村上龍の小説は読んだことはないし、今後も読むことはないだろう。今日取り上げるのは彼の政治経済に関する発言である。
政治経済と書きながら変な気がしてきた。経済の語源は
経世済民である。
世を治め民を救うという意味。そう、経世済民は本来政治という意味であり、
political economyの訳語としてできた。それがいつの間にかpoliticalのほうがなくなり単なるeconomyの意味で使われるようになった。実は政治も経済も同じ意味であったのだ。
閑話休題。作家が政治経済を論じていけないことはない。政治経済がわからない作家にいい作品が書けるとは思えない。作家が当代最高の知識人であった国、時代もあったのだ。
村上の発言の場としては
JMMと
龍言飛語がある。JMMは彼が問題を設定し専門家に問うという形式をとっている。そこで彼自身が問題を分析するわけではないがどんな問題を設定するかに彼のセンスが問われる。以下はJMMのバックナンバーからアットランダムに抜き出したものである。
私が尋ねられたわけではないがそれぞれ簡単な回答を付すことにする。
2002年08月05日
日米とも株の下落が止まらないようです。下落というリスクがあるのに、また直接金融へのシフトの必要性が指摘されているのに、日本の多くの企業・金融機関は、どうしていまだに「株の持ち合い」をしているのでしょうか?
筆者の回答; 日本企業は金融機関に限らず気心が知れない人々に株をもってほしくない。一種のなれ合い資本主義である。そこには株主として互いに経営には口を出さないことにしましょうという暗黙の合意がある(もの言わぬ株主)。これが戦後の経営者資本主義を支えてきた。
2002年05月20日 サッカーワールドカップは、日本にどのような経済効果をもたらすのでしょうか?筆者の回答; 経済効果はほとんどない。
2002年04月29日
卑俗な質問ですが、投資、企業活動、商売など、デフレ下でお金儲けをするコツというものはあるのでしょうか?筆者の回答; それがわからない評論家、大学教授、企業系シンクタンクのエコノミスト(つまりJMMの回答者)が売文業を営んでいる。わかっている連中はだまって金儲けにいそしんでいる。講演や本で儲けたエコノミストが資産運用コンサルタントに資金運用を相談するというマンガチックな例も多い。
2002年04月01日
日本の巨額の財政赤字はインフレを起こす以外に解決の方法はないという専門家もいます。スタグフレーション(インフレ+不況)、あるいはハイパーインフレから資産を守る方法としては、どのようなことが考えられるのでしょうか?
筆者の回答; いつスタグフレーション、ハイパーインフレが起こるかわからないことには答えようがない。ただ言えることはハイパーインフレ下での現金と預貯金及びデフレ下での負債は最悪の選択であること。こんなことは高校生でも知っている。
2002年02月11日
今回の外相(田中真紀子)更迭劇は日本経済にどのような影響を与えるのでしょうか?
筆者の回答; 何の影響もない。
2001年12月03日
メディアが伝えるニュースを見る限り、「日本経済」の状況は悪化の一途をたどっているかのようです。もし「元気の出る」トピックスをご存じでしたらご教示ください。
以下略
筆者の回答; そんなことを聞いて何になる?
私の回答は簡単すぎて原稿料はもらえそうにない。
以上ほんの一部だが彼の問題設定のセンスがある程度うかがえる。バブル崩壊後彼は「あの金で何が買えたか」というタイトルの本も出した。彼が経済問題に積極的に発言するようになったのはその本以来かもしれない。このタイトルを見た時も「何たる発想か」とあきれたものである。勿論買わなかった。
なぜなら株にしろ土地にしろ取引されているのはほんの一部である。特に売買される土地は1%にも満たない。その取引価格を残りの土地に掛けて金額を算出し関東圏の土地代でアメリカ全土が買えるとか、皇居の土地だけでニューヨーク全部が買えるとかぬかしたものである。こんな数字は仮想のものであって実体はない。だから「あの金で何か買えたか」という発想はナンセンスである。
先日「龍言飛語」では「自民党はなぜ凋落したか」というテーマを論じていた。テーマ設定はいいが結論がいただけない。彼の結論は「郵政民営化反対論者を復党させたから」というものである。一貫して郵政民営化を支持してきた彼らしい。
そうではなく高度成長期が過ぎ去り、税収の自然増もなくなり気前のいいサンタクロースの役割を演じられなくなったことが自民党没落の真因である。
それとも関連するがネズミ講に近い賦課方式の年金制度を取ったこと。この制度が成り立つためには新規の保険加入者が増え続けることが前提となる。そしてこの前提は失われつつある。これも政府自民党の失敗であり官僚の失敗でもある。
郵政民営化などこうした大きな潮流の中の小さなエピソードに過ぎない。郵政を民営化すれば何もかもうまくいくと言って大都市の政治的ミーハーをたぶらかし一時的に自民党の退潮を食い止めたという意味で。この間も自民党は地方と農村では支持を減らし続けた。
郵政民営化を論じるには金融機関としての郵便局と郵便事業者としての郵便局を分けて論じる必要がある。前者は財政投融資改革と一体をなすが、後者はそうではない。郵便事業を民営化する必然性は乏しかった。
というわけで村上の政治的社会的発言にはピンボケが多いというのが今日の結論。