斎藤隆夫の演説を読む

2008年02月02日 | 世相雑感
                     (静思堂の斎藤隆夫像)

わが町の隣、豊岡市出石町出身の斎藤隆夫は、大正・昭和の40年間に衆議院議員当選13回を数え、後の世に憂国の大政治家と云われた人です。
斎藤隆夫と云えばあまりにも有名な粛軍演説、反軍演説を思い浮かぶことでしょう。
昭和15年2月2日、第75帝国議会での質問演説は、米内(よない)光政内閣の施政方針演説に対する代表質問でした。
日中戦争が満3年を迎え、その間に内閣は次々と3回も変わり、一向に進まない支那事変の処理、戦地での犠牲、国民の苦しみは甚大であり、「この戦争の目的はどこにあるのか」を問いただす鋭い内容でした。
彼は演説内容を完璧に暗記して臨む力量の持ち主、昭和史に残る名演説の数々を残しています。
福田総理の原稿棒読み、小沢党首の代表質問を自らしないで丸投げ、そんな政治家とはえらい違いです。
この日も斎藤の演説があるということで傍聴席は超満員、大臣席、議員席、傍聴席のだれもが固唾をのむ中、斎藤の堂々の論陣です。
近衛文麿内閣以来、責任あるべき者の責任ある決断のなさを、「聖戦などと云っても空虚な偽善である」と、聖戦という美名に隠れ、戦略なき戦線の拡大を鋭く批判しました。
延々1時間を越す演説に、静まり返った議場は拍手の連続、傍聴席からは感極まってすすり泣きの声さえ聞こえてくる状態だったといわれています。
ところが斎藤の演説が終わると、軍部の中佐クラスが、「聖戦を冒涜する非国民的な演説だ」と激昂、3月7日に衆議院議員の除名が決議されてしまいます。
これより4年前、2・26事件後の昭和11年5月7日、第69特別議会でも憂国の演説「粛軍演説」を1時間25分にわたり大熱弁しています。
軍人の政争への参入は、「立憲政治の破滅、武人専制の端を開き、国家破滅への道」と批判し、
兵法「六韜三略(りくとう・さんりゃく)」にならい、事件の責任者を処断せよと寺内陸相に詰め寄る、応える寺内も反省を込めた真摯な態度に、議場は感動と緊迫感に包まれ涙を払う議員もあちこち、国の内外から、命を賭けた憂国の熱弁に最高の賛辞が贈られたと云われています。
そりゃあそうでしょう、軍人批判なんて命が危ない、普通なら怖くって出来ません。
斎藤隆夫はただ一人軍部に立ち向かったわけです。4年後には絶対タブーとされた戦争の真っ只中の軍部への痛烈な批判、よくも除名ぐらいで命が助かったものです。
現在の日本だって軍部を官僚に置き換え、近衛公を福田さんに置き換えて、命懸けで小沢さんは詰め寄れるかな~、
アメリカだって日本のこと最後は見てくれませんよ。中国なんか、沖縄だって領土だと言いかねないのに、日本の戦略って一体だれが考えてるのかな、斎藤隆夫でなくとも憂国の気分になるこの頃です。