アメリカは早くも1904年対日戦争計画「オレンジプラン」を作成した。従って1941年の日米開戦はアメリカが練りに練った戦争プログラムに日本がはめられたものである、と主張する人がいる。小林よしのり他多数。
だが、こうした人たちは「オレンジプラン」の意味を誤解している。アメリカの陸海軍統合会議が設定した仮想敵国は日本だけではない。対ドイツ戦はブラック(黒)プラン、イギリス、カナダ、メキシコでさえ仮想敵国としてそれぞれレッド(赤)プラン、クリムゾン(深紅)プラン、グリーン(緑)プランと命名した。敵国がなければ軍人は「商売あがったり」だからとかく敵を作りたがるものである。だからこれをもって、アメリカは日本との戦争をひそかに決めていたと見るべきではない。これはあくまでも軍人の職業的本性によるものであって、それが直ちに国家意志となるわけではない。
第一次大戦でアメリカはドイツと戦う破目になるが、これをブラックプランの延長と見るべきではない。長くなるのでここで説明は省く。
ひるがえって日本はどうか。日露戦争後明治40年最初の「帝国国防方針」で中国、朝鮮、東アジアへの進出を謳っている。これがアメリカ・スペイン戦争の結果フィリピンを領有し東アジアに勢力を伸長してきたアメリカとの対立に至ることは容易に想像できたはずだ。
オレンジプランの作成から日米開戦まで37年。その間、日本は朝鮮を併合し、法外な「二十一カ条の要求」を突きつけ、青島を支配下に治め、済南事変で蒋介石の統一戦争に介入し、傀儡国家満州国を作り、華北に食指を伸ばし第二の満洲国化をはかり、それが日中全面戦争(支那事変)につながった。盧溝橋事件はほんのきっかけに過ぎない。更に「ならず者国家」ドイツ、イタリアと同盟を締結し、北部及び南部仏印(現ベトナム)に進駐した。それがアメリカの日本の在米資産凍結、石油禁輸につながり、日本は対日開戦を決断した。
従って、ブラックプランがそうでなかったのと同様、日米開戦はオレンジプランの必然の結果と見るべきではない。
二国間によほど国力の差がある場合を除き、戦争では一方だけに責めを帰すことはできない。
中国への進出を確実にするためには、この小さな異人種の国は早晩始末する必要があったわけです。
この意味で、日本にとり日米開戦は本質的には自衛戦争であったといえますが、米国にとっては侵略戦争そのもであったということができます。