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ありがたき毎日(⌒‐⌒)

今年は神様と、、( - ө - )

あのかたこのかた、、毛利敬親だよ。 幕末〜

2023-10-20 00:12:57 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
やっぱり、脳みそが退化してるのか、ただでさえ複雑な幕末から明治にかけての出来事の前後関係や人物についてのあれこれ、が、なかなか覚えられない。興味があるからと言って、必ずしもすんなりと頭に入るわけではないのを身をもって実感。行きつ戻りつ、を地で行ってまして。まあ、覚えるまでの期限や、試験が待ってるわけじゃないから、気楽に行きましょう。今回は、またまた戻り道↻、って感じで、そもそも何だって長州は禁門の変を起こすに至ったのさ、まで下って参りました。何回読んだら頭に入るのかしら。いっそ、並行してマンガや劇画もじっくり読んでみるか。それにしても、、昨夜書いた「久坂玄瑞」についてはすぅーっと頭に入ってきたなあ。あれは特別か。亡くなった年齢や最初に見た写真風の肖像画?がキリッとした好青年だった事など、はじめの印象が特別だったからな。
さて、、そして今回逆戻りして、禁門の変の前、ってわけですが、、。読んでいたら毛利敬親が出てきました。こちら、若干19歳で長州藩十三代藩主となったおかたです。
19歳と言ったら、自分はサイコーにだらけてた頃だなあ(-_-;)。それに引き換えこのかたは何だ。一つの、それも、あの、長州藩の藩主になってるのですぞ。あれやこれやと功績もでかいのだが、これについてはまた別の機会に書くとして、なぜ、禁門の変の前、の場面で毛利敬親が出てきたかといいますと、、。長州藩の三家老が京へ出陣し攘夷を訴えた事が禁門の変のきっかけのひとつになっているのですが、結局禁門の変を起こしたことにより長州藩は朝敵となってしまい、その流れで第一次長州征伐が始まり、藩主である毛利敬親は、先程述べた三家老を切腹させ、自分も謹慎処分となったのでした。ここで敬親はもう終わりか、、と思いきや、彼は数年後ある出来事をきっかけに見事蘇ります。わからないものです、本当に。
禁門の変のきっかけ、を調べてるうちにどんどんと道を外れ、毛利敬親、と出会った次第です。このかたもいろいろやってます。働いた方です。書きたい気持ちは山々ですが、んー、、眠くなってきたので、今日はここまで。(-_-)zzz


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