夕風桜香楼

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令和六年正月

2024年01月16日 00時38分04秒 | ギャラリー
  


 新年ということで描初め。明治10年台における略衣姿の将校となります。

 明治初期、陸軍将兵の挙措は後年のそれとは異なっていたようで、特にフランス式の影響が濃かったことが知られております。ただ、写真や図画の史料が乏しいため、その実像は必ずしも判然としません。
 明治6年制定「陸軍敬礼式」において、将校の敬礼は「帽の紐を頤に掛るときは右手を挙て帽に及ぼす もし紐なきときは帽を脱す」とのみ規定。しかし明治16年には、これが「凡そ軍人の敬礼は挙手注目とす 其法右手を挙て食指と中指を帽の前庇の右側に当て掌を外面に向け肘を肩に斉しくし敬すべき人に注目す」と改正されます。元来下士卒のみの動作であった挙手敬礼が、将校にも適用された形です。脱帽のみというシンプルな敬礼は、実務的にはほとんど運用されていなかったのかもしれません。
 興味深いのは、掌(てのひら)の向きです。フランス式の挙手敬礼は掌を真正面に見せる動作(ドゴールの写真なんかが有名ですね)で知られており、後年の帝国陸海軍や現代の自衛隊・警察の礼式で見られるような、掌を下に向ける動作とは異なります。この点、先述の明治16年の「陸軍敬礼式」では純フランス式を彷彿させる「掌を外面に向け」という記載がありますが、その後の明治20年に改正制定された「陸軍礼式」においては、該当箇所の表現が「掌をやや外面に向け」と修正されています。つまり、明治初期の陸軍将兵の挙手敬礼はフランス式の色彩が強いタイプだったものの、明治20年ころに変更され、われわれのイメージする形に近づいた…とみることができるのです。
 前置きが長くなってしまいましたが、今回の絵はそんな旧式の挙手敬礼をイメージしてみました。とはいえ、礼式法令が短期間で改正されている事実を見るかぎり、そもそも純フランス式の挙手敬礼はそれほど真摯に受容されていなかったのではないか…という推論に基づき、どちらかというと後年のスタイルに近づけた折衷的な塩梅としています。
 肋骨服は明治初期によく見られるタイプ。襟や紐飾の形状が後年とやや異なっているほか、襟元には黒色の下襟(クラバット)を巻きます。またこの時代は、帽子を浅くかぶるのが流行していました。

 残念ながら諸手で賀すことがむずかしい年明けとなってしまいましたが、本年もよろしくお願いいたします。