対する指摘と受け止め、基地撤去・安保廃棄などの発言・運動へと転換していったのです。

 それでもまだ、「子どもを救えなかった」という自責の念は消えていませんでした。豊濱さんは当時亡くなった子どもの親族から「先生は生きているじゃないか」と言われたことを振り返り、「あの時は悲しかった。これがジェット機事故です」と言って背を向け、号泣されました。私はその姿に、教師の良心を見る思いでした。

 教師経験のない私は正直なところ、先生たちはそこまで自分を責めなくていいのではないか、あの惨状の中、自分も負傷しながら、子どもたちを救い出すことは無理だったと思っていました。今もそう思います。でも当事者の先生たちの気持ちはそうではない、そんなに割り切れるものではないのだと、豊濱さんの姿に教えられました。

 そしてもしQABが真相を突き止めなかったら、歴史の真実は隠されたままで、父母や教師の悲しみ、苦しみは救われることはなかったでしょう。怒りを日米政府に向けることもなかったでしょう。メディアの責務を痛感します。そしてだからこそ秘密保護法は絶対に通してはならないのです。
 父母、教師の悲しみ、怒りとともに、「宮森小事件」はまだ終わっていません。風化させてはなりません。校門横のひまわりが、そう訴えているようでした。<以上>

 「630会」の久高政治事務局長は、「一つ一つの活動に自身の全存在を懸けて取り組んでいた。人間の価値は生き方にあるということを教えてくれた」と、追悼文を寄せています(13日付琉球新報)

 9日の琉球新報は米軍が嘉手納基地にF16戦闘12機、兵員250人を暫定配備し、さらに周辺地域の危険性を強めようとしていることを1面トップで大きく報じました。
 同紙によれば、2013年度の嘉手納基地の航空機離着陸回数は前年度を1万回も上回る4万7078回。そのうち外来機の発着回数は1万2342回で前年度比24%増となっています。

 宮森小の子どもたち、地域の人たちの命を奪った米軍嘉手納基地は、今も基地機能が強化され、住民の危険は増大し続けているのです。
 沖縄の基地問題はけっして普天間・辺野古だけではありません。

 嘉手納基地をはじめ沖縄からすべての軍事基地を撤去すること。
 それこそが今、「宮森小事件」と豊濱さんの「生き方」から学ばねばならないことではないでしょうか。
 ご冥福をお祈りいたします。

 


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