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家定、家慶の後釜となる。妻は篤姫🫁 幕末〜

2023-10-29 16:15:14 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
日本が初めて他の国との繋がりを持つと言う重大な局面でございます。、、ペリー来航の際、病に伏していた将軍家慶は残念ながら、騒ぎのさなか亡くなり、あとに将軍になったのは、徳川家定。大変な時に将軍になったものです。彼は、亡くなった家慶の四男。家慶さんと同様、家定さんも病弱でした。父の家慶さんは考えました。「何か不安だなあ、、俺に似て体弱いしなあ😮‍💨、、そうだ、、水戸藩の徳川慶喜を後継者にしよう。あの人優秀だし。そだそだ、十三代将軍は慶喜にしよう、そうしよう✌まあ、あいつの父ちゃんはあまり好かんが、この際仕方ない」、、ところが、この意見に反対した人がおりました。それが、例の老中首座の安倍ちゃんでした。ん、、なぜだろう、、(・・?。それは、単純に、後継ぎは、宗家のものでなければならんでしょ、という理由からだったようです。たしかに家定は、家慶の実子ですからね。しかし、家慶の考えもわからなくないです。先程述べた通り家定は病弱で、少しばかり行動に問題もあったようで、、。対して慶喜は大変に優秀、デキる人でした。実際、幕府最後の、第十五代将軍になってます。しかし、結局その時は、家定が将軍になりました。なったからには頑張らにゃ、、と思ったかどうかはわかりませんが、とにかく将軍になったのです。しかし、結婚をしたものの、二人目までの奥さんは亡くなってしまいます💧そして三人目の奥さんとして嫁いできたのが有名人、篤姫。篤姫については後ほど改めて述べるとして、家定は、忙しかった。だって、何度も書くけど、日本が開国という超ビックな歴史の転換点に立っていた時の将軍なんですから、、。正直家定は、評判としては芳しくなかったようで、ひどい呼ばれ方したりしてたようです、うつけ者、とか、、💢うるさいわい!勝手なこと言いおって、、と内心はお怒りだったかもしれませんね。
そんな家定の一番の仕事と言えば、やはり、あれでしょう。米使、ハリスくんとの接見。「ショウグン、イエサダサン、オネガイ、、日米和親条約ダケデハタランノデス、日米修好通商条約ヲナントカ調印シテクダサイマシ、、ヨロシク」、、んー、、日米修好通商条約か、、これ、なかなかシビアな条約だよなあ、、と家定も、阿部正弘も、後の老中堀田正睦も思ったに違いありません。今後幕府は、そしてその先日本はどうなっていくのでしょう、、。



働いた阿部正弘、、安政の改革✌ 幕末〜、

2023-10-28 22:07:02 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
歴史的大事件、ペリちゃんの黒船来航の際、将軍、徳川家慶は病で臥しておりました。そこで代わりに奮闘していたのが老中の頭、阿部正弘でした。(全く関係ない話ですが、小学校の同級生に、同姓同名の人がいます。親御さんは、このかたを意識して名付けたのでしょうか。それは、わかりません。)。話を戻します、、で、その阿部ちゃんですが、今後日本はどうすべきか?を、大名や幕臣他、様々な人たちから意見を聞きました。これは、すごくいい事だと思いますが、結果として、周りからは、何だ何だ、、幕府は自分じゃ決められんのかい?弱体化したもんだなあ、、と思われてしまうのでした(-_-;)うまくいかんものだな、マジで。この「弱体化したんじゃないの?」が、一部の攘夷派の行動を激しくさせる事になります。、、ちなみに、様々な意見が飛び交う中で、わしゃ〜開国賛成ですぞ、といったかたは少なかったようです。その少数派の中に、あの「勝海舟」がおりましたとさ。
そんな中、約1年後、日米和親条約が結ばれましたとな。

ついに、、⚡二百年近く続いた鎖国にピリオドを打つことになったわけです。外国と向き合うことになったのです。すごいことだな、改めて考えたら。そして、、その後の正弘は、国防強化のため、本当によく働いた。、、何より正弘自身が国防の重要性を感じていたからです。何したか?まずは江戸湾に砲台、つまり台場をこしらえ(そうか!だから、あのあたりはお台場というのか💡)、長崎には海軍伝習所を作った。いくつかの藩と共同で反射炉を作ったり大砲を作ったり、と、とにかく、国防に努めたのでした。このときは、長州藩もまだ和を保っていたのだなあ、、(シンミリ、、)。この時の政策全般を、安政の改革、と呼びます。こんなに働いた老中首座の「阿部正弘」を、、わしゃ知らなかったなあ😞。このあと、攘夷派と開国派の意見の対立がますます激しくなり、正弘さんは老中首座の役を降り「まあまあ、そんなに揉めないでくだされよ」と双方を何とか融和させようとしたのですが、、残念ながら病により亡くなられたそうです💧。39歳、、若すぎる。


ペリーが来たのよー🚢 幕末〜

2023-10-22 06:24:03 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
平日よりも大分自由な時間を持てる土日は貴重な「歴史調べるDay」毎日が土日だったらどんなに素敵かしら、、(人´∀`).☆.。.:*・゚。
さて、例の幕末ですが、ざざっと、実に雑な年表を書いてみました。

年表の始まりは、ペリーちゃんの黒船来航。そこからは怒涛の「お事件ラッシュ」で、安政の大獄、桜田門外の変、生麦事件、新選組誕生、禁門の変、、薩長同盟我結ばれ、そしてついには「何たって大政奉還」まで行き着くのです。んー、、まさに激動⚡。
先日の続き、、。ペリーちゃんがやってきた。です。「おい!ちゃん付けなんかして、何て不真面目なんだ!」とお怒りの方がいらしたら、本当にごめんなさい。物事を、自分なりに愉快に楽しくやってかないと覚えられない性分ので、颯爽と黒船引き連れ浦賀港にやってきたMrペリーをペリーちゃんと呼んでます。かぎペリーよ、許して。
さて、、ペリーちゃんは「何としても開国してもらうからね、ニッポン!」との固い決意ではるばる大西洋を越え、四隻の船を引き連れ日本にやってまいりました。やっと浦賀港(神奈川県)にたどり着いたときのペリーちゃんの気持ちはどれほど高揚していたことでしょう。、、しかし、予告もなくいきなり来られた日本とすれば、たまったものじゃありません。実際に浦賀港にいた人たちの驚きはいかばかりか。「何だあれは〜!ひぇ〜\(◎o◎)/!」驚きというよりは恐怖に近かったか。
この超ビッグな出来事が起こった時の将軍が、徳川家慶でした。が、、。
日本の皆様、、私はペリー。日本と国交を持ちたくてやってきました。日本は、外国とも関係を持つべきです。なに、、いきなりそんな事言われても困る、少し待ってくれ、ですと、、?仕方ない、待ちましょ。また来るから、そん時は、日米和親条約を結んでちょうだいよ。お願いね。これ、、親書。よく読んでね。

じゃまた、、。と一旦は大人しく引き上げました。
日本の幕府、朝廷、藩→ザワザワ、、ザワザワ、、何だあのでかい黒船は、、そして、日米和親条約を結べとは、、どうするどうする、、さあどうするや、、一気に日本がざわつき始めました。






激動の幕末 ペリーが来たぞ〜

2023-10-20 23:34:00 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
昨夜も書いたが、幕末の頃に起きた様々な、その後の日本に大きな影響を与える事件の順番がどうにもきちんと整理できない。開き直れば、順番なんてさして重要じゃないわ、出来事そのものを知るのが大切なのよって話になるが、それはちと違うぞ。と、自分にいい聞かせた。だって、考えてみれば一つの事件をきっかけに次のことが引き起こされ、それによりさらなる出来事が起こるという話で、それぞれは、バラバラに見えても実は繋がってるって感じなんだ。例えば、昨夜書いた、禁門の変だって、ある日いきなり長州が思いつき、禁門突破を実行したわけじゃなくて、それまでに幕府が行ってきた事に対しての不満や、幕府よ!それは違うんだ!という思いの積み重ねが引き金になっていて、さらには、じゃあどうして幕府はそんな事したのよ?それはさあ、、と全てにそれに至るまでの動機や理由があるので、順番が狂えば全く話が繋がらなくなる。、、それにしてもやっぱり、幕末、ペリーが四雙ものどでかい船(うち二隻は蒸気船)を引っ提げて浦賀にいきなりやってきたのは時代の転換の幕開けとなる大きな大きな出来事だったのだろう。それからの、幕末に起きた様々な事件を見ればそれが一目瞭然だ。、、見よ、ペリーちゃんの颯爽とした姿を、、!(あちゃー、全然颯爽としてないな、このペリー、、😮‍💨)
ついに開国へと日本は滑り出します。しかし、開国までの道のりは、当然の事ながら容易ではなく、次から次へと事件が起こります。


あのかたこのかた、、毛利敬親だよ。 幕末〜

2023-10-20 00:12:57 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
やっぱり、脳みそが退化してるのか、ただでさえ複雑な幕末から明治にかけての出来事の前後関係や人物についてのあれこれ、が、なかなか覚えられない。興味があるからと言って、必ずしもすんなりと頭に入るわけではないのを身をもって実感。行きつ戻りつ、を地で行ってまして。まあ、覚えるまでの期限や、試験が待ってるわけじゃないから、気楽に行きましょう。今回は、またまた戻り道↻、って感じで、そもそも何だって長州は禁門の変を起こすに至ったのさ、まで下って参りました。何回読んだら頭に入るのかしら。いっそ、並行してマンガや劇画もじっくり読んでみるか。それにしても、、昨夜書いた「久坂玄瑞」についてはすぅーっと頭に入ってきたなあ。あれは特別か。亡くなった年齢や最初に見た写真風の肖像画?がキリッとした好青年だった事など、はじめの印象が特別だったからな。
さて、、そして今回逆戻りして、禁門の変の前、ってわけですが、、。読んでいたら毛利敬親が出てきました。こちら、若干19歳で長州藩十三代藩主となったおかたです。
19歳と言ったら、自分はサイコーにだらけてた頃だなあ(-_-;)。それに引き換えこのかたは何だ。一つの、それも、あの、長州藩の藩主になってるのですぞ。あれやこれやと功績もでかいのだが、これについてはまた別の機会に書くとして、なぜ、禁門の変の前、の場面で毛利敬親が出てきたかといいますと、、。長州藩の三家老が京へ出陣し攘夷を訴えた事が禁門の変のきっかけのひとつになっているのですが、結局禁門の変を起こしたことにより長州藩は朝敵となってしまい、その流れで第一次長州征伐が始まり、藩主である毛利敬親は、先程述べた三家老を切腹させ、自分も謹慎処分となったのでした。ここで敬親はもう終わりか、、と思いきや、彼は数年後ある出来事をきっかけに見事蘇ります。わからないものです、本当に。
禁門の変のきっかけ、を調べてるうちにどんどんと道を外れ、毛利敬親、と出会った次第です。このかたもいろいろやってます。働いた方です。書きたい気持ちは山々ですが、んー、、眠くなってきたので、今日はここまで。(-_-)zzz