夕風桜香楼

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西郷をシサツせよ⁉ 希代の“勘違い”の実相【1】

2023年08月31日 22時24分51秒 | 征西戦記考
 
 明治9年暮れ、警視庁大警視・川路利良は自身の部下約20人を密偵として鹿児島に放った。
 これを察知した私学校党は機をとらえて同人らを検挙、凄惨な取調べを行った。
 すると、彼らは西郷隆盛の暗殺計画を自白した……!


 西南戦役勃発の直接的な原因の一つとして、西郷暗殺問題が挙げられます。比較的有名な逸話でありますので、ご存じの方も多いかと思います。
 そして、この西郷暗殺問題が各種メディアの歴史番組やドラマ等で取りあげられる際には、密偵の口から出た「シサツ」という言葉がよく話題になります。例えば、1987年の日テレ年末時代劇『田原坂』では、密偵・中原尚雄を私学校党が取り調べる場面で、次のようなやりとりが描写されています。

私学校党「言うてみやい。おはんは川路の刺客じゃろ。目的はなんじゃ!」
中原「……シサツ……!」
私学校党「刺殺とな!? 西郷先生を、殺しに来たとか!!」
中原「……シサツ……」
ナレーション「『シサツ』は、刺し殺す『刺殺』だったのか。それとも、見て回る『視察』の意味だったのか。どちらともとれる中原尚雄の供述は、ひどく屈折していた……」


 つまり、「現場視察」「状況視察」といった「見て回る」意味での「視察」という言葉を中原が使用したところ、それを聞いた私学校党が、「刺殺」すなわち「刺し殺す」意味だと勘違いした。そして、その些細な勘違いに起因する「西郷暗殺計画」が独り歩きし、ゆくゆくは私学校党の武装蜂起につながった……という、ちょっと悪い冗談のような話です。

 また、このシサツ勘違い説というのは、いくつかのバリエーションとともに伝えられています。
 まずは前述した『田原坂』のように、拷問された密偵たちが「シサツ」と口走り、それを聞いた私学校党が「刺殺だと!!」と沸き立つパターン。
 それからもう1つは、私学校党が密偵を捕まえた際に電報紙を押収し、そこに「シサツ」という文言があった……というパターンです。当時の電報は全てカタカナで書かれているわけですけれども、文中に「ボウズヲシサツセヨ」=「坊主を刺殺せよ」とあり、この坊主というのは西郷を意味する暗号であったため、私学校党が西郷暗殺計画を認知することになった……というわけです。2018年のNHK大河ドラマ『西郷どん』では、この電報パターンが採用されていましたね。

 さて、この「シサツ」をめぐる逸話、いかにも創作されたエンタメ与太話と思いきや、歴史上の実話として専門書にも記載があるエピソードです。例えば、日本近現代史、中でも幕末維新期研究の第一人者である落合博樹先生(明治大学)は、ご著書の『西南戦役と西郷隆盛』の中で、このように記述されています。

 生徒の弾薬庫襲撃を抑制できなかった幹部たちは、私学校と無関係の谷口藤太を中原尚雄に接触させたうえで、中原が「西郷と刺し違える覚悟」との情報を得、鹿児島県一等警部中島健彦が二月三日に伊集院で中原を捕えた。さらに県庁は密偵たちに対する「東獅子狩り」を実施し、一網打尽にする。そして、西郷を「坊主」、桐野を「鰹節」と呼ぶ合言葉があったことや、「ボウズヲシサツセヨ」との電報を押収し、さらに中原を拷問にかけ、ついに「西郷刺殺」の密命があったと供述させた。
(落合博樹『敗者の日本史(18) 西南戦役と西郷隆盛』)
 
 落合先生は電報パターンを採用していますが、いずれにせよ歴史上の事実として、はっきりと断定しているわけです。

 今回の特集では、このシサツ勘違い説の実相について、史料をベースにあらためて解き明かしてみたいと思います。全5回程度の連載を予定しておりますので、おつきあいいただけますと幸いです。
(なお、史料の引用に際しては、カナ、旧字、難読字等を平易に改めるとともに、適宜改行等を行っております。ご承知置きください。)

(【2】へつづく)

  

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