日本再生へ「希望の種」まく・・・野田首相の所信表明演説を読む

2011年10月29日 | 世相雑感
(ちょっと情緒的な例えの多すぎる、所信表明演説の全文を読みました)

1月の通常国会での冒頭演説は施政方針演説、それ以外の臨時国会の冒頭での演説は所信表明演説と言います。どちらかというと、施政方針演説に比べて所信表明演説は中身にやや具体性がなくっても許されるのでしょうか、具体的な趣のする「施政」という言葉に対して、何となく気持ちを伝えればという感じの「所信」という言葉なのでしょうか?、それとも「方針」に対して「表明」という表し方でしょうか?、いつの総理大臣が国会で演説する内容を読んでみましても、「所信表明演説」は何となく心持ばかりの情緒的な文言に終始しているように感じます。

昨日の第179回臨時国会の衆院本会議場で、9月13日に続いて2回目の野田首相の所信表明演説がありました。
本日の新聞に載っています演説の全文を読んでみます。読み終えました感想は、最初に書きました通りの、何とも言えない「気持ちを吐露する情緒的な文言ばかりが延々続き、具体的な施策に賭ける意気込みが伝わらないな~」と言う感じです。
新聞には大きく、《日本再生へ「希望の種」まく》の見出しで演説の全文が載っています。
野田首相の気持ちを表す演説のキーワードは「希望の種」であり、「希望づくり」であり、希望、希望と「希望」の言葉がよく出てまいります。

《平泉は、平安末期に、争乱で荒れ果てた東北の地を復興する営みの中で生まれました。明治の大火災で町を焼かれた川越や高岡の人々は、耐火建築とし「蔵造り」を広め、風情ある町並みを後世に残しました。関東大震災のがれきは海に埋め立てられ、横浜の名所としてにぎわう山下公園に姿を変えています。繰り返す戦禍や災害に打ちのめされながらも、先人たちは、明日に向かって「希望の種」をまき、大きく育ててきました。》と、「希望の種」をまいた先人の心を取り上げています。

被災地の子供たちから聞いた、《「早くお外で鬼ごっこやリレーをしたい」、「お友だちとドングリ拾いやきれいな葉っぱ集めをして遊びたい」、前歯が抜けたままの顔で屈託なく笑う福島の幼稚園児たちの言葉が、私の脳裏から離れません。》の言葉を使って、首相の優しい気持ちを伝えようとしています。
所信表明ですから、具体的な施策に対する考え方が表さなくてもいいいとは考えられません。9月に続いて2回目です。震災復興は最重要課題です。でも今の日本には課題山積、どれもこれも喫緊のものばかり、気持ちを表明する段階から具体的な決断をはっきり表明する時が迫っていますね。
前回から一ヶ月半過ぎてもまだ同じことです。TPPの事でも、普天間基地の事でも、相変わらずの差しさわりない、周り中に気を使ったような発言ばかり、何も決められない覚悟のない言い回しばかりです。
読み進んでいってもいっても超が付きます安全運転の、どこからも文句が出ないような、それでいて日本の針路を、覚悟を持った言葉で指し示すような感じが伝わらない文言ばかりです。

言志四録を著した江戸時代の儒学者・佐藤一斎の「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛す」の言葉を引用して、政治や行政に携わる者の身の処し方を説いておられます。
その通りです。
でも、優しい言葉や気持ちばかりではいけません。首相ならば、具体的に日本を立て直す厳しい改革を打ち出して、実際的に実行してもらわなければなりません。演説内容は、当たり障りないことばかりが続いて、全文読んでもその気迫が迫りませんね。

《「嬉しいなという度に 私の言葉は花になる だから あったらいいなの種をまかこう 小さな小さな種だって 君と一緒に育てれば 大きな大きな花になる」》と、詩人の言葉を例えに挙げて、《私は信じます。「希望の種」をまきましょう。そして被災地に生まれる小さな「希望の芽」をみんなで大きく育てましょう。やがてそれらは「希望の花」となり、すべての国民を勇気づけてくれるはずです。・・・・今こそ「希望づくり」の先頭に立ってともに行動を・・・・》と、最後の最後まで情緒的な言葉が続きます。

2010年10月の管首相の所信表明演説は、「有言実行内閣のスタートであります。何を実行するのか。一言で申しあげれば、これまで先送りしてきた重要政策課題の実行です。」と前置きして、 解決すべき重要政策課題は、「経済成長」、「財政健全化」、「社会保障改革」、「地域主権改革の推進」、「主体的な外交の展開」と結構具体的なものでした。しかし、たいして実行力もともなかった後で読み返せば、何とも空虚な感じです。
鳩山首相だって、きれいな詩的な訳の分からない言葉が躍っていました。麻生首相だって、元気は良いが野党の民主党に挑戦するような言葉が続いていました。後で読み返せば、これもなにやら変な気持ちの後味の悪さ、時々の首相の所信表明演説って、読んでてその時はハ~~って感じることもありますが、後になって何か虚しくなりますね。

《所信とは 信ずる所を 詩にします》