神戸花鳥園
小ぶりでおとなしい感じの花が
八重になって華やかになりました
「東京大空襲 国を提訴」被災者ら110人、損賠など求め・・・
の見出しに、我が目を疑った。そして日本人もアメリカ的になったものだな~。何だか変だな~と、薄ら寒い心地がした。
昭和20年3月10日の東京大空襲は約10万人の死者を出した。それは国が戦争終結を遅延させるなどした結果、空襲をまねいた。にも関わらず、その後、被害者を救済せず放置した」「又国による保障は軍人・軍属とその遺族に手厚い一方、民間人の犠牲者には無い為『不平等で違憲』」との理由らしい。
空襲を受けたのは東京だけではない。神戸だって一週間後の3月17日に空襲を受け中心部は焼け野原となった。私の家も焼けて、無一文になり、焼け残った神戸北部の知人を頼って間借り生活を余儀なくされた。
人を使う身から使われる身になった母。なりふり構わず働き続けた母。終戦2ヶ月で父(私の祖父)を失い、後は私を育てる為に、私を生きがいに身を粉にして働いた。その無理がたたり、私の花嫁姿を見る事無くこの世を去った。
母の苦労を見ていても小さい私に出来る事は無かった。母を喜ばせたい為に勉強を頑張った。私にはそれしか出来なかったから。
空襲は私の人生を大きく方向転換させた。しかし頑張ったのは母である。子育ての最中によく考えた。今、私が母と同じように無一文になって、子供を1人で育てられるだろうか? 答えは「いいえ」。命を削ってわが子を育てる強さが私にあるとは思えない。
そんな母を思い出す時、保障のある遺族の話を羨ましいと思ったこともある。私が集団疎開から帰ってきたのは焼けていない地区だった。「私の家は何故焼けてしまったのだろうか?」何度思ったか知れない。
焼け出された私達だけが全てをなくしたのではない、メキシコに居るおゆきさんだって全財産を上海に残しての引揚家族だ。おばさん(オユキサンの母)に訊ねた事がある「上海にもう一度行って見たいですか?」「行きたくない」。おばさんにだって戦後の苦しみは在っただろう、それを思い出させる場所には行きたくないのだろう。
家、財産を失う事無く終戦を迎えた人だって、戦争による傷は在るでしょう。当時大人だった人、全てが頑張って私達子供を育ててくれた。
提訴した110人だけが被害者ではない。自分が望んだ戦争ではなくとも、全てを無くし身一つになっても運命と諦め、母の世代は生き抜いた。
110人の意見が通るとは思えないが、もし通るようなことがあれば日本中がひっくり返る騒ぎになるだろう。我も我もと提訴は続くだろう。
1人1100万円の保証金は?税金からでしょう?確かに遺族年金を貰っている人との不公平感はあります。でも、それだからといって私にもよこせは無いでしょう。所詮無理な要求です。対象者が多すぎます。我が手で我が首を絞めるようなものです。
62年前のことをいまさら何故?取り返しの付かない過去をこの様な形で持ち出さず、もっと建設的な前向きの事を考えながらの老後が良いのでは?それとも110人の人は問題提起しただけなの? そんな事ないよね。提訴って大変な労力が必要なんでしょう。当時、子供だった私には分からない、母の世代だったら分かるのだろうか? 母だったら如何思うかしら? 「今更、何馬鹿な事やってんのよ!」と笑うだろうか。「み~んな持って生まれた運命なのよ」って、からからと笑うような気がする。
小ぶりでおとなしい感じの花が
八重になって華やかになりました
「東京大空襲 国を提訴」被災者ら110人、損賠など求め・・・
の見出しに、我が目を疑った。そして日本人もアメリカ的になったものだな~。何だか変だな~と、薄ら寒い心地がした。
昭和20年3月10日の東京大空襲は約10万人の死者を出した。それは国が戦争終結を遅延させるなどした結果、空襲をまねいた。にも関わらず、その後、被害者を救済せず放置した」「又国による保障は軍人・軍属とその遺族に手厚い一方、民間人の犠牲者には無い為『不平等で違憲』」との理由らしい。
空襲を受けたのは東京だけではない。神戸だって一週間後の3月17日に空襲を受け中心部は焼け野原となった。私の家も焼けて、無一文になり、焼け残った神戸北部の知人を頼って間借り生活を余儀なくされた。
人を使う身から使われる身になった母。なりふり構わず働き続けた母。終戦2ヶ月で父(私の祖父)を失い、後は私を育てる為に、私を生きがいに身を粉にして働いた。その無理がたたり、私の花嫁姿を見る事無くこの世を去った。
母の苦労を見ていても小さい私に出来る事は無かった。母を喜ばせたい為に勉強を頑張った。私にはそれしか出来なかったから。
空襲は私の人生を大きく方向転換させた。しかし頑張ったのは母である。子育ての最中によく考えた。今、私が母と同じように無一文になって、子供を1人で育てられるだろうか? 答えは「いいえ」。命を削ってわが子を育てる強さが私にあるとは思えない。
そんな母を思い出す時、保障のある遺族の話を羨ましいと思ったこともある。私が集団疎開から帰ってきたのは焼けていない地区だった。「私の家は何故焼けてしまったのだろうか?」何度思ったか知れない。
焼け出された私達だけが全てをなくしたのではない、メキシコに居るおゆきさんだって全財産を上海に残しての引揚家族だ。おばさん(オユキサンの母)に訊ねた事がある「上海にもう一度行って見たいですか?」「行きたくない」。おばさんにだって戦後の苦しみは在っただろう、それを思い出させる場所には行きたくないのだろう。
家、財産を失う事無く終戦を迎えた人だって、戦争による傷は在るでしょう。当時大人だった人、全てが頑張って私達子供を育ててくれた。
提訴した110人だけが被害者ではない。自分が望んだ戦争ではなくとも、全てを無くし身一つになっても運命と諦め、母の世代は生き抜いた。
110人の意見が通るとは思えないが、もし通るようなことがあれば日本中がひっくり返る騒ぎになるだろう。我も我もと提訴は続くだろう。
1人1100万円の保証金は?税金からでしょう?確かに遺族年金を貰っている人との不公平感はあります。でも、それだからといって私にもよこせは無いでしょう。所詮無理な要求です。対象者が多すぎます。我が手で我が首を絞めるようなものです。
62年前のことをいまさら何故?取り返しの付かない過去をこの様な形で持ち出さず、もっと建設的な前向きの事を考えながらの老後が良いのでは?それとも110人の人は問題提起しただけなの? そんな事ないよね。提訴って大変な労力が必要なんでしょう。当時、子供だった私には分からない、母の世代だったら分かるのだろうか? 母だったら如何思うかしら? 「今更、何馬鹿な事やってんのよ!」と笑うだろうか。「み~んな持って生まれた運命なのよ」って、からからと笑うような気がする。
ニュースを見て変だなと思った事をどうして変なのかを文章にしてもらって、ちっちさんのブログでいっも気持ちがすっきりします。
空襲にあわれた方がたは本当にお気の毒に思います。
しかし戦後の苦しかった時代は日本全国民が味わっていることですよね。今が平和すぎるのでしょうか・・・
遺族年金の需給の仕方も変だと知った事もあります。親が死亡していた場合、兄弟が受け取るのですが、7人兄弟の内、受取人のみ現在も生存、後はみな死亡と言う事もある。これも変だな~。受け取る人の強運といえばそれまでですが。
戦後60年以上、遺族年金を貰い続けている事情に矛盾を感じたからかもしれない。戦争で失った命とはいえ、その時生きて帰られたとしても、その人たちの大方は鬼籍に入られている年代ではないかと考えた時、???と感じます。