住職の独り言

~ご縁に触れて~

水虫川柳

2009年10月31日 | Weblog
足洗え!
刑事セリフが
身に浸みる
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宇宙と私

2009年10月29日 | Weblog
~生かされている命に感謝~より要約
村上和雄(筑波大学名誉教授)

宇宙は今から137億年位前の大爆発(ビックバン)に起源する。

ビックバンの直後に生じた水素原子は現在、
生き物の中に残り
人の身体には宇宙の進化の歴史が凝縮されている。

どんな未熟な人も全宇宙を背負って生きている。

この世で、自分の力だけで生きている人など地球上に一人もいない。
太陽、水、空気、動植物、地球など
目に見えない大自然の偉大な力のおかげで
生かされているのである。

人の遺伝子は一人一人違う。
それは誰もが、
かけがえのない人間として生まれてきたという意味だ。

他人と比較して生きるのではなく、
自分の花を咲かせるために、
オンリーワンとして生まれてきた。

私たちは生まれてきたことを喜び、
生かされていることに感謝すれば、
多くの眠っている良い遺伝子の働きがオンになる。

あきらめず、努力し続ければ、
必ずあなたの遺伝子は目覚め、
限りない可能性を引き出せると思っている。
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心に響いた投稿

2009年10月28日 | Weblog
~母のコーヒーカップ~(61歳女性)要約

コーヒーカップを割ってしまった。

ふと母のカップがあることを思い出し押し入れから探し出した。
6年前、91歳で亡くなった母への、最後の母の日のプレゼントだった。

プレゼントしたカップを使わないから
「なぜ、使わないの?」
「もったいないから…」

今、自分で使ってみると”はっと”した。
重いのである。

たっぷりと注いだコーヒーを口に近づけると、
ずしりとしたものを感じる。

年老いた母には随分、重かったろう。

「その年にならないと、わからないことがあるよ」
と言っていたことが鮮やかに思い出された。

…本当ですね!
プレゼントしたという自己満足だけのことも多々ありそう。


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お釈迦様は凄い

2009年10月27日 | Weblog
世界の宗教の多くは
世界観・人生観を神によって創造されたと説く。

お釈迦様は「すべては縁より起こる」と説かれ、
因さえも縁によって変わる。

果物でも種は因であり、
太陽の光・水・空気・土・肥料…等々が縁となり、
実を結ぶ。

しかし、ブドウでも種なしブドウが好まれる。
その結果、人間の栽培技術の縁によって、
種なしブドウの種という因に変化した。

因でも縁によって常に変化する。
そこには固定したものは何一つもない。

お釈迦様一人この法則を明らかにされたのです。
まさに真理であります。
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いのち

2009年10月26日 | Weblog
人の細胞は60兆からなり、
300種類の異なる細胞が器官や臓器をかたちづくり、
自律神経の働きによって細胞同士・臓器同士がお互いに助け合い個体を生かすという。

これらの情報は遺伝子という設計図に書き留められ先祖から受け継ぐ。

その遺伝子(設計図)は生命が誕生した38億年間前から受け継がれている。
私の身体には38億年という年月が凝縮されたいのち。

…正像末和讃に「久遠劫より流転せり」とあるけど、
38億年前から阿弥陀様の救いのみ手から逃げ続けた私でありました。
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疑い心

2009年10月25日 | Weblog
あるご門徒さんが、
学校で納豆の栄養価を勉強し、
是非食べたいと思って、
デパートで購入し家に帰り、
ばあちゃんに見せた。
「…こんな腐っているもの食べるな」と言われ捨てたそうな。

後日、やっぱり食べてみたいと再度購入。
…やっぱり糸を引いて腐っている…。

ヨーグルトを買ってきて、
ばあちゃんに食べてみたら、
「これは酸っぱくて腐っている…」

食べれば栄養があってとてもいい食品なんだけど…
疑い心が受け入れようとしない。

浄土真宗のご安心もしかりで、
曇鸞大師は「礙は衆生に属す。光りは礙にあらず」と云われ、
私に煩悩があるから救われないのではなく、
阿弥陀如来の救いを疑う心が救いを阻むと教えられます。
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凡夫の自覚

2009年10月24日 | Weblog
みんな、いいときはいいんすよ…。

人生いいと思ってしたことでも裏目に出てしまうことがある。

うまくいかなくなると、誰かのせいにしたくなる。

人のせいにしてしまえば簡単だけど…

お金が無くて、みんなが幸せそうな国だって沢山あるような気もします。

お念仏申す人生とは、

驕り高ぶる私を「お前は凡夫ぞよ!」と知らしめて下さる。

こんな宗教何処にある?有り難いこっちゃ!南無阿弥陀仏…
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出会い

2009年10月23日 | Weblog
~こどもの詩~岡田悠花(小3)

『友だち』
はじめて話をしたら
おもしろくて 楽しくて
ずっとしゃべっていたくなっていた
気がついたらとっくに
わたしは「友だち」になっていた
とてもすきになっていた
これからもよろしくね!

…初めての人でも、よく会う人でも
こちらから「お早うございます」「こんにちは」と挨拶すると、
同じように「お早うございます」「こんいちは」と返ってくる、
勇気を出して自分から挨拶すると…そこから出会いが始まる。
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心に残る話

2009年10月22日 | Weblog
ある大学教授が自宅を開放し、
知的障害者と自給自足の集団生活をしておられた。

ある秋のこと一人の男が、仕事がしたいと言ってきたので、
教授は考えた末、
男に稲穂に寄ってくるスズメを追い払う仕事をしてもらった。

男は田んぼの畦に、
案山子(かかし)の様に両手を広げて立っていたという。

何日かして、隣の老婆が先生の所に飛んできた。
「先生!来て下さい」
「何ですか?」

教授の手を引っ張って田んぼに来た老婆は、
「あれをご覧なさい!やっぱり馬鹿は馬鹿じゃ!…どうしようもない人間じゃ!」

見ると男は田んぼの中に案山子のように立っているが、
男の頭にはカラスが止まり、
広げた両手の上には何羽かのスズメが止まり、
稲穂との間を行ったり来たりしている。

老婆は笑い転げたながら…「案山子にもならん!」

老婆が振り向くと、
教授は大地にひれ伏して男を拝んでいた。
「先生何しとるんじゃ!」

呼びかけられた先生は、
目に一杯の涙をためて
「おばあさん!あんたの目には、あの男がどうしょうもない馬鹿としか見えんかい。この私の目にはなァ…あの方が尊くて尊くてなァ…」

「先生それはどういう事じゃ」

「おばあさん!あの男にはカラスもスズメも気を許して寄り付いて来ますのじゃ…私なら足音を聞いただけでも怖くて逃げていきますじゃろうに…この私など足元にも及びませんわい…」
            以上
[私見]
私もこの教授と同じでスズメも足音を聞いただけで逃げて行ってしまうでしょう。この男に無心というか無我というか尊い世界を教えられる。
人を外見だけで人を見てはいけないとつくづく実感させられる話であります。合掌
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落葉

2009年10月21日 | Weblog
いよいよ本格的な落葉の季節を迎える。

でも、人間ってワガママなんだよね!

夏の暑い時、木々は日陰を作り、
歩くのも車を止めるのも木陰で恩恵を受けておきながら、
落ち葉の季節になると、
夏のことは忘れて枯れ葉掃除にウンザリしたりする。

恥知らずな自分だなァ…と反省する。

散ると見るは凡夫の眼(まなこ)
木の葉(このは)は大地に還るなり
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