日高町国府平野 実り豊かな稲穂
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(3級)問題より
問【5】 但馬地域にJRの駅は、いくつあるでしょうか。
(a)20 (b)23 (c)26 (d)29
但馬を走る播但線には、
1.生野(いくの)
2.新井(にい)
3.青倉(あおくら)
4.竹田(たけだ)
5.和田山(わだやま)の、5つ駅があります。
但馬を走る山陰線には、
1.梁瀬(やなせ)
(和田山:播但線と接続駅)
2.養父(やぶ)
3.八鹿(ようか)
4.江原(えばら)
5.国府(こくふ)
6.豊岡(とよおか)
7.玄武洞(げんぶどう)
8.城崎温泉(きのさきおんせん)
9.竹野(たけの)
10.佐津(さつ)
11.柴山(しばやま)
12.香住(かすみ)
13.鎧(よろい)
14.餘部(あまるべ)
15.久谷(くたに)
16.浜坂(はまさか)
17.諸寄(もろよせ)
18.居組(いぐみ)の、18駅があります。
合計で但馬地域には23駅があるのです。
国鉄の時代は、豊岡駅からスタートする宮津線がありました。豊岡駅の次に
但馬三江(たじまみえ)駅がありましたが、今はJR西日本ではありません。
なのでカウントできません。答えは(b)23が正解です。
『国府駅ができる』
ケンちゃんよ、国府駅って小さいころから良く電車を見に行ったね。
長楽寺(ちょうらくじ)からの帰りに駅に寄って、小さなトンネルを通って2
番ホームに上がって、豊岡の方から走ってくる電車をよく見たね。ミオちゃん
を生むために入院してたケンちゃんの母ちゃんに、電車と撮った写真見せに病
院に行ったことあったね。
線路が上り下りってあって、ホームもこっちとあっちに二つ。ただそれだっ
けの無人の国府駅の話をしようか。
山陰線が豊岡まで開通したのは、明治42年っていって107年も昔なんよ。
その時分はまだ国府駅はなかったの。国府の人は江原(えばら)駅まで出かけ
にゃならんだろ、国府に駅が誰もほしかったの。一生懸命一生懸命「駅をつけ
ておくれんしゃあな」と、あっちに頼みこっちに頼み頑張ったの。
頼んで作ってもらうことを請願駅(せいがんえき)といって、地元のもんが
頼んで頼んで作ってもらう駅なんだわ。明治45年ごろから延々と頼んで、国
府駅ができたのは昭和23年10月なんよ。35年もかかったの。
じいちゃんの一番上の姉さんも「駅を造るのに大人も子供も、どの家の者も勤
労奉仕したんだよ。お金も少しだけど出したんよ」と言ってたよ。
そりゃあ国府駅ができたときの、国府の人たちの嬉しさ喜びようは物凄いも
のだったんそうだよ。今から70年ほど昔の話なんよ。ちゃんと駅舎もあって、
改札口もあって駅員さんもいて、じいちゃんの小さいころから大人になるころ
まで、国府駅を利用して汽車に乗る思い出いっぱいなんだわ。
これから一つ一つ、国府駅の思い出も話すから楽しみしてね。無人駅になっ
て駅舎もなくなって、すっかり昔の面影ないけれど、ケンちゃんには昔の国府
駅ってこんなに素晴らしいとこだったよって話すよ。楽しみにしててよ。
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(3級)問題より
問【5】 但馬地域にJRの駅は、いくつあるでしょうか。
(a)20 (b)23 (c)26 (d)29
但馬を走る播但線には、
1.生野(いくの)
2.新井(にい)
3.青倉(あおくら)
4.竹田(たけだ)
5.和田山(わだやま)の、5つ駅があります。
但馬を走る山陰線には、
1.梁瀬(やなせ)
(和田山:播但線と接続駅)
2.養父(やぶ)
3.八鹿(ようか)
4.江原(えばら)
5.国府(こくふ)
6.豊岡(とよおか)
7.玄武洞(げんぶどう)
8.城崎温泉(きのさきおんせん)
9.竹野(たけの)
10.佐津(さつ)
11.柴山(しばやま)
12.香住(かすみ)
13.鎧(よろい)
14.餘部(あまるべ)
15.久谷(くたに)
16.浜坂(はまさか)
17.諸寄(もろよせ)
18.居組(いぐみ)の、18駅があります。
合計で但馬地域には23駅があるのです。
国鉄の時代は、豊岡駅からスタートする宮津線がありました。豊岡駅の次に
但馬三江(たじまみえ)駅がありましたが、今はJR西日本ではありません。
なのでカウントできません。答えは(b)23が正解です。
『国府駅ができる』
ケンちゃんよ、国府駅って小さいころから良く電車を見に行ったね。
長楽寺(ちょうらくじ)からの帰りに駅に寄って、小さなトンネルを通って2
番ホームに上がって、豊岡の方から走ってくる電車をよく見たね。ミオちゃん
を生むために入院してたケンちゃんの母ちゃんに、電車と撮った写真見せに病
院に行ったことあったね。
線路が上り下りってあって、ホームもこっちとあっちに二つ。ただそれだっ
けの無人の国府駅の話をしようか。
山陰線が豊岡まで開通したのは、明治42年っていって107年も昔なんよ。
その時分はまだ国府駅はなかったの。国府の人は江原(えばら)駅まで出かけ
にゃならんだろ、国府に駅が誰もほしかったの。一生懸命一生懸命「駅をつけ
ておくれんしゃあな」と、あっちに頼みこっちに頼み頑張ったの。
頼んで作ってもらうことを請願駅(せいがんえき)といって、地元のもんが
頼んで頼んで作ってもらう駅なんだわ。明治45年ごろから延々と頼んで、国
府駅ができたのは昭和23年10月なんよ。35年もかかったの。
じいちゃんの一番上の姉さんも「駅を造るのに大人も子供も、どの家の者も勤
労奉仕したんだよ。お金も少しだけど出したんよ」と言ってたよ。
そりゃあ国府駅ができたときの、国府の人たちの嬉しさ喜びようは物凄いも
のだったんそうだよ。今から70年ほど昔の話なんよ。ちゃんと駅舎もあって、
改札口もあって駅員さんもいて、じいちゃんの小さいころから大人になるころ
まで、国府駅を利用して汽車に乗る思い出いっぱいなんだわ。
これから一つ一つ、国府駅の思い出も話すから楽しみしてね。無人駅になっ
て駅舎もなくなって、すっかり昔の面影ないけれど、ケンちゃんには昔の国府
駅ってこんなに素晴らしいとこだったよって話すよ。楽しみにしててよ。