住職の独り言

~ご縁に触れて~

進化

2021年01月31日 | 独り言
人類は古来、新たらしいウイルスの発生により、

そのウイルスに対応する免疫力を身につけ
生命誕生の38億年前より
有形無形の進化を遂げて来たのだろう。

この度の新型コロナウイルスもしかり…と思う。

私の身体は先祖のお陰…


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無駄

2021年01月30日 | 独り言
無駄なことは 
 何もない

無駄にする人が
 いるだけ

~この世に無駄なものはない。価値は自分の心が作り出すもの~ 吉岡貴紀 
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『それでいいのだよ』

2021年01月29日 | 独り言

【メッセージ文について】

 新型コロナウイルス感染症は、いまなお世界中にひろがりつづけ、感染者・死亡者の数は増える一方です。

昨日まで元気だった方が、突然、病に襲われ、最悪の場合には死に至るというきびしい状況のなか、多くの人々が不安をかかえながら生活しています。

自分や他の人のいのちを守るために、医学的・科学的に最善を尽くして行動することが求められています。

 誰しも「健康で長生きしたい」「まだ死にたくない」という思いを抱きながら生活していますが、生まれてきたものは必ず死ぬということがこの世の真実です。

その真実をありのままに受け入れることができず、生きることのみにとらわれ、死ぬことを遠ざけながら、日々を過ごしているのが、この私です。

 そのような私たちの姿を哀れみ、この世の真実に気づかせようと、あの手この手で呼びかけはたらき続けてくださるのが阿弥陀さまという仏さまです。

自分中心の心でしか物事をとらえることのできないこの私を、「そのままの姿で救う」と救いのはたらきを振り向けてくださっているのです。

 我利我欲(がりがよく)の生活から逃れられない私たちは、すべて思い通りになることはないので、不平・不安を抱えたまま生きていくほかはありません。

しかし阿弥陀さまの救いに出遇うとき、力強く生きていく道が開かれていきます。そうは言っても、生きている今も、そしてたぶん死ぬ時も、心がさだまらず不安がいっぱいであり続けるのが私たちです。

それを「腹はすわっていない」と表わしています。

しかし、そのような私たちに、「そのまま命を終えてもいいのですよ」と、やさしくよび続けてくださるのが、阿弥陀さまです。それを、「それでいいのだよ」と表わしています。つまり、「それでいいのだよ」は、「いい」とか「悪い」とかを、私たちが判断することではありません。

私たちの側は、「そのまま救う」とのおよびかけを、「そのまま」受け入れるだけなのです。

私たちにとっての生き死にの一大事については、この阿弥陀さまの救いのはたらきによるしかないのです。

ただただ「ありがとう」のお念仏を申しつつ、気をつけて精いっぱい生きてゆきましょう。

(西本願寺)
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「3月9日」という歌

2021年01月28日 | 独り言
今、中学生の間で卒業式で歌いたい歌NO.1は、「ミオロメン」というグループの「3月9日」という歌だそうです。
その歌詞の中に
「瞳を閉じれば あなたが まぶたの うらに いることで どんなに強くなれたでしょう」
という一説があります。

阿弥陀さまも一緒ですね。

遙か彼方の西方浄土におられるのではなく、
南無阿弥陀仏という言葉となって、
「いつでも、どこでも」私と共にいて下さる。

「一人じゃないよ!」
「あなたを独りにさせません」
「安心してまかせなさい」

と喚びかけて下さっています。

姿形を超えた、声の仏「なんまんだぶ」となって
響きとなって、私の命を摂め取って下さっています。


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還相

2021年01月27日 | 独り言
~朝の詩~

「天国行き」

天国行きの
切符に
往復切符が
あったら
いいのになぁ
なぜ
片道切符しか
売ってないのかなぁ?

(大阪茨木市 中島孝和82)

安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし
『註釈版聖典』560頁

阿弥陀如来の大願業力により信心を恵まれた人、浄土に至り仏となると、大いなる慈悲の心をおこし、迷いの世界へ還り来たり、すべてのものを導き救いたもう。
種々なる縁を通して私たちを仏前に誘い、仏法聴聞へと導きさとりへと至らしめる有り様は、お釈尊さまが巧みに人々を教化されたように、自由自在で限りない。



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安らぎ

2021年01月26日 | 独り言
一人の静かな時間で
心を落ち着けよう

やることが沢山あって、気が焦ったり落ち着かないことってあるよね。
そんなときは一日に15分でも10分でもいいから、一人静かに過ごす時間を作ろう。ゲームも教科書も遠ざけて、目を閉じて静かに座るんだ。正座でもあぐらをかいてでもいい。きっと心が安らいでくるよ。


安らぎにまさる楽しみは存在しない。

~ダンマパダ202より~(日めくりブッダ語録)

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世の灯明

2021年01月25日 | 独り言
人生は闇夜を、提灯なしで歩くようなもの
阿弥陀さまは提灯になって下さった
南無阿弥陀仏


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高貴香麗者

2021年01月24日 | 独り言
歳と共に
度忘れというか、
ボケたというか
思い出せなかったり
身体のあちこちが急に痛くなって
歩く速度もノタノタ
まさに高齢者

お陰でゆっくり物事か味わえる
今まで聞き流していたことが
有り難く聞かせて
頂けるようになりました。

目指すは「高貴香麗者」




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南無阿弥陀仏

2021年01月23日 | 独り言


【メッセージ文について】

 移り変わる世の中、私たちがこの人生を生きていく上で、本当の依りどころとなるものは一体何でしょうか。

家族や財産、健康や名誉、いや自分自身とおっしゃる方もおられるでしょう。確かにどれもが大切なものであり、私の支えとなるものです。

しかし、これらのものは、移ろいゆくものであり、残念ながらいつかは崩れてしまい、離れていくものでもあります。

本当の依りどころとは、崩れるものや無くなるものではなく、この私の人生そのものを支え続け、導き続けるものではないでしょうか。

親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」こそが、究極の依りどころとなるとおっしゃいました。

 阿弥陀さまという仏さまは、「南無阿弥陀仏(そのまま救う まかせよ)」と私をよび続けてくださり、「どんなことがあってもあなたを離さない」と、私のいのちをお慈悲のなかへ摂めとってくださる仏さまです。

私の人生を支え、浄土へと導き続けてくださっています。

 「南無」は、古代インド語(サンスクリット語)の「namo」という、相手に対する敬意と信頼を表す言葉を漢字に音写したものです。これを中国では「帰命」と翻訳しました。

「帰命」を日本語に訳すと、「おおせにまかす」という意味になります。

ただし「南無阿弥陀仏」とは、私が自分の意思で阿弥陀さまにおまかせするということではなく、「そのまま救う」という阿弥陀さまからのよび声であり、そのよび声に、すべておまかせすると、親鸞聖人はよろこばれたのです。

(西本願寺)
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格言

2021年01月22日 | 独り言
実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差

真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり

本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

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