広島旅行の二日目、日中は広島原爆ドームに行ってきました。
原爆ドームや平和記念公園は、修学旅行で訪れた方が多いのではないでしょうか。子供には強烈過ぎる、いや平和学習には必須だと両論ある中、私の子供時代には候補地として挙がることもなく行く機会がありませんでした。いや、自発的に行けばいいのですがなんとなく足が向かないまま、いつのまにやら人生の半分を折り返してしまいやっとこの日訪れることになったわけです。
実は私の母親は、幼少のころ広島に疎開しており原爆が投下された際にその「ピカドン」を目撃しています。
窓から外を向いて道に立つ叔父さんと話をしているとき、市内でぴかっと閃光が輝きその一瞬ののち、山の木々がなぎ倒されていくのを見たそうです。
そしてドンという衝撃波とともに屋根が持ち上がり部屋の中に倒れこみました。
幸い、爆心地から距離があったため熱風が到達することもなく衝撃でただ半分気を失ったような状態で済んだそうです。
まだ小学生だった頃の私はその時の話を聞いて「ヒバクシャ」という言葉を知りました。 母親は後年になってから広島の知り合いを通じその在住を証明してもらうことができたので被爆者手帳を受け取りました。従っては私は「ヒバクシャ二世」なのですが幸いにして今まで影響を感じるような事はありません。(頭髪の後退が早かったのは父方のせいだと思いますので)
初めてのヒロシマ。
原爆ドームにはたくさんの人が訪れていました。お盆の最中でしたが原爆記念日(8/6)を過ぎ終戦記念日(8/15)の前ということで大きなイベントはありませんでしたが慰霊碑には花が手向けられていました。
資料館も人がいっぱいでした。意外にも外国人が多く訪れています。アジア系外国人や小さな子供を連れた白人も居ます。もちろん日本人もいっぱいですが年配の方が多かったですね。
まだ小さな子供たちに強烈なシーンを見せることに躊躇される人も居るでしょう。修学旅行先に選ぶのかどうなのか、また今「はだしのゲン」が図書室で閉架するやしないでもめているのもその時代その地域の考え方が反映されると思います。(最近の修学旅行はアンケートだそうですが)
もし、修学旅行で行ったことがある人も、そこから十数年を経て大人になったときにもう一度自分の意思で訪問して欲しいと思います。
資料館の中には原爆にまつわる展示が時系列で説明されています。訪れるのは初めてですが教科書や図書、TVなどを通じ見たことがある資料もたくさん展示されていました。
原爆により石段に写された人の影、昔のイメージより薄くなったような気がします。劣化してきたのでしょうか。
その他にも確かに小さな子供には厳しい資料もたくさんありますし、大人でも目を背けたくなるものがあります。
しかしそれは現実に起こったことです。真っ青な瞳をした外国人の子供が父親が指差す方向をぐっと無言で見据えていました。父親はわが息子にどんな解説をしていたのでしょうか。
原爆が投下された際のモデルです。原爆ドームのほぼ真上、地上570mで巨大な火球が炸裂した瞬間です。
このヒロシマと3日後のナガサキ、一瞬にして三十数万人もの人が亡くなりました。戦争を早く終結させる為なのか、ソ連の侵攻を牽制する為だったのか、それとも壮大な実験だったのか、真実は分かりませんが市井の民間人を中心にこれほど多くの人が殺されてしまう理屈にはなりません。
そしてあまりの被害(効果)に驚いただろう人類はその引き金に指をかけつつもナガサキ以降、原子爆弾を使うことはありません。が、しかし未だ手放していないのも事実です。
原爆は自然災害や「神の鉄槌」ではありません。人間が人間に投下したのです。それを決して忘れてはいけません。
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