九州大学山岳部 ブログ 「QUAC blog」

日々の活動、部員の声etc... QUACの日記です。

剱-槍縦走

2024年01月19日 | 夏合宿

はじめまして。1年の津田と申します。

今さらで申し訳ないですが、2023年の8月下旬の北アルプスでの縦走について振り返らせていただきます。

 

メンバーは松林先輩(以下『先輩』と書いております)、辻さん、津田の3人で、期間は8/16~8/23の7泊8日(0日目含む)。コースは剱岳から薬師岳や水晶岳を経由し槍ヶ岳に向かうというものでした。自分にとってはそれなりに長い期間山に籠るのはこの縦走が初めてだったので、漠然とどうなることやらという感じでした。

 

【0日目】

(この日から縦走は実質始まっているようなものでしたが、縦走計画には含まれていませんので『0日目』という表現をしています。どうでもいいことですが。)この日の前日から朝にかけて、台風を避けて富山駅近くのカラオケで籠城をしていました。ということで、この日は富山駅から、縦走のスタート地点となる雷鳥沢CSまでの移動でした。富山駅からバスで室堂まで。室堂から歩いて雷鳥沢CSまで。山道を歩いたわけでもなく、移動はそれだけと言えばそれだけのことで、特に特筆すべきこともなかったです。

13時半ごろ、雷鳥沢CSに到着。着いて少し経ったときのことですが、高校生たちの大きな団体(多分山岳部)がやってきて自分たちのテントが半ば囲まれたような形になりました。大勢の楽しげな声はやむことがなく、しかもなにやら豪勢な夕食をこしらえている様子でした。多分3人でモソモソ食ってたジフィーズやα米だって同じくらいおいしいはず。18時就寝。

 

【1日目】

縦走の開始。4時起床、5時出発。前述の就寝が18時というのも含めて、この縦走の朝は全部このタイムスケジュールでした。この日は雷鳥沢CSから五色ヶ原山荘CSまで。道中は特に道が荒れているわけでもなく、天候にも恵まれて山行は順調に進みました。穏やかな山行で、正直この日のルートに関してはあんまり覚えがないです。そのくらい穏やかだったということでよろしくお願いします。

11時になる前には五色ヶ原山荘に到着。テント場の水場が枯れているとのことで、山荘入り口横にやかんが置かれていました。夏だというのに野外に置かれたやかんの水の結構冷たさに山の上にいるということを再認識させられた瞬間でした。テント場に向かい、時間もあるのでテントを立ててのんびりしていたのですが、昼過ぎから雨が降り出してしまったためテントに逃げ込んで雨が止むのを待っていたところ、浸水の事実が発覚。テントを立てる場所がよくなかったようで、降雨によってできた水流の上に陣取る形になってしまっていました。先輩による“治水工事”と、雨が短時間のものだったこともあってテントの一角が多少濡れる程度の被害に収まり、荷物を濡らさずに済んだので良かったです。テントの場所を決めたのは…。

「いいと思います、ここで。テント。」

以後、短慮の発言は慎みます。

△夕立の後の虹(五色ヶ原山荘テント場にて)

 

【2日目】

この日はスゴ乗越小屋まで。午前は快晴で日差しが強く、スゴノ頭を過ぎたあたりからだったと思いますが日陰も少なくなり、実際の気温は知りませんが汗ばんでくるくらいには暑かったです。日焼け止めの必要性を実感しました。朝は寒いやら日が出てからは暑いやら、じりじりとしばらく歩いていました。

行程の途中にお会いした老婦人と追い抜いたり追いつかれたりの繰り返しをしているうちに、前日同様11時くらいには目的地に到着(この老婦人は次の日の目的地も同じで、ちょっとした知り合いになりました)。意外と早いものだな、とそういう感じでした。この日も午前中の日当たりの影響だと思いますが、夕方ごろにはテント場全体が霧に覆われたようになりました。いい雰囲気でした。自分がガスバーナーに触れてしまい火傷してしまいましたが、この日のイベント(?)といえばこのくらいで、穏やかに2日目も終了(4日目まで痛みました)。

 

【3日目】

この日は薬師峠CSまで。この日の行程の途中で通った薬師岳が個人的にはこの縦走で一番印象に残った山でした。岩だらけの山頂付近は歩いていて楽しかったです。この日は人が多かったように思いました。主に年配の方が多く、山頂で談笑しながらスマホを使いこなす姿には逞しささえ感じられました。ああいう風になれればと思います。穏やかな山行でしたが、この日、先輩の左手がブユに刺されていたという事実が発覚。体質的に虫に刺されると悪化しやすいそうで、ムカデに刺されたかのように腫れていました。ひとまずは様子見ということで薬を塗って山行を継続。

△薬師岳山頂

行程自体には影響はなかったので予定通り11時頃薬師沢峠CSに到着。この日のテント場は人が多く賑やかでした。いろいろと思い出されます。急に始まった絵しりとり、拾ったケーキ(にしか見えない石)、寝心地抜群(鈍痛)の石の敷布団、聞こえてきた川柳(ただの下ネタ)、そして強烈な日差し。印象的な午後のひと時でした。夜の寝苦しさには閉口。暑い一日でした。3日目終了。

 

【4日目】

この日は雲ノ平山荘CSまで。塗り薬など効かぬと言わんばかりに先輩の左手が肥大化。物が触れると痛いそうで、気の毒でした。道中薬師沢小屋の辺りで梯子がありましたが、やはり上りにくそうにしていました。一瞬縦走もここでおしまいか、と思いましたがそんなことはなかったです。ほかにこの日の行程については、薬師沢小屋のつり橋は足場が細いうえに結構揺れるのでなかなか怖かったこと、森の中の急坂はこれまでの縦走路とは雰囲気が違って普段の低山のような感じがしたことを覚えています。

計画段階ではこの日が一番キツイ山行になるだろうとのことでしたが、コースタイム的には順調に山行は進み、10時半ごろには雲ノ平山荘に到着。時間もあったので山荘で昼食をとってしばらくゆっくりさせてもらったのですが、まさか山荘という場所でMacBookを扱う人たち(服装も普通の服だった気がする)を目にすることになるとは思わなかったです。下界にいるかのような場所でした。(余談です。山荘に『ブラックジャック』が置いてあって読んでいたのですが、単行本1巻の、ピノコの誕生についての話の中で“可仁(カニ)博士”という人物が登場するのですが、その医師が勤めている病院の名前が“横倍(ヨコバイ)”病院とありました。その話の中では全く重要な要素ではありませんが、カニ、ヨコバイ、というと、このネーミングの元ネタはやはり…?実際のところどうなのでしょうか。)山の上にいるということを忘れかけましたが、2,3時間滞在させてもらったのちテント場に向かい、あとはそれまで通りに18時ごろには就寝ということになりました。ただ、この日も夕方ごろから雨が降りました。加えてこの日は落雷もあり、雷や雨の音がすさまじかったので多少不安になりましたが、対照的な近くから聞こえてきたのんきな調子の話し声のおかげで気楽に眠ることができました。この方々には翌日お会いしたのですが、やはり雰囲気の柔らかい方々でした。ありがとうございました。

 

【5日目】

この日は三俣山荘CSまで。7時半くらいに水晶小屋に到着し、水晶岳へのピストン。往復で1時間強くらいでした。水晶小屋を出発し、1時間ほど歩いていると、雷鳥を発見(雷鳥を見かけることは縦走中何度かあり、前日の雲ノ平CSでは間近に雷鳥を見かける機会もありましたが、写真についてはこの時のものしか自分は持っていません)。10時前にワリモ岳山頂に到着。ワリモ岳を出発して10分ほど経ったタイミングだったと思います。持っていた熊鈴の音が聞こえなくなったと思い、ザックのポケットを確認してもらうと、やはりなくなっていました。結局、二人に待ってもらいワリモ岳山頂に置き忘れていたのを取りに戻る羽目になりました。空身のうえ、山頂も近かったのではじめは走って取りに行こうとしていたのですが、ものの十数秒で息が切れてしまい、足が止まってしまいました。それまで気温や景色以外で標高の高さを実感していなかったのですが、息の切れ方が下界のそれとは異質なものだったので、この時に初めて実感することになりました。10分くらいかかったように思います。その後の行程に影響することはなかったので良かったです。忘れ物をしたこともそうですが、息切れのこともあって一番印象に残っている瞬間かもしれません。以後、気を付けます。

△水晶岳山頂

この日の行程は割とこたえるものだった気がします。やはり後半には疲れがたまってくるのでしょうか。12時前には三俣山荘に到着。鷲羽岳辺り(10時半くらい)から空模様が怪しくなりましたが、結局雨は降りませんでした。個人的にはこの縦走中でここのテント場が一番好きでした。山荘に置いてあった漫画は最後まで読みたかった(『陽だまりの樹』)。

 

【6日目】

この日はいよいよ槍ヶ岳へ。5時ごろに出発し、6時前には三俣蓮華岳山頂に到着。ここから見た朝日がこの縦走で一番きれいだったと思います。7時ごろに双六岳に到着し、8時前に双六小屋を通過。ここから少しきつい坂を上り、30分ほどで樅沢岳(モミサワダケ)に到着。「樅」、こんな漢字知らない。ここから少しの間開けた道でした。THE・縦走というかなんというか、とにかくそれっぽいというか(語彙力)。そこもすぐに通り過ぎ、しばらく日光に焦がされながら尾根を伝って歩いていると、11時ごろに千丈乗越に到着。ここから槍ヶ岳山荘までが一番くたびれました。長い砂利道の急坂。長く単調な登りのうえ、ちょうど日陰になっているため運動量はあるのに止まるとしっかり寒い。一番残酷なのは常に目的地の山荘が少しだけ姿をのぞかせていることかもしれません。

△三俣蓮華岳からの眺め

時間が掛かりましたが、山荘に到着。この辺から殺生ヒュッテに着くまで目的地に到着した高揚感で行動記録を忘れてしまいました。山荘についてから割とすぐに槍ヶ岳山頂に向かい出発。そんなに時間は掛かりませんでした(20分かからなかったはず)。あいにくガスっていて景色は真っ白でしたが、やはり山頂はいいものだと思います。幾人かの他の登山者の方々と話しながらしばらく粘ってみましたが、晴れそうになかったので山荘へ。下りの梯子の方が高度感ありますね。

△下りの梯子(槍ヶ岳山頂)

しばらく山荘の辺りで休んだのち殺生ヒュッテへ向かいました。殺生ヒュッテは槍ヶ岳山荘から見えているのですが、実際に歩いてみると結構遠い。山にいると距離感覚が変になるような気がします。テン場に到着。そこで自分たちくらいの山行距離を3日で来たという方に会いました。はや。この後はこれまで通りで、16時ごろ夕食、18時就寝。

 

【7日目】

△殺生ヒュッテから見た槍ヶ岳(朝)

下山日。結局最終日まで山行中の天気は良好。殺生ヒュッテを出発し、上高地バスセンターへ。下りが続くと足にきますね。しばらく歩いていると背後から規則的な足音と共に“3日で来た方”が。軽い挨拶を交わして追い抜いていきました。はや。その後しばらく歩き、7時過ぎに槍沢ロッジに到着。この辺りからは平坦な道になってきました。川や工事現場を横目に歩き続けます。横尾山荘を過ぎ、だんだんと道は幅が広くなり、平らで舗装されたものになってきました。歩くにつれて周囲はだんだんと下界の様相を呈してきます。向こうから歩いてくる登山客はいなくなり、軽装の観光客が増え、舗装路との相性の悪い登山靴を履いた足が悲鳴を上げ始めました。徳澤園に着くころには辺りは観光客でごった返していました。大勢で賑やかな観光客に対し、少数の屍の我々。見事な対比。人々の流れに逆行し、目的地を目指し単調に歩き続けてそろそろ自我が薄れかけた11時半ごろ、上高地バスセンターに到着。これにて山行は終了となりました。あとはまあ、なんやかんやで名古屋駅近くのカラオケまで移動しました。

 

【8日目】

直帰。5時、カラオケを出発。名古屋駅の始発に乗り、鈍行を乗り継いで家まで。22時半、自宅に到着。24時、片付けを終え、布団の中で死亡。

 

【9日目~】

昼前に蘇生。急激な生活レベルの向上に感涙。以降、自堕落な夏休み。

 

最初にも書いていますが、今回は初めての縦走でした。反省点も多々ありますが、天候に恵まれたこともあり、全体的にはうまくいきました。感想としては、「何もかもが新鮮で楽しかった」といった感じです。薄い感想だなと思われるかもしれませんが、自分にとってはこの一言に尽きますし、自分にわかるのはこのくらいです。(繰り返しになりますが、)初めての縦走だったので、今後の山行の経験からこの山行についても後からいろいろと分かってくることもあるかと思います。ひとまずはいい経験ができたということで、この経験を踏まえて今後も山に登っていければと思います。ああ、ちなみに、槍ヶ岳山頂の標高は3180m、僕の人生の最高到達点です(?)。

投稿が遅くなったうえ長々と書きましたが、以上になります。ありがとうございました。


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