井沢:独自の年号も外交権もなかった朝鮮
前略。さかのぼれば朝鮮半島には高句麗、新羅、百済の三国が鼎立する三国時代がありました。やがて新羅が唐と結ぶことによって他の二国を圧倒して朝鮮半島における統一国家(676年)をつくった。それ以降朝鮮半島の統治者には中国から国王という称号が与えられます。
国王というのは中国に服属した周辺国家の首長に与えられる称号です。これ以降中国は朝鮮半島国家の宗主国今風にいえば属国になった。少なくとも独立国家とは言えない部分が多々ある国になったわけです。
その証拠に年号は中国のものを使っていて自分たちの年号を使っていない。ずっと後ですが徳川幕府と朝鮮が友好関係を保っていた時、朝鮮から日本に派遣される使者は正式の外交官ではない「通信使」という名称でした。独立国家ではないから独立自主の外交権がないからです。
韓国人特に青少年に気がついてほしいのは近代以前の朝鮮半島では重要な事件はみな十干十二支で示されていることです。壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)、甲申政変(1884年金玉均のクーデター未遂事件)のようにです。日本だと前者は文禄の役、慶長の役というふうに日本の年号を使っています。朝鮮ではそれができないので十干十二支を使っていることに気がついてほしいんです。 P149-150
呉:「日本に教えてあげた」「伝えてあげた」のオンパレード
日本の歴史書や歴史教科書に比べて、韓国の歴史書はとても主観的、情緒的にであり、具体性に乏しく、抽象的だという感じを強くもちました。さらに日本に関する記述ではことさらに対日優越意識に満ち溢れた記述になっているんですね。 中略
「入門韓国の歴史」から例をあげるとこんな具合です。
百済は日本に「漢文、論語、千字文を伝えてあげた」「漢学と儒教を教えてあげた」「政治思想と忠孝思想を普及させてあげた」「仏教を伝えてあげた」「天文、地理、暦法などの科学技術を伝えてあげた」 。
「高句麗もたくさんの文化を日本に伝えてあげた」「新羅は船をつくる技術、堤防と城郭を築く技術を日本に伝えてあげた」「伽耶は土器を作る技術を日本に伝えてあげた」。
とにかく「教えてあげた」「伝えてあげた」 のオンパレードなものですから、日本はもともと野蛮国で何から何までわれわれの祖先によって訓育感化を受けはじめて文化を身につけることができたんだな、という印象を強く持つことになるんです。
三国時代、朝鮮半島はあらゆる文化の花を開かせ、文物の輝きに満ちていた。一方日本という国を眺めてみると文化も何もない未開地であった。漢字もなければ、仏教もなければまともな文化は一つもなかった。その国に朝鮮半島諸国はおしみなくあらゆる文化を伝えてあげた、教えてあげた。
これが韓国人に共通の古代日韓関係の歴史認識です。P156-157
呉:都合のいいところだけ日本の「日本書紀」を利用
前略
韓国の教科書の「日本になになにを教えてあげた云々」の記述はみんな日本の文献に書いてあることを元にして自分に都合のよい解釈をほどこしたものなんです。韓国には古代の文献は一つも残っていません。「日本書紀」には古代の朝鮮半島諸国についてもいろいろ書かれていますから、韓国の古代史研究には欠かせない資料なんですが、都合の悪いことにはいっさい触れないんです。P167
呉:韓国に古い時代の文物が残っていないわけ
統一新羅時代の美術を代表するものに慶州郊外の有名な石窟庵の石仏があります。とても大きくてりっぱなものですが、この石仏は長い間ずっと 土に埋もれたままになっていました。これが発見されたのは近代になってからのことで発掘も実は日本軍の手によるものでした。
なぜそうなるかというと、朝鮮半島では王朝が交代しますと、前王朝の政治も文化もみな否定してしまうんです。また戦乱が起きると敵の文化を破壊し焼き払ってしまいます。
そういうわけで韓国には古い時代の文物はほとんど残っていません。それで日本の奈良に行きたがるんです。何しろ、ことごとく「教えてあげた」「伝えてあげた」ことに加えて「あの作品はわが祖先が作った」と主張されているものが多数ありますから、奈良に行けば「祖先の偉業」を偲ぶことができるからです。P169