唐史話三眛

唐朝順宗・憲宗→宣宗→德宗時代の流れを、私見を付け加えて
記述していきます。ご異見があればよろしく。

藩鎭軍乱8 湖南觀察 驕軍

2017-09-13 19:14:42 | Weblog
大暦5年4月
[新]四月庚子,湖南兵馬使臧玠殺其團練使崔灌。
[旧]庚子,湖南都團練使崔瓘為其兵馬使臧玠所殺,玠據潭州為亂,灃州刺史楊子琳、道州刺史裴虯、衡州刺史楊漳出軍討玠。
[通]庚子,湖南兵馬使臧玠殺觀察使崔灌;澧州刺史楊子琳起兵討之,取賂而還。

[背景]崔灌/瓘は清廉で優秀な文官で、澧州刺史として業績を上げ、湖南觀察使に栄転してきた。湖南地方は蠻族が過半を占め安史の乱以来、統治は乱脈を極めていた。灌は法令を遵守し粛々と治政を行っていたが、牙軍の将卒は不法行為になれていて不満を募らせていた。兵馬使臧玠等は給糧に対する幕僚とのいざこざから蜂起し、灌も巻き込まれて殺害された。

[結果]唐朝は近隣の諸将に鎮圧を命じたが、真面目に討伐をしようという者はなく。結局神策軍より左羽林大將軍辛京杲を湖南觀察使にして鎮圧に当たらせた。詳細は不明だが京杲は専権強圧の將であるので臧玠等は誅殺されたか蠻地へ遁走したであろう。しかし京杲の湖南統治はでたらめであり、王國良の反乱なども引き起こして問題を長引かせた。
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