日本の新聞の見方

時事問題の視点ー今の新聞テレビの情報には満足できない人のために

龍言飛語1月27日版

2009-01-31 15:36:19 | 社会
村上龍の龍言飛語は時々見る。共感できることもあるしそうでないこともある。
1月27日版は共感できた。アメリカ大統領の就任演説等を扱っている。
彼はこの中で「オバマはアメリカ国民に向かって語っているのに、日本人が深夜起きてアメリカ人といっしょになって聞くのはおかしい」と言っている。その通りである。
日本の首相の施政方針演説など見向きもしない人が、深夜眠いのを我慢して外国の大統領の演説を聞くのはいささか戯画的な光景である。
オバマはアメリカの国益に沿って政策を実行するわけで人類全体のためでもなければ無論日本のためでもない。そのことを日本人は肝に銘じておいたほうがいい。ただ何がアメリカの国益と考えるのかはブッシュと同じではない。

村上はこうした日本人の片思いは一旦それが裏切られれば大きな失望に転化する可能性が高いと言っている。

更に村上は自分の家の近所でもハロウィーンをやっていた例を挙げ、アメリカの文化浸透を嘆く。今の子どもたちは節分を知らなくてもハロウィーンを知っている。宗教的バックボーンがまるで違う日本人が上辺だけ真似している。クリスマスは言わずもがな。クリスマスと言えば聖バレンタインデーが近づいた。
中国ではこの日を「情人(愛する人)節」という。必ずしも女性が男性にプレゼントするわけではないし、家族間でやりとりすることもある。こうして見ると中国におけるアメリカ文化浸透の速度は日本よりはるかに急速度であると感じる。クリスマス、ハロウィーンも勿論ある。
私が知っている中国人青年はみなベンジャミンとかアレックスとかアンジェラとかあちら風の名前をもっている。

元々中国人はアメリカが大好きだし、アメリカは日本より中国が好きであった。米中国交回復以来中国人青年の最も人気がある留学先はアメリカである。中国になり代わって日本を軍事的に屈服させたアメリカを嫌うはずがない。
朝鮮戦争がなければ、米中国交はもっと早く達成され、中国とアジアの近代史はまったく別の歩みをたどったことであろう。
それを朝鮮戦争後、中国が「アメリカ帝国主義は全世界人民の敵」と罵ったのはイソップ物語の「すっぱい葡萄」であった。本当は好きでもないロシア(当時ソ連)一辺倒にならざるを得なかったのは毛沢東にとってさぞ不本意であったことだろう。
ニクソンのアメリカと和解したのは決して「アメリカ帝国主義」が悔い改めたからではなくて、中ソ関係が全面戦争寸前まで高まったからである。これをご都合主義と嘲ってはならない。凡そ為政者たるものはご都合主義を宗(むね)とすべきである。

話を村上龍に戻すと、彼が別の日の同番組で「消費税を上げるのは構わない。だが法律で福祉目的税にすべきだ」と言っているのはいただけない。ガソリン税が道路特定財源としてあるのがナンセンスであるのも同様。

税金ではないが1990年第一次イラク戦争の時、確か海部首相だったと思うが「日本が出す援助資金は武器弾薬の購入には使用されません」と言ったが、こうした言い方が目的税同様ナンセンスであることは説明するまでもないだろう。お金に色はついていない。



「甘粕正彦ー乱心の荒野」続

2009-01-31 13:29:22 | 近代史

昨日の当欄では触れなかったので甘粕の前半生を決めた「大杉栄虐殺事件」について。
本書では甘粕無実論を唱えている。わずか三年で仮出獄できたこと、陸軍から相当の慰謝料(?)をもらってほとぼりを冷ますためフランスに行ったこと、その後も陸軍は常に甘粕に遠慮するところがあったことなどの情況証拠から見ると、大杉栄殺害は陸軍の高いレベルからの指示があったことがうかがえる。それに甘粕は逆らえなかったであろうことは想像できる。だから多分あの事件は甘粕の意思を超えたものがあったのであろう。だが、彼があの事件に何らか関わったことは確かであり、直接手を下したかどうかはあまり問題ではない。直接手を下そうが、部下にやらせようが大した違いはない。
彼の管理下であの事件が発生したのは間違いないのだから、どう好意的に見ても彼は監督責任は避けられないはずだ。

著者佐野真一氏の甘粕無罪論はムード的で、その辺をあまり突き詰めていないところが物足りない。それに彼が挙げている無罪論の証拠はいずれも間接的であって証拠としては不十分である。

甘粕の始祖は上杉謙信の四天王の一人甘粕近江守長重。今大河ドラマは上杉家に仕えた直江兼続が主人公であるのであるいはこのご先祖が出てくるかもしれない。

追記:
大杉と伊藤の死因鑑定書が物語るものは、殺人者若しくは暴行者は複数であり、自らの単独犯行とする甘粕の証言は成り立たないことを立証しているとしても、甘粕が関与していないことを証明するものではない。P139




 


「甘粕正彦ー乱心の荒野」  佐野真一著

2009-01-30 16:12:12 | 近代史

この本は関東大震災の際、大杉栄等三名を虐殺し、後に満洲国の夜の帝王と云われた甘粕正彦の評伝である。500頁近い大著である。

そのほんの一部を紹介しよう。
甘粕の秘書であった伊藤すま子という女性が戦後、銀座で「ベレー」というバーを開いた。そこは内田吐夢等満洲映画にゆかりのある人々に溜り場になっていた。

映画「ラストエンペラー」が公開された当時が坂本龍一が甘粕役を演じたことが話題になった。以下はその伊藤さんの発言。
「雰囲気がまったく違うと思いました。甘粕さんは映画の甘粕役(坂本龍一のこと)よりずっと上品な人でした。甘粕さんを演じるのはとても難しいと思います。それより許せないのは、テレビで甘粕役に扮した竹中直人です。あれはひどすぎた。品というものが全然ないんだから。お店にもあのキャスティングは何だって抗議の電話がじゃんじゃんかかってきて仕事になりませんでした。私がキャスティングしたわけでもないのにね。でも本当に甘粕さんを演じられる役者さんなんているのかしら」 P352

甘粕が理事長を務めていた「満洲映画」は山口淑子、森繁久弥、内田吐夢等多くの映画人を輩出し戦後日本の映画の隆盛に貢献している。

この本はおもしろかったが、500頁は相当水増しされていると感じる。なんで克明に甘粕周辺の人物を描く必要があるのだろう。それに取材過程を何で詳細に書く必要があるのだろう。こっちが求めているのは取材内容であって取材過程ではない。新潮社はよほど、取材費が豊富と見える。この三分の一の分量で十分と感じた。同じく佐野真一氏の「阿片王ー里見甫」にも同じ印象をもった。

私が興味があるのは、後半生の満洲時代だけ。特に甘粕と東條英機、岸信介、石原莞爾等との関わりを念入りに読んだ。
甘粕の石原評もおもしろい。「石原は大佐までは務まる人ですが、将にはなれない男なのです。参謀としてはすばらしいが、衆を率いる男ではありません」
「石原は明後日の計画は素晴らしいが、明日が抜けている」 P332-333
「石原の周りにいる人物を見てごらんなさい。性格が弱く、能力が低いものばかりです」P337

この甘粕の石原評は当っていると思う。石原は地位が上がるにつれ仕事ぶりに生彩を欠くようになる。彼が参謀本部作戦部長の時、支那事変が勃発したのは日本にとって不幸であった。彼は主観的には不拡大派であったが、統率力に欠け、部下の武藤章等拡大派を抑えることができなかった。




 

 


定額給付金に賛成する論者

2009-01-29 17:56:34 | 政治
定額給付金に賛成する経済学者はほとんどいないが(例外はリチャードクー氏くらいか)、何故か素人には賛成する人がある。著名なところでは上杉隆氏(ダイアモンドオンライン)と宮崎哲弥氏(文藝春秋他)か。
こうしたずさんな論稿(?)を堂々と公表する本人の度胸のよさには感心するが、発表の場を提供するマスメディアもどうかしている。

上杉氏は記者クラブ制度を批判した「ジャーナリズム崩壊」を、このブログでも取り上げたように、得意分野(政策を除く政治とマスメディア)に絞ったほうがいい。この本の中身は記者クラブ制度の批判が大部分なのに何で「ジャーナリズム崩壊」という題名になるのかわからない。多分彼は「首相官邸崩壊」という本が以前ヒットしたのでそれにあやかったのだろう。だがこれでは読者をミスリードする。食品偽装は大問題だが、本の偽装(題名と中身の乖離)は問題にならないようだ。
片や宮崎哲弥氏は何の専門家か知らない。何でも評論家かな?マスメディアはこうした存在が重宝されるようだ。それにしても文藝春秋まで彼を多用するのはどうしたことか。彼はTBSラジオ「アクセス」のレギュラーメンバーだが、聞いていて教えられることはほとんどない。

金融庁、全地銀に定款変更を要請へ…資本注入に向け

2009-01-28 10:55:07 | 社会

標記の記事

銀行への資本注入と言えば、贈与と勘違いしている人も或いはいるかもしれないので簡単に説明する。

資本注入は政府が優先株を取得する方法を取ることが多い。優先株とは配当や残余財産の配分に関して優先権を有するものをいう。その代り議決権は制約をうける。政府は会社の経営自体に関心はなく(財務内容を除き)株主として一々議決権を行使することもできないので、この形を取ることが多い。
銀行の経営が持ち直せば、償還され国庫に損失は発生しない。もちろん、破綻すれば優先株は紙くずとなる。株式の取得と言えば聞こえはいいが早い話が「ある時払いの催促なしの貸金」のようなものである。
但し、これは銀行の財務体質の強化には役立つが、中小企業への貸し出しを増やしたいという政府の意図を達成することはむずかしい。貸し出しが増加するのは信用力が高い大企業向けだけとなるのは目に見えている。自分が銀行経営者の立場にあると仮定すれば容易に想像できることである。(貸倒れが増えれば経営責任を問われる。新東京銀行がいい例である)。
新聞の社説は、中小企業への銀行への貸し渋りを非難するが、自分にできもしないことを他人に要求するのが新聞の常である。

銀行を通じて一般企業の資金繰りを助けるやり方は「二階から目薬」で効果は迂遠であるので、直接一般企業へ資本注入しようとする動きがある。これも中小企業を対象とするのはむずかしい。
一般企業にも公的資金 政府、資本支援へ法改正

 


民主奇策に与党反発 両院協議会「散会宣言」で抵抗

2009-01-27 15:28:32 | 政治
標記のニュース

衆参で議決が異なった場合の両院協議会は、戦後アメリカ議会の制度に倣って現憲法に取り入れられたものだが、無意味な制度であると思う。

仮に、異なる両院の議決を足して二で割ったような合意或いはその他の合意に達したとする。その第三の議決は衆議院の議決とも参議院の議決とも異なる。衆参それぞれ十名計二十名の議員だけで決めたことを国会の議決と僭称するのが許されていいのか。衆議院の優越が認められている法案は両院協議会を開くまでもなく衆議院の議決を国会の議決とすればいい。衆議院の優越が認められていなければ、衆議院で三分の二の再議決をすればいいし、それができなければ両院協議会ではなく国会審議の過程で野党の主張を取り入れればよいこと。

従って両院協議会の制度は憲法から排除したほうがいい。それで何の不都合もないし、国会審議の能率化に資す。もちろん、これも憲法改正を必要とする。

オバマ大統領の歴史認識

2009-01-26 03:27:26 | 近代史

オバマの就任演説を丹念に読んだわけではないか、内戦としての南北戦争及びそれ以後の対外戦争を全肯定しているのは間違いない。アメリカ人が自国の歴史を肯定的に見るのは理解できとしても、外国人までそれに調子を合せることはないと思うので、ちょっとシニカルにアメリカの歴史をおさらいしてみることにする。

アメリカ発展の歴史は、アラスカをロシアから、ルイジアナ等の中部をフランスから購入したことを除けばメキシコからテキサス、カリフォルニア等の広大な土地を奪い、ネイティブアメリカンを虐殺しつつ西部を開拓した侵略の歴史であった。
次いでアメリカはスペインに戦争を仕掛け、フィリピン、グアム、プエルトリコを併合した。

リンカーンはアメリカでもっとも尊敬されている。それは彼が南北戦争を戦ったからである。ところでリンカーンは奴隷解放のために南北戦争を戦ったと勘違いしている人が多い。そうではなく、アメリカの統一を保つために戦ったのであって、奴隷解放は南北戦争の結果にすぎない。センチメンタルな動機で戦う政治家はいない。
南北戦争はアメリカ国家のためには有益だったかもしれないが、アメリカ人にとっては無益な闘いであったとする説もあることを知っておいたほうがいい。この戦いで第一次及び第二次世界大戦以上の戦死者を出したことを記憶しておいたほうがいい。映画「風とともに去りぬ」のアトランタの野戦病院のシーンでその片鱗がうかがえる。

南北戦争がなければアメリカはイギリス以上に幕末日本の内戦に干渉したことであろう。日本に開国を迫ったアメリカが日本の政情に無関心であったはずはない。
「西郷と勝の会談で江戸無血開城はなった」とどの本にも美談仕立てで書いてある。それは間違いではないが、実はその背景にイギリスの「官軍」への圧力があり、勝はそれを最大限利用したのである。(イギリスは初め官軍を支持していたが、大政奉還、慶喜の恭順以後は幕府に同情的となっていたし、内戦が激化し長期化することはイギリスの利益にもならない)。交渉とはそういうものである。現実は講談のようにはいかない。

もっとも西郷は後「戊辰戦争(官軍と幕府側との戦争)では流血が足りなかった。だからこの程度の政府(明治政府のこと)しかできなかった」と、今どきの平和主義者(土井たか子や福島瑞穂)が聞いたら卒倒しそうなことを言っている。これは余談。

第一次世界大戦の戦後処理でアメリカは大失敗を犯した。ウィルソンは自らの無賠償の講和原則を貫くことができず、ドイツは莫大な賠償金を課された。そのことがドイツ人に深い恨みを残し、ナチス台頭の土壌となった。第二次世界の遠因は前大戦の戦後処理にあったのである。そのことにアメリカは深く関係している。

1929年から始まる世界大恐慌は今回同様アメリカ発であったし、この時各国特にアメリカと英連邦が保護主義に走ったことが、持たざる国ドイツと日本を苦境に立たせ、それぞれナチスと軍部の台頭を招いたことも第二次大戦の遠因となった。

第二次世界大戦では、同時にアジアでも日本と戦っていたため、ヨーロッパでの第二戦線の形成が遅れ(1944年)、ソ連の東ヨーロッパへの侵出を許し、アジアで日本を倒したものの、共産党による中国統一を許しいわば中国を「失った」。
そもそも日米戦争は中国をめぐる覇権争いであった(満洲事変と支那事変がなければ日米戦争はなかった)ので、戦いには勝利したが、目的達成には完全に失敗した。戦後アメリカ国内でも「我々は戦う相手をまちがえた」という説もでてきたくらいである。

もしアメリカに悪魔的叡智があったのなら、アジアでは日本が自暴自棄的な開戦に踏み切らように、ある程度譲歩し、戦いは暫く蒋介石と毛沢東に委ね、自らは対ドイツ戦に集中し、ソ連への軍事援助は控えたことであろう。
ドイツの敗戦が確実であることを日本に見せつければ、日本は戦わずして屈服したことであろう。日本はドイツの勝利を当てにして開戦に踏み切ったのだから。
遺憾ながら悪魔的叡智があったのはスターリンであってルーズベルトではなかった。ソ連に宥和的なルーズベルトが1945年5月に死去しなかったら、アメリカはソ連に北方四島どころか北海道の領有を認めていたかもしれない。

アメリカが蒋介石を見捨てて、共産党による統一を黙認したことが、金日成とスターリンに間違ったメッセージを与え、金日成による朝鮮統一戦争を促した(朝鮮戦争)。

その後、アメリカは共産主義を病原菌のように恐れるようになり、中ソ一枚岩の悪夢に取りつかれ、反共ヒステリーとしてのマッカーシズムによりアメリカ民主主義は危機に瀕した。
アジアでは共産主義のドミノ(将棋倒し)理論に基づき、ベトナムに介入し無惨な失敗におわった。

ここでもアメリカに悪魔的叡智があれば、中ソ離間を促すため、経済困難にあえぐ中国に手を差し伸べる手もあった。アメリカに袖にされた毛沢東は心ならずもソ連に頼る以外に選択肢はなくなった。
アメリカが、中ソ対立は単なるイデオロギー対立でないことにやっと気がついたのは中ソ全面戦争の危機が高まってからであった。

オバマさんはこうした冷めた歴史認識は持ち合わせていないようだ。

アメリカの対外政策を決めているのは、決して民主主義の普及やテロとの闘いなどという美辞麗句ではない。そうではなく、石油等の資源であり、世界通貨としてもドルの維持である。
イラク戦争について言えば、ブッシュは大量破壊兵器があるとだまされたのではなく、だまされたふりをしていたに過ぎない。
オバマに代わってもアメリカの中東政策の「チェンジ」はなさそうだ。パレスチナの苦難の歴史は続くことになる。

 



 

 


「小室哲哉詐欺」裁判と「神隠し殺人」

2009-01-24 13:26:28 | 社会

先日の小室哲哉氏の詐欺事件と「神隠し殺人」の公判開始に当たって考えたこと。

一体検察官はなんであんなに長時間の詳細な説明を行う必要があるのだろうか。
詐欺事件について、証明すべきことは以下の三点である。
1.小室氏は資金繰りに窮していた。
2.被害者をだまして金を得た。
3.約束通り返済されなかった又は権利が譲渡されなかった。

1に関しては、小室氏の現在の負債額、収入、月々の経費と生活費、現にある資産特に金融資産を証明すれば足りる。彼がなぜ資金繰りに窮するようになったかを克明に説明する必要がどこにある。
2に関しては、小室氏の被害者への説明が虚偽であり返す当てがなかった又は譲渡すべき権利は存在しなかった。
3は明明白白。
だから、もし私が検察官なら冒頭陳述は10分もかからないと思う。
刑事裁判は、被告人の特定の行為を法律に照らして裁くのであって、被告人の全人生を裁くところではない。検察官は、自らがあたかも「最後の審判」におけるキリスト又は閻魔大王であると勘違いしていやしないか。
この裁判は非常に注目度が高かったので、検察官は大向こうの受けを狙っているのかもしれない。

この裁判では裁判公開の原則についても考えさせられた。こうした注目度の高い裁判では報道機関は傍聴券を求めるため、アルバイトを雇って行列に並ばせるそうである。傍聴者が撮影、録音することも認められない。もちろん公判記録は後で閲覧できるけれども、もう少し柔軟性をもたせてもいいのではないか。例えばインターネットで傍聴申請を受け付けるとか、外れた人のために同じ裁判所の別の法廷にテレビを設置をして中継画像を見られるようにするとか。

もう一つの「神隠し殺人」。ここで証明すべきことは動機は金銭的なものではなく性的欲求であったこと、被害者との関係は希薄であったこと、被害者に落ち度はなかったことを証明すれば足りる。
これは通り魔殺人に近いのであるから、別の女性が被害者になった可能性もある。だから被害者側の事情を克明に調べる必要はない。それを延々と彼女の会社での評判などを法廷で説明する必要がどこにある。彼女は非常に優秀で前途有望であったので犯人を重く罰してほしいという意味か?
じゃもし被害者が優秀でも前途有望でもなく、会社での評判も悪ければ軽い罪でいいということか。
これが器物損壊罪であれば、1万円の物を壊した場合と10万円の物を壊した場合では刑が違うのは当然だろう。だが殺人罪の対象である人の命に軽重はないはずである。
「幼児の命は0.5人」と言った青山学院大学の先生がいた。それ以外にもブログでの問題発言が多くて、抗議が殺到し大学は処分を検討すると聞いていたが、一向に音沙汰がない。大学はほとぼりが冷めるのを待っているのだろうか。ネットで瀬尾佳美を検索すれば彼女への批判が溢れている。これに関して去年4月22日にここで書いたので参照されたし

繰り返すが、この犯罪の動機は一方的に犯人側にあって、被害者の側にはないのだから被害者側の事情を調べる意味はあまりない。この犯人の非道ぶりを際立たせるためか。被害者がどんな人であろうとこの犯人が非道であることに変わりはない。ここで検察官は、自分こそ正義の味方であると振る舞いたがっているように見える。

犯人の生い立ちや家庭環境を調べることもあるが、それでは「こんな彼に誰がした」という話になって誰も裁くことができなくなってしまう。これも無意味。上記4月22日の記事中の憲法論を参照されたい。犯罪学や刑事政策の資料にはなるかもしれない。

以上二つの事件のいずれにも言えることは、検察官が不必要な調査に時間をかけるとういうことはその他の犯罪捜査がおろそかになることを意味する。

 


「エコカー」の保有 都が企業に義務化

2009-01-24 11:24:51 | 社会
表記のニュース

何で自治体がそこまで干渉するのだろう。温暖化(これ自体あやしいが)防止や省エネを言うのであれば、今ある車を大切に乗り続けるか、保有台数を減らすほうがよっぽどいい。
第一憲法が保障する営業の自由に違反する。そんなことは企業の合理的な判断に任せるべきだ。将来これを裁判所で争えば企業側が間違いなく勝てる。
もしかして石原さんは、苦境にある自動車メーカーのために、販売促進を狙っているのかな。

大規模水害 地下鉄浸水を想定

2009-01-23 19:02:38 | 社会

標記のニュース

一昨日夕張の話を書いたのでそれと多少関連するニュースを取り上げてみた。
もっとも関東地方以外の人は興味がもてないかもしれない。

荒川を電車で渡るたびに思うのだが、荒川は天井川(川床が周辺土地より高い)に近い。明らかに水位は両岸都市より高いし(私の場合、川口市と東京北区)、一部は荒川の川床より低い町もあるようだ。
去年川口市をあげて地震に備えて防災訓練があった。防災訓練自体は他愛がないが、ご近所の人と顔馴染みになるという点では大いに意味があると思う。
その時も町内会で言ったけれど、川口市の場合(というより東京、埼玉、千葉では)、地震より大雨による荒川氾濫の可能性がはるかに高い。

標記のNHKニュースによれば、東京特に地下鉄に大被害があるという予想。さもありなん。関心のある方は読まれたらいい。ただ地震と違って大雨はある程度予想できるので、対処方法がないわけではない。大雨が予想される時は、地下街は避ける、地下鉄には乗らないことだ。

それにしても地震の話ばかりで荒川氾濫の話がこれまでなかったことがおかしい。