1月27日版は共感できた。アメリカ大統領の就任演説等を扱っている。
彼はこの中で「オバマはアメリカ国民に向かって語っているのに、日本人が深夜起きてアメリカ人といっしょになって聞くのはおかしい」と言っている。その通りである。
日本の首相の施政方針演説など見向きもしない人が、深夜眠いのを我慢して外国の大統領の演説を聞くのはいささか戯画的な光景である。
オバマはアメリカの国益に沿って政策を実行するわけで人類全体のためでもなければ無論日本のためでもない。そのことを日本人は肝に銘じておいたほうがいい。ただ何がアメリカの国益と考えるのかはブッシュと同じではない。
村上はこうした日本人の片思いは一旦それが裏切られれば大きな失望に転化する可能性が高いと言っている。
更に村上は自分の家の近所でもハロウィーンをやっていた例を挙げ、アメリカの文化浸透を嘆く。今の子どもたちは節分を知らなくてもハロウィーンを知っている。宗教的バックボーンがまるで違う日本人が上辺だけ真似している。クリスマスは言わずもがな。クリスマスと言えば聖バレンタインデーが近づいた。
中国ではこの日を「情人(愛する人)節」という。必ずしも女性が男性にプレゼントするわけではないし、家族間でやりとりすることもある。こうして見ると中国におけるアメリカ文化浸透の速度は日本よりはるかに急速度であると感じる。クリスマス、ハロウィーンも勿論ある。
私が知っている中国人青年はみなベンジャミンとかアレックスとかアンジェラとかあちら風の名前をもっている。
元々中国人はアメリカが大好きだし、アメリカは日本より中国が好きであった。米中国交回復以来中国人青年の最も人気がある留学先はアメリカである。中国になり代わって日本を軍事的に屈服させたアメリカを嫌うはずがない。
朝鮮戦争がなければ、米中国交はもっと早く達成され、中国とアジアの近代史はまったく別の歩みをたどったことであろう。
それを朝鮮戦争後、中国が「アメリカ帝国主義は全世界人民の敵」と罵ったのはイソップ物語の「すっぱい葡萄」であった。本当は好きでもないロシア(当時ソ連)一辺倒にならざるを得なかったのは毛沢東にとってさぞ不本意であったことだろう。
ニクソンのアメリカと和解したのは決して「アメリカ帝国主義」が悔い改めたからではなくて、中ソ関係が全面戦争寸前まで高まったからである。これをご都合主義と嘲ってはならない。凡そ為政者たるものはご都合主義を宗(むね)とすべきである。
話を村上龍に戻すと、彼が別の日の同番組で「消費税を上げるのは構わない。だが法律で福祉目的税にすべきだ」と言っているのはいただけない。ガソリン税が道路特定財源としてあるのがナンセンスであるのも同様。
税金ではないが1990年第一次イラク戦争の時、確か海部首相だったと思うが「日本が出す援助資金は武器弾薬の購入には使用されません」と言ったが、こうした言い方が目的税同様ナンセンスであることは説明するまでもないだろう。お金に色はついていない。