アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

映画「東京2020オリンピック」の歴史的汚点

2022年06月29日 | 五輪と政治・社会・メディア
   

 国際オリンピック委員会(IOC)が河瀨直美監督に制作を依頼した記録映画「東京2020オリンピック」(SIDE:A、SIDE:Bの2部構成)が公開されています。

 もとよりIOCの「公認」記録映画ですからバイアスがかかっていることは承知でしたが、予想以上でした。あれほど問題が噴出し、世論を二分した「東京五輪」の「記録映画」であれば、なんらかの問題提起があるのでは、という思いもむなしく、とりわけ「SIDE:B」には怒りを禁じ得ませんでした。

 「SIDE:A」は「アスリート中心」とされ、河瀨監督は「女性アスリートが大きな比重を占めている」(カンヌでのインタビュー、5月26日の朝日新聞デジタル)と述べています。たしかに、カナダと日本のバスケットボール「ママアスリート」の対比が軸になっており、「ジェンダー問題」を意識していることはうかがえます。しかし、その掘り下げはきわめて中途半端・不十分です。

 より問題なのは、「SIDE:B」です。
 「B」では「延期」や「反対」はじめ開催に至る経過・問題点を描いているとされています。河瀨監督は、「大切だったのはこのオリンピックに反対していた人たちのこと」「中立で描く」(同インタビュー)と述べています。しかし、実際の映画は、この言葉とはほど遠いものです。

 冒頭から一貫して中心に描かれているのは、IOCのバッハ会長であり、女性蔑視で辞任した森喜朗組織委会長です。この2人が“主人公”です(河瀨監督の手法としてアップが多用されていますが、バッハ氏や森氏の顔のアップを何度も見せつけられるだけでも苦痛)。

 開催に反対した人たちがかろうじて画面に出てくるのは、開始から45分(3分の1)ほどたってから。しかも、抗議の声をまるで妨害の雑音であるかのように扱っています。バッハ、森両氏はじめ組織委関係者のインタビューが多用されているのに対し、反対派の意見をまともに聞いているのは演出家の宮本亜門氏だけ。それも1分ほどの短いものです。

 「大切だったのは反対していた人たち」という言葉はどこから出てくるのでしょうか。

 「コロナ」の医療現場はでてきますが、河瀨氏が「東京五輪反対」の理由が「コロナ」(だけ)だと思っているとすれば、認識不足も甚だしいと言わざるをえません。
 なお、その「コロナ」についてのコメントで、東北大の押谷仁氏を再三登場させたのも問題です。押谷氏は「コロナ」の初動段階で、「広範なPCR検査は医療崩壊を招く」と主張してミスリードした張本人だからです。

 こうして「SIDE:B」はこの映画の評価を決定的にするきわめて政治的な内容になっています。
 ただ、私のこの映画の評価はすでに「A」で、しかもその冒頭の1分で決まったと言っても過言ではありません。

 それは、冒頭の静寂の中、いきなり聞かされたのが、「君が代」の斉唱だったからです。
 これはアイロニー(皮肉)なのか、とも思いましたが、そうではありませんでした。「B」の最後は天皇が出席した開会式で締めくくられています。この映画はいわば、「天皇」で始まって「天皇」で終わっているのです。

 「東京五輪」強行がなぜ問題だったのか。根源は、「五輪」の商業主義とともに、その「国家主義」にあります。安倍・菅政権が「コロナ」禍の中、感染拡大の危険と庶民の困窮を歯牙にもかけず、莫大な税金を使って開催を強行した根底にも、国家主義の高揚を政権浮揚に結びつけようとする政治的思惑がありました。国家主義と天皇制が表裏一体であることは言うまでもありません。

 「五輪」・スポーツの国家主義からの脱却。それこそが「東京2020」が問いかけた根本問題でした。

 河瀨監督の映画にはその問題意識がまったく欠落しています。それどころか逆に、天皇制・国家主義を助長するものになっています。ここにこの映画の本質・歴史的汚点があると言わねばなりません。


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国籍・国家主義に翻弄される五輪選手たち

2022年02月22日 | 五輪と政治・社会・メディア

     
 北京五輪(20日閉幕)フィギュアスケート団体のアイスダンスで健闘した日本の小松原尊・美里ペア(写真左=朝日新聞デジタルより)。夫の尊氏は2年前に日本「帰化」しました。五輪に出場するためです。
「世界選手権など国際スケート連盟主催の大会であれば、国籍が(ペアの男女で)異なっても出場できるが、五輪は2人の国籍が同じでないと出られない」(17日の朝日新聞デジタル)からです。

 この“国籍の壁”のため、有力な選手が五輪に出場できないケースがあるといいます。「4年に1度の最高峰の大会のはず。なのに、世界選手権で上位の選手が出られないこともある。より多くの選手にチャンスがあった方が五輪は素晴らしい大会になると思う」(小松原美里選手)。2人は、「五輪には国籍を変えなくても出られるルールがあっていいのでは」と考えています(同朝日新聞デジタル)。

 五輪の“国籍の壁”に翻弄されているのはアイススケートの選手だけではありません。

「アイスホッケー男子中国代表チームは「傭兵軍団」だといっても過言ではない。代表チーム所属の25人の選手中19人が米国、カナダ、ロシア出身の選手だ」「即席の戦力強化を試みる国が帰化する選手を募集することも頻繁にある」(17日付ハンギョレ新聞電子版)

 スケートに限らず、五輪以外の世界選手権では国籍に関係なくチーム編成が認められています。東京五輪の前に行われたラグビーW杯(2019年10月)でも国籍混交チームが結成されて話題になりました。

 にもかかわらず、五輪が選手の国籍にこだわっているのは、五輪で国威発揚・誇示を図ろうとする国家の政治利用、国家主義に他なりません。

 典型的な五輪の政治利用として歴史に刻印されているのはナチス・ドイツによるベルリン五輪(1936年)です。その大会のマラソンで優勝したのは、帝国日本が植民地支配していた朝鮮のソン・ギジョン(孫基禎)選手でした。

 日本政府はソン選手の優勝を「国威発揚」「内鮮融和」に最大限利用しました。一方、当のソン選手は、表彰台で侵略・植民地支配の象徴である「日の丸」を見、「君が代」を聞かねばなりませんでした。

 ソン選手の母国である朝鮮では、優勝を報じた「東亜日報」(1936年8月25日付夕刊)がソン選手の優勝写真から胸の「日の丸」を消して日本に抗議の意思を示しました(いわゆる「日の丸末梢事件」、写真右)。(2019年7月30日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190730

 ベルリン五輪から3カ月後の1936年11月25日、日本はナチス・ドイツと「日独防共協定」を結び、翌37年の中国侵略へと突き進んでいきました。

 さらに日本は、ベルリン大会の次の1940年の大会を東京で開催することを目論み、ヒトラーの賛同を得ていったんは決まりましたが、戦争の激化で流れました。帝国日本がこの年に「東京五輪」を誘致したのは、「神武天皇即位」から数えて2600年の節目(「皇紀2600年」)にあたるとして、天皇制の強化を図ろうとしたからです。

 ベルリン五輪から「幻の東京五輪」に至るこの五輪の歴史を、私たちは忘れてはなりません。

 国を超えて健闘をたたえ合う選手たちの姿は感動的です(写真中はスノーボードの岩淵麗楽選手をたたえるカナダ選手=朝日新聞デジタル)。それはスポーツには「国籍」も「国家」も関係ない、必要ないことを示していると言えるでしょう。

 商業主義、メダル至上主義など、五輪には問題が山積していますが、五輪を続けるのであれば、何よりもその国家主義、国家による政治利用を撤廃しなければなりません。選手の“国籍の壁”を取り払うことはその第一歩になるのではないでしょうか。


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NHK字幕捏造問題と五輪記録映画の政治性

2022年01月18日 | 五輪と政治・社会・メディア

     

 NHKが東京オリ・パラ公式記録映画を製作している河瀨直美監督(写真左)を追ったドキュメント(昨年12月BS1放送)で、ある男性が報酬をもらって五輪反対デモに参加した、という事実確認のない字幕を流したことが問題になっています。

 これは「チェック体制の不備」などという技術的な問題ではありません。NHKは安倍晋三・菅義偉両政権が世論の反対を押し切って東京五輪を強行したことを一貫して後押ししてきました。そのNHKの「五輪反対デモ」への偏見が表れたものと言わねばなりません。

 こうしたNHKの体質は徹底的に追及しなければなりません。同時に、ここで考えたいのは、「五輪公式記録映画」がもつ政治性についてです。

 そもそも近代オリンピックは、「五輪憲章」に反して、開催国の思惑に利用されるきわめて政治性の強いイベントです。それは開催時だけでなく、その後の公式記録映画にも貫かれます。

 公式記録映画の政治性が最も色濃く表れたのは、ナチス・ドイツのヒトラーが国威発揚・世界制覇を狙って開催したベルリン大会(1936年)の公式記録映画、「オリンピア」です。第1部「民族の祭典」と第2部「美の祭典」の2部構成で、監督はヒトラーが直々指名した女性監督レニ・リーフェンシュタールです(写真中は「民族の祭典」の開会式場面=ユーチューブより)。

 「民族の祭典」は世界的に高い評価を受けましたが、ナチス・ドイツのポーランド侵攻による第2次世界大戦勃発(1939年)で欧州各国では上映が中止されました。しかし日本では1940年8月に公開され、爆発的な人気を呼びました。

日本における『民族の祭典』の上映開始は、世界的にみてまさに異例の事態だったのであり、日本とドイツが運命共同体的な深い絆によって結ばれていることを内外にさし示すものであった」(坂上康博著『スポーツと政治』山川出版社2001年)

 その「民族の祭典」には、リメイク、すなわち後から修正した捏造部分(棒高跳びの場面)がありました。作家の沢木耕太郎氏は、その事実を確認するため、1996年、ミュンヘンにレニ監督を訪ねました。レニ監督は、「あなたの言うとおり、棒高跳びは試合後に撮り直しました」と認めました(沢木耕太郎著『オリンピア  ナチスの森で』集英社文庫2007年)

 前回の東京五輪(1964年)の公式記録映画は、黒澤明監督に依頼しましたが、辞退されたため、市川崑氏の監督になりました(写真右=JOCのサイトより)。日本政府がレニ監督の「民族の祭典」の再現を狙ったことは想像に難くありません。しかし、市川監督はレニ監督と違い、政府(国家権力)の言いなりにはなりませんでした。

 そのことに試写会で不満をぶつけたのが、当時の自民党の重鎮・河野一郎五輪担当相でした(河野一郎は河野太郎元防衛相の祖父)。河野一郎は試写会のあと、記者団にこう言いました。

「あの映画には、いちばん大事な、日本の金メダル獲得バンザーイ、日の丸が揚がってバンザーイというシーンが、ちゃんと出てこないではないか。どうでもいい外人選手の汗やら筋肉のアップばかりで、肝心の日本の選手の活躍ぶりがすっかりおろそかになっている。じつにがっかりさせられた」(山口文憲編『やってよかった東京五輪 オリンピック熱1964』新潮文庫2020年)

 河瀨直美監督ははたしてどんな「公式記録映画」を作るのでしょうか。政府・組織委員会の意図に唯々諾々と従う国策映画なのか。それとも五輪反対の声・運動も公正な視点で取り上げる文字通りの「記録映画」なのか。河瀨監督の評価のみならず、日本の映画界にとってもきわめて重要な問題です。


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「北京五輪・外交ボイコット」を主張する前に

2021年12月18日 | 五輪と政治・社会・メディア

    
 バイデン大統領が対中国戦略から北京五輪の「外交ボイコット」を決め、同盟各国がそれに追随し、岸田政権も閣僚級の派遣を取りやめる方向といわれています。 

 市民運動や少数民族に対する抑圧・弾圧が許されないことは言うまでもありません。
 しかし、そのことと北京五輪の「外交ボイコット」は別です。「五輪の外交ボイコット」には別の問題があります。

 バイデン大統領の「外交ボイコット」決定後、いち早くそれに同調し、岸田文雄政権に圧力をかけたのは、安倍晋三元首相です。
 14日には3つの超党派国会議員連盟が岸田首相に会い、「外交ボイコット」を要求しましたが、その議連の代表は、自民党の高市早苗政調会長、下村博文前政調会長、古屋圭司政調会長代行で、いずれも安倍氏にきわめて近い極右の連中です。いわば安倍氏の別動隊といえます。

 およそ「人権擁護」とは無縁の安倍氏らが「外交ボイコット」を強く要求しているのは、中国敵視の政治的思惑によるもので、それ自身「五輪の政治利用」にほかなりません。

 「外交ボイコット」を云々する前に、考えねばならないことがあります。
 それは、そもそも五輪の開会式・閉会式に閣僚など「国の代表」を送る(IOCが招待する)こと自体が五輪の政治利用だということです。

 「オリンピックの根本原則」(7項目)は、「政治的中立」「いかなる差別」の禁止などを明記していますが、その主語はすべて「スポーツ団体」であり、「国」ではありません。五輪の「根本原則」に「国」の記述はありません。言うまでもなく五輪の主催者はIOCであり、「開催国」ではありません。

 本来、五輪は「国」とは距離をとり、その影響を受けるべきではなく、国家は五輪に干渉すべきではないのです。

 しかし、開催地の国家権力は五輪を最大限政治利用してきました。その典型は、ナチス・ヒトラーが牛耳ったベルリン大会(1936年)でした。
 その後も、商業主義に堕したIOCと各国政権の共謀で、五輪の政治利用は常態化してきました。

 今回の東京五輪はどうだったでしょうか。

 2020年3月24日、東京五輪の「1年延期」が決定されました。それを決めたのは、JOCではなく、IOCのバッハ会長と直接電話会談した安倍晋三首相(当時)でした(写真中)。

 延期を決定した場に居たのは、安倍氏のほか、小池百合子都知事、森喜朗組織委会長(当時)ら政治家だけで、山下泰裕JOC会長はじめアスリートは1人もいませんでした(写真右)。まさに五輪が政治・政権に乗っ取られていることを示す象徴的な光景です。

「バッハ会長と安倍首相の電話会談で東京五輪の延期が決まったが、その席に残念ながらスポーツ関係者はいなかった。…あの時(日本がアメリカに追随して1980年のモスクワ五輪をボイコットした時―引用者)、涙を流した山下氏は今、JOC会長として、アスリートへ説明する側の立場になっていることは皮肉な巡り合わせだ。自分が出席できなかった会議で出された決定をアスリートたちにどのように説明するつもりだったのだろうか。
 政治に支配される五輪の構図は今も変わっていない」(山口香筑波大教授・JOC理事「スポーツ、五輪は、どう変わるか」、村上陽一郎編『コロナ後の世界を生きる』岩波新書2020年所収)

 「外交ボイコット」の是非を云々する前に、五輪を外交の舞台にしてきた国家による五輪の政治利用・政治支配そのものを問い直すことこそ必要なのではないでしょうか。


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パラリンピックの陰で、後退する障がい者政策

2021年09月06日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 東京パラリンピックが5日終わりました。選手たちの感動的な姿の一方、東京五輪・パラリンピックの期間中、コロナ禍は拡大しました。そして閉会式でも、「日の丸」「君が代」「皇族」「自衛隊」が四位一体で強調され、国家主義が煽られました。

 障がい者が生きやすい社会の実現という視点から見ても、パラリンピックというイベントの陰で、本来充実すべき政策が置き去りにされ、後退している実態が、大会期間中の報道でも浮き彫りになりました。

 1つは障がい者雇用です。厚生労働省の集計では、2020年度にハローワークを通じて就職した障がい者の延べ人数は、前年度から大きく減少し、8万9840人にとどまりました。減少はリーマン・ショック時の08年度以来です。

 その主な理由は、菅政権が推奨する「リモートワーク」によって、配送物の仕分けや清掃など、出社が前提となる障がい者が大量に解雇され、再就職が困難になったことです(8月27日付中国新聞)。

 菅政権と経団連など財界団体は、「リモートワーク」が感染防止の決め手であるかのように推進していますが、それによってふるい落とされる障がい者のことは念頭にあるのでしょうか。

 障がい者雇用が減少した一方、逆に増加したものがあります。障がい児がいる家庭に支給される「特別児童扶養手当」の申請却下です。

 「特別児童扶養手当」(受給者約24万人)は、申請に対し各自治体の判断医が審査しますが、厚労省の統計によると、「障害が基準より軽い」などといって却下される件数が09年度は1410件であったのが、19年度には3950件と、10年間で2・8倍に増加しました。

 申請却下とは別に、受給更新の審査で打ち切られるケースも増加傾向にあり、16年度には09年度の2倍近い3880件にのぼりました(8月30日付中国新聞)。

 NPO法人広島自閉症協会の小野塚剛理事長は、パラリンピックのアスリートたちの姿が「大きな感動を与えていることは間違いない」としながら、「ただ、障害のある家族がいる者として、さめた気持ちも同居している。一過性となりがちな特別の場での感動を、持続力ある理解や関心につなげられるのかという疑問だ」とし、こう述べています。

「「♯We The 15」に注目したい。…これは7人に1人は何らかの障害があることを示している。…差別的言動をした人はそろって「理解不足」「不勉強」と説明する。だが、本質は「無関心」にある。障害のある隣人に気付かないのである。見えていないのである。…どれだけの人が、困難に直面している人がすぐ隣にいることに気付けるか」(9月2日付中国新聞)

 政府(国家)は一過性のスポーツイベントで、障がい者政策の貧困を隠ぺいし、逆に国家主義の高揚、政権維持に政治利用しようとします。
 それを許しているのは、政府になびくメディアと、市民の「無関心」です。

 必要なのは、一過性のイベントの「感動」ではなく、障がい者を差別し、戦争や紛争で障がい者を生み出す国家に対する関心・批判を持続させることではないでしょうか。


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パラリンピックと戦争・兵士

2021年09月02日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 パラリンピックでの障がいをもったアスリートたちの健闘は感動的です。が、それはパラリンピックの表側。パラリンピックには別の側面もあります。それは戦争との切っても切れない関係性です。

 そもそも、パラリンピック誕生のきっかけは戦争です。

 世界中で戦争が勃発していた1900年代前半、ロンドンの病院で脊髄を損傷した兵士の治療にあたっていたルードウィッヒ・グッドマン医師は、身体や心に傷を負った軍人の治療にスポーツを取り入れました。
 そして1948年のロンドン五輪開催に合わせ、病院内で「車いす患者によるアーチェリー大会」を行いました(写真左)。これがのちのパラリンピックの始まりです(「東京オリパラ組織委」HPより)。

 戦争で負傷した兵士の治療・リハビリ。それがパラリンピックの原点だったのです。

 重要なのは、パラリンピックと戦争の関係は過去の話ではないことです。

 今回出場が危ぶまれたアフガニスタンの陸上男子ホサイン・ラスリー選手(写真中の左)は、左前腕を失っていますが、それは8年前に地雷の被害に遭ったためです。

 前回、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックのとき、NHKクローズアップ現代+は、「戦場の悪夢と金メダル・兵士たちのパラリンピック」と題した番組を放送しました(2016年9月12日)。以下はその概要です。

 < パラリンピックに出場しているアメリカ選手の10人に1人は、元兵士、すなわち戦場で負傷し障がい者になった負傷兵たちである。

 例えば水泳のスナイダー選手(50m自由形で金メダル、写真右)は、戦場で間近に地雷が爆発し、全盲に。失意のスナイダー氏を救い、新たな生きる意欲を与えたのが水泳だった。彼は体中にタトゥがある。それには戦場に散った戦友たちの悔しい思いが込められている。

 アメリカだけではない。欧州、中東、アフリカの13か国の選手団に戦傷した元兵士が含まれている。

 アメリカは国家を挙げて、「負傷兵をリオ・パラリンピックへ」という運動を展開した。全米で「負傷兵のスポーツ大会」を開催し、その中から選手を育成した。

 その狙いは、「回復した兵士の姿を見せて負傷兵を奮い立たせる」(スポーツプラグラム責任者)ことである。

 さらにアメリカはパラリンピックへ向け、50億円を投じて負傷兵用のリハビリ病院を建設。その結果、「重症を負いながらも現役復帰を望む兵士が増えている」(リハビリ病棟の施設長)。負傷兵の約2割が「任務復帰」した。>

 スポーツで負傷兵の治療・リハビリを図るだけでなく、負傷兵を奮い立たせ、現役兵士への復帰を図り、再び戦場へ送り込む。それがパラリンピックにかけるアメリカの国策だというのです。

 これは5年前の報道ですが、アメリカのこうした国策が前回で終わったとは考えられません。

 そのアメリカ(米軍)と、日米軍事同盟(安保体制)によってますます従属的一体化を強めている日本(自衛隊)。「負傷兵を奮い立たせる」アメリカのパラリンピック戦略が、日本にも該当する日が来ないとは言い切れません。





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新谷仁美と円谷幸吉―アスリートの新たな生き方とは?

2021年08月12日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 菅義偉政権による東京五輪強行は、政治に利用・翻弄されるオリンピックの実態をさらけ出しました。それは同時に、アスリートの社会性、生き方への重要な問題提起にもなりました。

 開会前、元ラグビー日本代表の平尾剛氏(神戸親和女子大教授)は、オリンピックは「権力者のレガシー(遺産)づくりと資本家が商機をつかむための巨大イベント」だと指摘するとともに、日本のアスリートが五輪開催の是非について発言しようとしない状況に危機感を持ち、こう述べていました。
「(アスリートは)語らないといけない。そうしないとスポーツの力は平時でしか通用しないことになる」(7月14日付沖縄タイムス=共同)

 そんな中、当初から自らの考えを率直に発信し続けていた稀有なアスリートがいました。陸上の新谷仁美選手です(写真左、中)。

 新谷選手はことし1月、開催か中止かで社会の意見が分かれていたとき、こう言い切りました。
「(東京五輪開催に)アスリートとしては賛成です。でも、国民としては賛成できません。国民と一体になってこそのオリンピックです。私たち(アスリート)(国民に)よりそわなければなりません」(1月23日のNHKニュース)

 五輪選手へのワクチン優先接種についても、「どの命にも大きい、小さいはないのに、五輪選手だけがっていうのはおかしな話だと思います」(7月16日NHK「スポーツ×ヒューマン」)と五輪選手の特別扱いに反対しました。

 同時に新谷選手には、「どんな事があっても結果を出さないとアスリートじゃないとも思う」(同)という信念もあり、「市民」としての自分と「アスリート」としての自分とのはざまで苦しみました。

 7日行われた女子1万メートル決勝で、新谷選手は自己ベストから2分以上遅い21位でした。レース後、苦しかった心境をこう吐露しました。「(昨年)12月に代表に決まってから、ただただ逃げたかった」(7日の朝日新聞デジタル)

 五輪を政治利用する政権(国家)に翻弄され押しつぶされるアスリート。
 その姿を、日本人はすでに前回(1964年)の東京五輪で目の当たりにしたはずです。新谷選手と同じ陸上の円谷幸吉選手(写真右)です。

 円谷選手はマラソンで堂々の3位でしたが、周囲はそれに満足しませんでした。円谷選手も優勝できなかったことで自分を責めました。周囲は次の五輪こそはと期待(圧力)をかけましたが、円谷選手はメキシコ大会を目前に自ら命を絶ちました(1968年1月9日、享年27)。

 円谷選手はなぜここまで追い込まれたのか。それは彼が自衛隊員だったからです。

 自衛隊は東京での五輪開催が決まった直後に、自衛官メダリストを育成するために自衛隊体育学校を造りました。円谷選手はその1期生であり、金メダルがノルマでした。それはアスリートとしての目標というより、五輪で国威発揚と自衛隊の社会的認知を図る自衛隊員としての任務でした。その重圧と、自衛隊内の非人間的な指導(命令)が彼を死に追いやったのです(2019年1月12日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190112

 円谷選手の悲劇から、日本人は五輪・スポーツの政治性、アスリートが国家権力につぶされる実態の根を断つべきだったのです。しかし日本(人)はそれをせず、逆に国家権力による五輪の政治利用をやりたい放題許してきました。それが安倍・菅・森・小池らによる今日の到達点です。

 しかし、円谷選手と新谷選手には大きな違いがあります。それは新谷選手が口を閉ざすことなく自らの思い・考えを発信し続けてきたことです。

 大会が終わって、佐伯年詩雄筑波大名誉教授(スポーツ社会学)は、「アスリートはもっと社会と、自らがスポーツできる環境に敏感であってほしい」(9日付共同配信記事)と、アスリートの社会性に注意を喚起しました。

 新谷選手はレース後、自分を責めて「下を向いた」(7日の朝日新聞デジタル)といいますが、下を向く必要はまったくありません。新谷選手は「社会に敏感」であり、自分の考えを積極的に「語る」アスリートの姿を身をもって示してきたのです。それはこれからのアスリートにとって大きなレガシーとなるはずです。


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五輪閉会式・なぜ古関裕而の「オリンピックマーチ」なのか

2021年08月09日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 8日夜の東京五輪閉会式。奇異だったのは、各国の国旗・選手団入場の際に流された(約30分間、後半はアレンジ)曲が、「オリンピックマーチ」(以下「マーチ」)だったことです。
 「マーチ」は、前回1964年の東京五輪の開会式で各国選手団が入場する際に流された曲です。なぜ57年前に使った曲を“復活”させたのか。前回大会との連続性が演出されたこと自体、時代錯誤と言わねばなりませんが、そこにはさらに見逃せない問題があります。

 第1に、「マーチ」は古関裕而(1909~89)の戦後の代表作です。「マーチ」の“復活”は古関の“復活”と言っても過言ではないでしょう。NHKの中継も古関の作曲であることに触れました。
 古関裕而とはいかなる人物だったか。NHKが朝ドラ「エール」の主人公に取り上げた際に指摘しましたが(2020年5月19日のブログ参照)、特徴は3点あります。

①軍歌(戦時歌謡)の大量作曲で戦争協力 

 古関の作曲は5000にのぼると言われていますが、その多くは軍歌・戦時歌謡です。とりわけ「若鷲の歌」は未成年の若者を戦地へ駆り出した歌として有名(悪名)です。敗戦後、古関は戦犯に問われることを恐怖しました。それは免れたものの、積極的に戦争に協力したことに対し、古関は明確な反省(自己批判)をしていません。

②自衛隊の隊歌を数多く作曲 

 反省どころか古関は、敗戦後、帝国軍隊を継承する自衛隊の隊歌を数多く作曲しています。それはいまも自衛隊の歌となっています。「自衛隊創立10周年記念」の陸上自衛隊歌「この国は」、「創立20周年記念」の「栄光の旗の下に」、海自歌「海を行く」などはすべて古関の作曲です。

③天皇・皇室崇拝

 古関は天皇裕仁の即位式(1928年11月10日)に先立って、「御大典奉祝行進曲」なる曲を作曲しています。また、皇族の北白川宮永久が中国侵略戦争で戦死したさい(1940年9月)、「嗚呼北白川宮殿下」なる歌がつくられましたが、作曲を指名されたのは古関でした。

 第2に、「マーチ」には“隠し味”があります。それは「君が代」です。
 古関自身が、「曲の最後に君が代の後半のメロディーを入れた」(「サンデー毎日」1964年11月1日号、刑部芳則著『古関裕而』中公新書2019年より)と明かしています。古関の天皇崇拝を象徴するものです。

 各国選手団は「君が代」が隠されている曲で入場したことになります。そのことを知っている選手はいないでしょうが、企画・演出した大会組織委は知っているはずです。知らないではすまされません。

 第3に、1964年の大会で「マーチ」を演奏したのは、自衛隊音楽隊です。今回、開・閉会式で自衛隊音楽隊の出番はありませんでしたが、自衛隊は「日の丸」や大会旗の掲揚、さらに各競技会場での表彰式での国旗掲揚を一手に行いました。「マーチ」はそれに加え、音楽でも自衛隊を想起させるものでした。

 開会式、閉会式の演出・パフォーマンスについての感想・評価はさまざまでしょう。しかし事実として明確なのは、始めから終わりまで、天皇徳仁(開会式)と皇嗣秋篠宮(閉会式、写真右)の前で、「日の丸」と「君が代」と「自衛隊」が強調された開・閉会式であり、大会だったということです。そこに「東京五輪」の本質が表れています。


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”金メダルを噛む”だけが問題ではない―五輪の政治利用

2021年08月07日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 名古屋市の河村たかし市長が金メダル獲得の報告に訪れたソフトボール・後藤希友選手の金メダルを突然噛んだ(4日、写真左)ことは、まともに論評する価値もないほど愚劣な行為ですが、これには河村氏だけの問題ですませられない側面があります。

 それは河村氏の行為が、「アスリートに失礼」「コロナ感染上も問題」なのはもちろんですが、本質的には政治家(政治屋)による東京五輪・メダリストの政治利用の問題だということです。

 政治家はメダリストとのツーショットがイメージアップになると考え、映像や写真を政治利用しようとします。メダルを噛むのは河村氏の特殊性ですが、メダルを自分の首にかけたり、ツーショット写真を後援会会報などに使うことは頻繁に行われています。

 問題は、こうした政治家による東京五輪の政治利用が、河村市長のような浅薄なものだけではないことです。

 1日の中国新聞2面に、次のようなベタ記事がありました。

<自民党の河村建夫元官房長官は31日、東京五輪で日本代表選手が活躍すれば、秋までにある次期衆院選に向けて政権与党に追い風になるとの認識を示した。

 萩市の会合で「五輪で日本選手が頑張っていることは、われわれにとっても大きな力になる」と述べた。

 新型コロナウイルスが感染再拡大する中での五輪開催に批判的な声があることには「五輪がなかったら、国民の皆さんの不満はどんどんわれわれ政権が相手となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」とも語った。>(1日付中国新聞)

 河村氏(写真中)は、小泉純一郎内閣で文科相、麻生太郎内閣で官房長官を務めた自民党の幹部。同じ河村でも名古屋市長のそれとは発言の重みが違います。地元・萩市での支持者の会合で、思わず本音が飛び出したのでしょう。

 ここには菅義偉政権・自民党が「世論」の大きな反対を押し切って東京五輪を強行した政治的思惑が端的に示されています。

 それは、①コロナ対策の失政に対する批判を五輪で紛らわす②日本選手が活躍すれば五輪を開催した菅政権・自民党への支持も上向く―という二重の意味で、間近に迫った衆院選に向けて自民党に有利に働くという思惑・打算です。

 この河村元官房長官の発言は、菅首相が「五輪が始まれば空気が変わる」と再三述べていたことと通底しており、けっして河村氏だけの本音でないことは明らかです。
 菅・自民党による東京オリ・パラ強行は、こうした政治的打算・政治利用の産物にほかならないことをはっきり記憶に残す必要があります。

 


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五輪会場で天皇が秘密裏に憲法違反行為

2021年08月05日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 7月26日付中国新聞2面にあったわずか20行のベタ記事(共同電)。その内容はきわめて重大なものでした。

< 藩基文氏と天皇陛下が面会
 【ソウル共同】韓国の聯合ニュースは25日、国連の前事務総長、藩基文(パン・キムン)氏が東京五輪に合わせて訪日し、23日夜の開会式終了後に東京の国立競技場の貴賓室で天皇陛下と面会したと報じた。聯合によると天皇陛下の要請による10分程度の面会で、双方が日韓関係改善の必要性で認識を一致させたとしている。(以下略)>

 この記事が事実なら、天皇徳仁は東京五輪開会式のあと、会場の国立競技場で重大な憲法逸脱行為を行っていたことになります。

 天皇が外国の要人と会うのは「皇室外交」と称する天皇の「公的活動」です。その是非はともかく(私はあるべきでないと考えますが)、それは「内閣の助言と承認を必要」(憲法第3条)とします。
 ところが記事によると、パン氏との会談は天皇の要請によるといいます。つまり天皇が主体的に自分の意思で会談を設定したことになり、憲法第3条に抵触します。

 さらに、「日韓関係改善の必要性で認識を一致させた」とあります。どのような議論でどのように「認識を一致させた」かは明らかにされていませんが、「日韓関係」は言うまでもなく現下の極めて重要な外交課題、すなわち政治問題です。その議論を行い、外国の要人と「認識を一致」させることが、憲法第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」に反していることは明らかです。

 念のために付言すれば、内容(「日韓関係改善の必要性」)の良し悪しは関係ありません。いくらいい内容でも、天皇は政治的発言・活動を行ってはならないのです。それが憲法の規定です。この点、時の政権(とりわけ安倍・菅政権)との比較で、天皇に政治的発言を期待する傾向がいわゆる「民主陣営」に散見されますが、それは明確な誤りです。

 冒頭の記事は、天皇徳仁が憲法第3条、第4条に二重に違反した疑いがきわめて濃厚であることを示しています。

 この重大なニュースを、中国新聞は2面ベタ扱いでしたが、私が見た限り、この件を報じた日本の新聞は他にありませんでした。

 それだけではありません。宮内庁HPに常設されている「天皇の日程」でも、この日、国立競技場で要人と会談(会見)した記述はありません(写真右は公表された23日の皇居内での外国要人との会見)。

 つまり、この会談は秘密裏に行われた可能性があります。だから宮内庁は「公式日程」には入れず、日本のメディアに発表もしなかったのではないでしょうか。それを韓国の聯合ニュースが報じてしまった、というのが真相ではないでしょうか。

 すなわちこれは、天皇による秘密裏の憲法違反行為ということになります。

 東京五輪は国家主義発揚の場であり、「開会宣言」などで天皇を「国家元首」扱いして天皇制を強調する場でもあります(7月3日、24日、26日のブログ参照)。それだけにいっそう、開会式の日に、国立競技場で秘密裏に行われた天皇による憲法違反行為は絶対に容認することができません。


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