伝説の歌番組・夜のヒットスタジオを語る

伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」の22年間の足跡を通じて、日本の歌謡界が最も輝いていた時代を振り返ります。

【改訂版】歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(33) 1974年3~4月

2008-04-24 | 夜ヒット/曲目(改訂・増補版) 73~74年

<註>
 ・下記表記の「R」は当該曲目のレコード(CD)発売日「HC」は当該曲目のオリコンチャートでの最高位を表しています。
・また、曲目の部分の記載につき、オリコンチャート1位獲得曲については、同じく2~10位にランクインされた曲についてはの背景色にしてあります。
 ・各曲目につき、放送回順に記載していますが、必ずしもその放送回がその曲目が初めてヒットスタジオで歌われた(演奏された)回であるわけではないので、この点にご留意頂いた上でご覧下さい。
 ・また、1970年代前半までについては映像資料等が乏しいため、レコード発売日と各歌手の出演日との兼ね合い、何らかのタイアップ曲として発売されたものについては、スポンサーや他局番組との競合の有無、その他種々の点を考慮の上、その放送回に披露されたことがほぼ間違いないであろうと「推定」されるものについてのみ記載をしております。発売日等で間違いがございましたらご一報下さい。

<1974年3月4日(第278回)>
・若草の誓い 藍美代子
 詞:安井かずみ 曲:平尾昌晃 R:1974/02/25
・メロンの気持 ゴールデン・ハーフ
 詞:Carlos Rigual/ホセしばさき<訳> 曲:Carlos Rigual R:1974/01/20
 ※原曲はマンボの巨匠として知られるペレス・プラードのナンバー「Colazon De Melon」。元々はスペイン語の歌詞だが、後にアメリカで英語訳詞盤がローズマリー・クルーニーの歌で発表されている。日本では1960年に森山加代子が吹込み、日本語訳詞の奇抜さも手伝いヒット。1960年代初頭の洋楽ポップスのカバー隆盛の時代の先鞭をつけた作品の一つでもある。
・今夜かしら明日かしら テレサ・テン
 詞:山上路夫 曲:筒美京平 R:1974/03/01 HC:84位
 ※1966年、13歳で台湾・中国のテレビ局の専属歌手として歌手活動を開始し、アジア全域へと活動の範囲を広げていたテレサ・テンの日本での歌手デビュー作。主に台湾などでは「ポップス歌手」として名が知られていたこともあってか、当初は日本でもアイドル・ポップス路線のこの作品でデビューしたが不発。2作目「空港」以降は演歌路線に転向、日本でも徐々にファン層を獲得してゆく。
・銀の指輪 チューリップ
 詞・曲:財津和夫 R:1974/01/20 HC:15位
 ※チューリップは1970年、財津和夫をリーダーとして結成されたバンド。福岡でのアマチュアバンドとしての活動を経て、1972年に上京、シングル「魔法の黄色い靴」でメジャーデビュー。翌73年発表の3rdシングル「心の旅」がロングセラーのヒットとなり一躍人気アーティストの仲間入りを果たした。
 ※同曲リリースの後、テレビ出演を極力控える姿勢を打ち出したこともあり、ヒットスタジオへの出演も1986年4月16日放送に当時の新譜である「愛の風」で出演するまで、実に12年という長いスパンが空くこととなった
 ※チューリップのボーカルといえばリーダーである財津を想像する人が少なくないが、「心の旅」から同作まではギター・キーボート担当の姫野達也がボーカルを担当している。但し、この曲の発売直後、姫野が声帯ポリープの手術を受け、一時休養したことから、当時、テレビ番組でこの曲を演奏する際には、財津が姫野の代理としてボーカルを担当していた(因みにこのときのヒットスタジオでも財津のボーカルで演奏されたかは不明、情報求む)。 

<1974年3月11日(第279回)>
・青春の条件 にしきのあきら R:1974/03/01
・流行歌(はやりうた) 森田由美恵 R:1974/02/-
・逃避行 麻生よう子
 詞:千家和也 曲:都倉俊一 R:1974/02/21 HC:32位
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞最優秀新人賞受賞
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞新人賞受賞
 ◆第3回(1974年)東京音楽祭・国内大会 シルバー・カナリー賞受賞曲
・春の嵐 由紀さおり 
 詞:吉田 旺 曲:川口 真 R:1974/01/25 HC:67位

<1974年3月18日(第280回)>
・ギターをひいてよ あゆ朱美(現・戸田恵子)
 詞:山上路夫 曲:中村泰士 R:1974/02/-
 ※現在は女優・声優として活躍する戸田恵子の歌手デビュー作。アイドル演歌として売り出したもののなかなか芽が出ず、1970年代の末期には声優・女優としての活動へとシフト。「それゆけ!アンパンマン」(日本テレビ系)や「機動戦士ガンダム」(名古屋テレビ=テレビ朝日系)、「ゲゲゲの鬼太郎」(フジテレビ系)などのヒットアニメに出演し、声優として知名度を上げ、1997年にフジテレビ系の三谷幸喜脚本の政治ドラマ「総理と呼ばないで」の秘書役でテレビドラマに女優として初出演、名バイプレーヤーとしての道を歩み始めた。
恋人たちの港 天地真理
 詞:山上路夫 曲:森田公一 R:1974/02/01 HC:4位
・別れの鐘の音 五木ひろし
 詞:山口洋子 曲:平尾昌晃 R:1974/03/01 HC:15位
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞 全国有線音楽放送協会長賞受賞曲
 ◆第3回(1974年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデン・カナリー賞受賞曲、同・世界大会 銅賞受賞曲

・ハナハナハナ 水前寺清子 R:1974/04/-

<1974年3月25日(第281回)>
・気になる17才 あいざき進也 
 詞:安井かずみ 曲:穂口雄右 R:1974/01/25 HC:16位
・彼と・・・ 三善英史
 詞:阿久 悠 曲:三木たかし R:1974/03/10 
・海鴎 欧陽菲菲 
 詞:橋本 淳 曲:筒美京平 R:1974/04/05
・おぼる月夜 都はるみ
 詞:柳沢和彦/石本美由起<補作> 曲:平尾昌晃 R:1974/02/25
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<1974年4月1日(第282回)>
■この回より芳村真理・三波伸介・朝丘雪路(※但し朝丘は74年7月以降は不定期出演)のトリオ司会体制に(~75年3月31日)。
三色すみれ 桜田淳子
 詞:阿久 悠 曲:中村泰士 R:1974/03/05 HC:10位
・さよならの嵐 今 陽子
 詞:千家和也 曲:加瀬邦彦 R:1974/02/25
・円舞曲(わるつ) ちあきなおみ
 詞:阿久 悠 曲:川口 真 R:1974/03/10 HC:29位
積木の部屋 布施 明 
 詞:有馬三恵子 曲:川口 真 R:1974/03/10 HC:4位
 ◆年間チャート(74年)9位(55.3万枚)
 ◆第16回(1974年)日本レコード大賞歌唱賞受賞曲
 ◆第1回(1974年上期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌唱賞受賞曲
 ◆第7回(1974年)日本有線大賞特別賞受賞曲
 
◆第3回(1974年)東京音楽祭・国内大会 ゴールデン・カナリー賞受賞曲、同・世界大会 銀賞受賞曲
 ◆第25回(1974年)NHK紅白歌合戦出場曲(8回)
 ※それまで実力・人気はありながらも音楽賞とは無縁であり「無冠の帝王」とも揶揄されていた布施だったが、この曲のヒットを引っさげ同年度の賞レースに堂々参戦。この曲で得た勢いが翌年の「シクラメンのかほり」の大ヒットへと繋がってゆく。

<1974年4月8日(第283回)>
・青い山脈 坂口良子/円谷弘之
 詞:西条八十 曲:服部良一 R:1974/04/-
 ※フジテレビ系ドラマ「青い山脈」主題歌。
 ※この曲はそれぞれ違う歌手によって計3回にわたりシングル化されており、この坂口・円谷盤はその3枚目に当たる
①オリジナルは1949年、石坂洋次郎原作の東宝映画「青い山脈」の同名主題歌として、藤山一郎・奈良光枝のコンビにより吹き込まれ当時大ヒット、定番の青春ソングとして親しまれた。
②その後、1963年に今度は日活で同原作が映画化(1957年に続いてこの時が3回目の映画化)された際に同曲も当時の若手人気歌手である神戸一郎・青山和子のコンビでリバイバルされ、これもヒットした。
③因みに1988年に松竹が「青い山脈'88」のタイトルで同原作を映画化(1975年に続きこの時が5度目の映画化)した際には同映画の主演を務めた舘ひろしが同曲を歌っている。舘バージョンについてはシングル化はされていないが、同年末に発売されたアルバム「Impressions」には収録されている。
しあわせの一番星 浅田美代子
 詞:安井かずみ 曲:筒美京平 R:1974/03/01 HC:7位
告白 野口五郎
 詞:千家和也 曲:馬飼野俊一 R:1974/04/25 HC:4位
 ◆第1回(1974年上期)FNS歌謡祭・音楽大賞 最優秀歌謡音楽賞受賞曲

<1974年4月15日(第284回)>
・透きとおった哀しみ あべ静江
 詞:山上路夫 曲:馬飼野俊一 R:1974/05/10
星に願いを アグネス・チャン
 詞:安井かずみ 曲:平尾昌晃 R:1974/02/25 HC:4位
 ◆年間チャート(74年)26位(34.0万枚)
・別れてきました 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
 詞:なかにし礼 曲:平尾昌晃 R:1974/04/01
・古い日記 和田アキ子
 詞:安井かずみ 曲:馬飼野康二 R:1974/03/05 HC:44位
 ◆第54回(2003年)NHK紅白歌合戦出場曲(27回)
 ※物真似番組で和田アキ子の物真似をするタレントの大半が選曲するのがこの曲であり、和田のシングル曲の中では認知度が高い作品。但し、これも発売当初はオリコン週間チャートでの最高位は44位止まりとあまり売上は伸びず、1972年の「あの鐘を鳴らすのはあなた」同様、後年になって高い評判を得るようになった作品である。2003年の紅白では「KOUHAKU Remix」と題して一部曲の中にヒップホップを取り入れたバージョンでこの曲を披露した。

<1974年4月22日(第285回)>
・処女航海 優雅(ゆうや)
 詞:有馬三恵子 曲:筒美京平 R:1974/03/21 HC:24位
 ※71年、16歳のときに台湾のテレビドラマ「姉妹花」「鳳凰樹」に主演、台湾芸能界でビッグ・アイドルとして人気を博す。親日実業家であった父親の後押しもあり、73年に来日し、作曲家の筒美京平に師事。そして、74年3月に同曲で日本でも歌手デビューを果たした。その後も筒美作品の「胸さわぎ」「異国の風」などを歌いヒットさせたが、短期間で日本での活動を切り上げ、以後は台湾での活動を以前以上に活発化。86年には台湾語詞の「等無人」が台湾のほか東南アジアでも大ヒットするなど健在振りを見せた。
・ほほえみ 林 寛子
 詞:千家和也 曲:鈴木邦彦 R:1974/03/10
 ※子役を経て73年、フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」に出場、初代チャンピオンとなり、この曲で歌手デビュー。
・バラのかげり 南 沙織
 詞:有馬三恵子 曲:筒美京平 R:1974/03/21 HC:15位
・海のあらくれ 北島三郎
 詞:星野哲郎 曲:米山正夫 R:1974/04/-

<1974年4月29日(第286回)>
・春雨物語 矢吹 健
 詞:岡崎英生 曲:穂口雄右 R:1974/-/-(詳細求む)
・波止場エレジー 金井克子
 詞:有馬三恵子 曲:川口 真 R:1974/02/21 HC:65位
・恋は初恋 いしだあゆみ
 詞:なかにし礼 曲:加瀬邦彦 R:1974/04/25 HC:54位

【司会】 なし(ゲスト歌手輪番制、~74/03/25)→芳村真理・三波伸介・朝丘雪路(74/04/01~)

(参考)この頃の主な出来事
・03/03 トルコ航空機がパリのオルリー空港に墜落直後墜落。346人死亡の大惨事に。
・03/03 中央自動車道の恵那山トンネル開通。長さは日本国内のトンネルでは最長、世界規模でも2番目の規模の8,489m。
・03/10 元日本兵・小野田寛郎がフィリピン・ルパング島で30年ぶりに救出される。12日帰国。
・03/17 兵庫・西宮の知的障害児施設「甲山学園」で女性園児、次いで19日には男子園児が相次いで行方不明となる事件(甲山事件)起きる。後に2人とも、園内の浄化槽から水死体で発見される。翌4月7日、兵庫県警は保母を男児殺害容疑で逮捕するも、3週間後の28日、処分保留のまま釈放(しかし、その4年後の1978年にこの保母は再逮捕、長い訴訟の間、無実を訴え続け、事件発生から25年後の1999年に無罪が確定)。
・03/30 同日のTBS系人気番組「8時だョ!全員集合」生放送内で、ザ・ドリフターズのメンバー、荒井注がグループを脱退、代わって見習いである志村けんがドリフに正式加入することが発表される。
・03/31 名古屋市電(路面電車)がこの日限りで廃止される。
・04/02 フランスのポンピドー大統領、現職在任中に死去。 72歳。
・04/06 第46回選抜高校野球決勝戦、兵庫の報徳学園高校が初優勝。惜しくも準優勝に終わった徳島・池田高校が「さわやかイレブン」として注目を浴びる。
・04/10 アメリカ大リーグ、ハンク・アーロンが715本目の本塁打を打ち、ベーブ・ルースが残した通算本塁打の世界記録を更新。
・04/11 プロボクシング・WBC世界ライト級王座決定戦で、挑戦者のガッツ石松が、チャンピオンであるメキシコのドルフォ・ゴンザレスを8回KOで破り、3度目の世界挑戦にして王座獲得。
・04/20 東京・上野の東京当局国立博物館で「モナ・リザ展」開催。6月10日までの開催期間中の入場者数は延べ151万人に達する。


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2 コメント

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チューリップ「銀の指輪」 (昭和の名盤!アナログ日記)
2008-04-28 17:56:26
かなり改訂版の作業が進んでおられますね。ご苦労様です。
チラっと74年3月4日放送分で「銀の指輪」を見かけましたので、憶えてることを少しだけ・・
当時の彼らはTVの歌番組に頻繁に顔を出しておりました。ワタクシも好きだったグループでしたのでレコードはよく買い、TVでの演奏などをカセット・テープに録音したりもしておりました。
この「銀の指輪」をリリースした時もヒットをしたのでテレビにはよく出演しており、よく憶えております。特に多く出演していた記憶があるのが「ベスト30歌謡曲」であります。録音したりもしました。
ただ姫野氏が休養したのは短期間だったように思います。何故ならば財津氏がボーカルを取ってこの歌を唄ったのを見た記憶は1,2回程度しかなかったように記憶しているからなのですが・・・
殆ど姫野氏のボーカルでしか「銀の指輪」を当時何回もTVで観たことしかありませんでした。
「夜ヒット」には関係なく、参考にならないかもしれませんが、スミマセン。
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歌謡ドラマがフォーク系歌手出演の「壁」になったのでは? (resistnce-k)
2008-04-28 22:42:33
この72~74年当りの出演者一覧をざっと目を通していくと、フォーク系の歌手の出演が少ないというのはやはり気になりますね。

当然、テレビ出演に当初から消極的な姿勢であった井上陽水などは別にして、たとえば、ガロ・チューリップ・かぐや姫当りは、73年~74年の前半ぐらいまでは「ベスト30歌謡曲」に限らず、フジでも「ミュージックフェア」「ゴールデン歌謡速報」などに出演したり、年末の音楽祭でもちゃんと歌を披露したりと、結構な頻度でテレビに出ていたらしいのですが、ヒットスタジオではかぐや姫に関しては第2期メンバーとして山田パンダ・伊勢正三が加わった後では1度も出ていないですし、ガロも「ロマンス」「学生街の喫茶店」がヒットしていた時代には出ておらず、74年秋に「ピクニック」というさほどヒットしなかった歌で出演したその1回きり。チューリップも上記の「銀の指環」のあとは12年間も出演なしという状態・・・。

何となくですが、概してフォーク系歌手全般に、この時代のヒットスタジオは「出演を避けたい番組」という認識があったのかも・・・という感じがしてくるんですよね。

当時のヒットスタジオは番組の半ばに「歌謡ドラマ」という名の「コント」コーナーがあったわけですが、勝手な推測ではありますが、このコーナーがあることが、フォーク系歌手に敬遠されていた最大の遠因になっているのではないか?という感じがしてならないんですよね。

フォーク系歌手は、大抵が自ら作詞・作曲・歌の三役をこなすわけで、単に他の作家からの作品を歌っているというだけのほかの歌謡曲歌手とは、1曲1曲に対する想いがかなり違うはずで、テレビへの出演も自分達の想い・主張というものを自分達が作った歌を通じて一人でも多くの視聴者に伝えたいという、そういう純粋な思いで出演を決心したアーティストも多かったはずなのです。

そこにきて、ヒットスタジオに出た場合、かなりの高い確率で「歌謡ドラマ」に参加させられてしまい、それによって、自分達の歌を通じてのメッセージをうまく視聴者に伝えられなくなってしまう、つまり、自分達の歌の世界を表現する上で「歌謡ドラマ」の存在が邪魔である、という判断を多くのフォーク系アーティストはしていたんじゃないか?という感じがするんですよね。

こういった事情も恐らく70年代後半からの「歌謡ドラマ」排除→歌を徹底重視の姿勢へと番組の制作方針を転換させた遠因となっていると思います。
現に歌謡ドラマを排除して2年目にはすでに中島みゆき、五輪真弓、矢野顕子といった当時テレビ出演には消極的だったアーティストもヒットスタジオに初出演したりしてますしね。まあ、歌謡ドラマを排除した分、余裕を持った構成になったが故に「2曲披露させる」という条件を出しやすくなったのもその背景にはあるんでしょうが。
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