ふるさとの話を書いてて想う

2015年08月20日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   ありがたき哉  ふるさとの  はなし書きつつ  良さを知るとき



3月号から書き始めました。
街のでんきや便りに添えます楽しいクイズ、そのヒントも兼ねて書きます作文は「ふるさとの話」です。

半年続きました。
お客さまの読まれての反響は「初めて知ったわいい話ね」、「私の里の話で楽しく読みました」、

「クイズは、ふるさとの話読んでやっと分かりました。よかったわ」と、大変好評な声でした。

3月の「コブシ咲くふるさと」、
4月の「松岡のババ焼き祭り」、
5月の「水生城の最後の決戦」、

6月の「気象予報の生みの親・桜井勉のお話」、
7月の「江原駅のいい話」、
8月の「府中新の7体あるのに六地蔵」、

そして、来月9月号のふるさとの話しは今日書けました。
9月号は「出石の誇り、大投手・大友工のお話」です。

いつもふるさとの話を書きながら想います。
ふるさと但馬や我が街日高町、それに出石も豊岡も但東も、城崎、竹野と調べて話、
なんとなんと、素晴らしい歴史や、人物や行事を発見します。

本当に、ふるさと但馬の良いところ、
いっぱい知ること嬉しいですね。

今日書きたての、9月号の「ふるさとの話」をアップしてみます。



ふるさとの話 9月号

今月は、出石町材木出身の元プロ野球選手「大友工」さんのお話しです。
ブロンズ像も誇らしく凄い活躍のいい話です。

クイズのヒントも隠れています。

出石出身の名投手
 先月、夏の高校野球は早稲田の清宮内野手(1年)や、
関東第一のオコエ外野手(3年)などの目を見張る活躍
で、熱戦が大いに盛り上がりました。
プロ野球では、ふるさと出石の能見投手が阪神で活躍し
ています。
出石には、60年ほど昔になりますが、物凄い成績を残
し名声をほしいままにした投手がいたのです。
出石町材木の出身で、読売巨人軍で活躍した大友工(お
おとも・たくみ)投手です。

出石の誇りとして
 出石温泉乙女の湯の手前のグランドに、大友工の立派
なブロンズ像が建立されています。また、出石明治館の
中の一室は、大友工の数々の偉業を紹介する展示室とさ
れ、大友工のユニホームや、楯やトロフィーが数多く展
示されています。
出石の誇りとして、像や展示室があるほどの大友工は、
どれくらい凄い投手だったか今回はその話しです。

軟式社会人野球から
 大友工は、大正14年2月19日に出石町材木に生ま
れています。電信兵で終戦を迎え、戦後は故郷に戻り炭
焼きなどをして過ごした時期もありました。その後、但
馬貨物(新日本運輸)に勤務のかたわら軟式野球をした
のです。
今のように、少年野球などの経験はありません。20代
からの野球です。
昭和23年秋、全国車輛軟式野球大会の近畿大会でベス
ト4まで進出します。その時の、球威ある投法がスカウ
トの目に留まり読売巨人軍に入団したのです。
昭和24年5月、66年前のことです。

ものすごい努力
 軟式球しか握ったことがない大友は、硬式球に慣れる
ために物凄い努力をします。手に球を握ったまま眠り、
球の感触を体に覚えさす。
球威を増すため、ステップを広げる投球で、自然に体
が右に傾くサイドスローの投法です。

巨人軍での活躍
 巨人軍に入団2年目で11勝4敗、3年目にして巨人
の主戦投手に躍り出たのです。それからの活躍が凄いで
す。
3年目には、松竹相手にノーヒットノーランの完全試合
を含む17勝8敗、4年目は27勝、5年目は21勝、
6年目はなんと30勝6敗なのです。
プロに在籍の10年間で、通算130勝57敗という驚
異的な勝率の成績です。特に広島には滅法強く、対広島
戦18連勝のあと1敗を挟んでまた12連勝したことも
あり、7年間の対広島戦は、41勝3敗というありさま、
「大友投手が先発の試合、今日も絶対勝つ気がしない」
と試合前の広島ナインに言わせたそうです。
昭和28、29、30年の3年の間、最優秀防御率、最
多勝利、最優秀勝率の投手三冠に、沢村賞を始め、日本
シリーズ最優秀投手賞など数々のタイトルを総なめ状態
なのです。

日本人初、メジャー相手に完投勝利
 昭和28年秋に来日したアメリカのメジャーリーグ球
団、ニューヨークジャイアンツと巨人との日米野球では、
9連敗のあとの10試合目です。
大友工投手は先発し、試合は1失点するものの9回を投
げ切り、2対1で巨人の勝利です。「地面の底から浮き
出す球は打てない」と、メジャーリーガーを驚かした投
球で、日本人初のメジャーリーグ球団相手の完投勝利を
挙げたのです。
戦後8年目の日本です。
球場の観客は、わんわの歓喜に沸く大興奮、ムチャクチ
ャに凄いことだったようです。
そんな凄い球史に残る大投手「大友工」が、60年前の
出石の町から出て活躍されたのです。
(出石明治館の資料などから、大友工の話を書きました)