日本の新聞の見方

時事問題の視点ー今の新聞テレビの情報には満足できない人のために

中国の成長を規制するもの

2009-05-30 06:51:28 | 現代中国
 為替レートにもよるが、GDPで中国が日本をしのぐ日も遠くない。日本が世界第二位の経済大国という謳い文句を使える時間もそう長くない。
 だが中国の人口はおよそ日本の10倍であるからGDPが日本に並んだとしても国民一人当たり10分の1に過ぎない。
 そもそもGDPはフローであるので、生活の質を計るにはストックを合わせて視野に入れる必要がある。この点中国国民のストックは甚だ見劣りする。

 政治家がGDPを気にするのは、一つはそれが税収のバロメーターであるからであり、もう一つは国際的に見栄をはりたいからである。国民はそんなことを気にする必要はない。ただ昨日のブログのテーマとも関連するが、税収も多く財政も健全であったころ、生活の質を高める投資を怠ったことが惜しまれる。高速道路や新幹線、立派なビルはできたけれど。日本が戦後軍事大国の道を放棄した(放棄させられた?)のは正しかったが、それに代り大土建大国になったことは不幸であった。
GDPを至上の政策目標としたことが今日の膨大な財政赤字をまねいた。
 
本論にもどる。中国は21世紀中葉にはアメリカもしのぎGDP世界一の座につくのか?数字上はそうなるかもしれない。1980年代、これからは日本の時代と言われていたのを懐かしく思い出す。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて本も出た。今古本屋で100円コーナーに並んでいる。
 
 ここでは中国の成長を規制する要因を考えてみる。私は三つあると思っている。
一、労働力
  13億もの人口を抱える中国でなぜ労働力が問題となるか疑問を懐く人もいるかもしれない。
  日本と違って総人口は今でも増加傾向にあるが、一人っ子政策のために人口構成高齢化の速度は日本以上である。小皇帝といわれる柔(やわ)な若者が親になる年代にさしかかっている。小皇帝二世がどう育つのか寒心に堪えない。これも成長の足枷となり得る。建国初期、産めよ増やせよの人口政策を取った毛沢東の罪は重い。

一、環境
  ほんの一例だが、今の上海の大気汚染は、東京の大気汚染がもっともひどかった昭和40年前後よりもひどい。そして内陸の北京、重慶、武漢は上海よりわるい。中国で死亡原因の統計があるかどうか知らないが呼吸器系疾患が激増していることは想像できる。
  去年の北京オリンピックでは大気汚染を理由に棄権したマラソンランナーがいたのを思い出した。

一、水
  拙文「世界の水問題」を参照されたい。

 戦前、日本人は食うものも食わないで軍艦を作ったが、空母を作り、月に人を送り込むと言っている中国を見ると戦前の日本とオーバーラップする。中国は今でも8億人の貧困層がいる。中国には「歴史に学べ」と他人に説教する前に日本の戦前の歴史を学んでほしい。 

 私は共産党一党支配を必ずしも否定しない。各国にはそれぞれ固有の歴史があり固有の政治形態がある。独裁者がいなければハッピーとは限らない。日本では衆愚政治の弊害が目立つ。先日朝日ニュースター「学問のすすめ」でオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を取り上げていたが、これは衆愚政治批判の書である。
 ただ共産主義はスターリンや毛沢東によってマルクスの理想とは似ても似つかない開発独裁の一亜種に変質したと考えている。

静岡空港開港延期

2009-05-28 23:11:24 | 政治

昨日夜のテレビ東京「ルビコンの決断『知事はなぜ辞めたか?』」はおもしろかった。

静岡空港開港延期の経緯を取り上げていたこの番組を見ながら次のようなことを考えた。狭い日本に100近い空港があることもわかった。

(静岡県に限らない)知事はなぜ空港を作りたがるか?
 
この番組で反対派地権者も言っていたが、羽田空港や名古屋空港も近く、新幹線もあるので静岡空港の必要性は乏しい。それなのになぜ?
 地元負担は半分、あとの半分は国庫負担(補助金)。あらゆる自治体は「せっかくある補助金は使わなきゃ損」という一種のモラルハザードに陥っている。こうしたモラルハザードが今の地方自治体の財政悪化を招いた。それに形あるものを残したいというのが自治体首長の悲しき性(さが)である。建設業者との癒着もある。
利用率といえば、東京に陳情に行く首長や議員くらいしか利用しない空港もある。

役人はミスを認めない
 戦前、天皇の官吏として天皇の無謬性を守るをという側面があったが戦後はひたすら責任を逃れようとする保身に過ぎない。
 知事が当初立木を残したミスを認めず、「着工後生長した」という見え透いた嘘を言っていたのにはあきれた。この地権者が「県は誠実であってほしい」と言ったのはこうした点を指しているのだろう。
 一度決まった事業を決して中止しないのも、組織としての誤りを認めたくないからである。

用地買収の手練手管ー賛成派と反対派を分断
賛成派から順次買収し、反対派を精神的に追い込む。反対派地権者の父親が急死したのも心労と無縁ではなかろう。

地方議会はチェック機能を果たしていない
国と違って自治体首長は大統領制であるので議会はオール与党が多い。

お役所仕事の杜撰さ
縦割り行政で、すべての情報が一箇所に集まる体制になっていないので思わぬ盲点がある。 

 水戸黄門のドラマでは悪徳役人を一人退治して一件落着だが、組織ぐるみの悪徳は始末が悪い。

拙文「中海干拓堤防開削」を参照されたい。


幸福実現党と共産党

2009-05-28 07:45:39 | 政治

標記の問題の前に自民党と公明党の関係から。

 多くの人には自民党の衆議院議員が選挙で公明党に依存している実態がわかりにくいかもしれないので簡単に説明する。
 前回衆議院選挙での公明党の比例区での得票数は900万票弱。これはかなり水増しされた数字(いわゆるフレンド票を含む)であるので公明党プロパー票を仮に400万票とする。
 全国の有権者数はおよそ1億。投票率を6割とすると、投票数はおよそ6,000万。これを300小選挙区で割ると1選挙区当り20万。候補者が自民党と民主党だけと仮定すると10万票強とれば当選できる。公明党票400万÷300=13,300票
 10万票強とれば当選できる、一人を選ぶ選挙で13,000票余がどっちにころぶかは、特に競っている場合決定的である。これが公明党の自民党に対する交渉力の源泉である。
 従来自民党の支持基盤であった農協、建設業界は弱体化し、郵便局長会、医師会等はもはや自民党一辺倒ではない。小泉さんが公約通り「自民党をぶっこわし」たかどうかはともかく自民党の支持基盤をガタガタにしたのは間違いない。
 前回選挙で自民党が300議席を超える大勝を博したのは、ろうそくが燃え尽きる前の最後の輝きだったかもしれない。

 幸福の科学が国政選挙に候補者を立てたことはないので得票数を推定するのはむずかしいが、仮に100万票としよう。これまでこの票は自民党候補者に投じられたものと推定できるので、1選挙区当り3300票。自民党候補者はこの票を失うことになる。
 日本共産党の前回比例得票数は500万票弱。共産党は全選挙区候補者擁立という方針をやめて当選可能性がある選挙区にしぼることになった。共産党は民主党と公然と選挙協力するわけではないので、共産党候補者がいない選挙区での共産党票の行方を予測するのはむずかしいが、仮に半数が棄権、半数が民主党候補に行くと仮定すればざっと8,000票のかさ上げ効果がある。
 以上幸福の科学の候補者擁立と共産党の候補者絞り込みを合わせれば民主党候補者は自民党候補者に対し1選挙区当り1万票以上のアドバンテージが見込まれる。 つまり自民党候補者の公明党アドバンテージをほぼ相殺できることになる。

 共産党が候補者をしぼる方針に転換したのは表向きは「選択と集中」だが、本音は没収される供託金を減らしたいのだろう(衆議院小選挙区で300万円)。それに加えて間接的に民主党を支援し、自公政権をくつがえしたいのかもしれない。
 共産党が政党助成金を受け取らないのは称賛に値する。武士は食わねど高楊枝。
 
 幸福の科学は、次の選挙によってこれまでベールに覆われていた信者数を白日の下に晒されるリスクを冒すことになる。

 昨日の党首討論で麻生首相は西松建設の献金問題にかなり時間を割いたらしい。一国の首相として品性を疑う。
 鳩山さんがなんと答えたか知らないが「被告は有罪判決が確定するまで無罪と推定される。裁判を行うのは裁判所であって警察や検察ではない」と言っておけばよろしい。
 ただ鳩山さんが冒頭で「意見交換」と言ったのはいただけない。党首討論と意見交換とはまったく違う。

 国立メディア芸術総合センターって何?鳩山さんが言ったように「国営マンガ喫茶」と言ったほうがわかりやすい。政府がサブカルチャーを支援しようとする発想は筋が悪い。麻生さんがポケットマネーでやるのであれば何も言わないが。

 昨日夜のNHKの歴史番組で水戸光圀をとりあげていた。大日本史の編纂者としての光圀に焦点を当てたのはいいが、肝心な点が二つ落ちていたのではなはだ平板な印象を受けた。
 水戸家は大日本史を編纂することで勤皇思想の淵叢となり幕末政治に大きな影響を与えたこと(最後の将軍慶喜が水戸家の出であったことは幕末史を理解する上で見逃せない)、光圀は単なる好学の徒ではなく長幼の序を重んじる儒教倫理を自ら実践し兄の子を世子としたこと。


海軍記念日

2009-05-27 11:52:13 | 近代史

今日は海軍記念日、即日本海海戦の日。明治38年(1905年)のこと。
当時も今も誤解している人が多いが、この海戦によって日本が日露戦争に勝利したわけではない。精々ロシアを講和会議のテーブルに着かせるきっかけの一つに過ぎなかった。そのことは講和交渉が始まった日付が、海戦勝利の日から2ヵ月以上経った8月10日、交渉妥結が9月5日であったことからもわかる(国際電話も飛行機もなかった当時の通信交通事情を考慮したとしても)。
 交渉妥結までに25日もかかったのはロシア側に、海戦では完敗したが陸戦では負けたという意識が乏しかったからである。日露戦争の主戦場はあくまで満洲であったのだ。「日露戦争は陸戦に関する限り前哨戦に過ぎなかった」というロシアのクロパトキン将軍の言葉は幾分負け惜しみを含んでいるが真実を衝いている。
 日本海海戦勝利の戦略的意味は日本近海並びに朝鮮半島及び満洲との海上交通の安全が確保されたというだけに過ぎない。ところが日本には満洲に運ぶべき兵員も武器弾薬も枯渇していたのである。

 東郷平八郎の話。彼がこのめくるめくような大勝利によって生きながら軍神になったのはごく自然な成り行きであった。その後彼に天から30年近い余生が与えられたことは日本海軍と日本にとって不幸であった。彼は晩年海軍艦隊派(対英米強硬派)の後ろ盾として条約派(対英米協調派)将官の粛清に影響力を発揮した。
 そのため日米開戦が迫った時、海軍には開戦を阻止する力のある高官はほとんどいなくなっていた。一時は三国同盟を阻止したトリオである米内光政は現役を去り、山本五十六井上成美も海上にあって政治的に動く立場になかった。東郷の罪は重い。彼がネルソン提督のように戦艦三笠艦上で戦死していたらその後の日本にとってどれだけよかったかわからない。

 東郷ターン又は丁字戦法。この戦法の考案者は秋山真之山屋他人であるとの説がある。仮にそうであっても、東郷の司令官としての功績は変わらない。
 千変万化する戦場にあって臨機にどの戦法を採るかは偏に司令官の判断に委ねられている。この戦法が成り立つのは敵艦隊より自艦隊の速度が相当程度上回っていることが絶対に必要な条件である。これは実際に敵に遭遇するまでわからない。従って誰がこの戦法の考案者か詮索するのにさほど意味はない。 

 司馬遼太郎が「坂の上の雲」で「バルチック艦隊が、太平洋回りではなく朝鮮海峡をくると信じて動かなかったことが東郷を古今海戦史上の名将にした」と書いているがこれは間違い。東郷は連合艦隊に対し津軽海峡日本海側出口に移動するようにとの条件付き命令を発出していた。後一日バルチック艦隊の発見が遅れれば連合艦隊は移動していたはずで、その時戦場は北海道沿岸となり相当数の敵艦船はウラジオストックに遁走できたであろう。移動に反対したのは直前まで連合艦隊参謀長であった島村速雄であった。東郷の名声の陰で多くの人達の功績が覆い隠された。
 秋からNHKで放映される「坂の上の雲」でこのあたりがどう描かれるのか注目している。 

 因みに陸軍記念日は3月10日奉天(現瀋陽)会戦勝利の日。昭和20年3月10日の東京大空襲は米軍があえてその日を選んだのである。

余談
 今朝みのもんたのワイドショーを見ていたら明治35年八甲田山の悲劇を取り上げていた。死者数を119名と言っていたが、正しくは199名。表まで準備していたのだから事前に十分調べる時間があったはずだ。テレビ番組制作の杜撰さがこの一事にも表れている。

  日経新聞をまとめて読んでいたら今月18日版で論説委員長平田育夫氏が「核心」というコラムを書いていた。その中に「小沢前代表は有権者に耳障りのよい様々な政策を訴えてきた」とあった。「耳障りのよい」という言い方がないのは「目障りのよい」という言い方がないのと同様。この程度の日本語力でも日経の論説委員長が務まるようだ。


神田古本屋街+1000円理髪店

2009-05-26 10:51:31 | 社会

 上野「阿修羅展」に行くつもりで電車に乗ったが、月曜日は休館であることを思い出して急遽予定変更し久しぶりに神田古本屋街に行くことにした。
 買った本は以下の通り。締めて1500円余。
 福沢諭吉 「丁丑公論・瘠我慢の説」
 松浦玲   「徳川慶喜」
 猪木正道 「軍国日本の興亡」
 武田邦彦 「偽善エコロジー」

 この中、福沢と猪木の本は以前読んだことがある。教科書で福沢は「学問のすすめ」が取り上げられることが多く、近代主義者とのイメージが一般的だが、福沢はもっと多面的に理解しなければならない。
 「丁丑公論」では西郷隆盛武士道を熱烈に賛美し、「瘠我慢の説」では旧幕臣でありながら明治政府に仕えた勝海舟榎本武揚を痛烈に批判している。
 福沢と勝との因縁は咸臨丸でともに渡米した時にさかのぼる。福沢は自分を従者として取り立てアメリカ行きに同行させてくれた艦長木村摂津守を深く敬愛し恩義も感じていた。ところが勝は自分が艦長になれると思っていたのに木村がなったのがおもしろくなくふてくされて木村にも無礼の振る舞いがあったのを福沢は内心許せないと思った。

 昨日の当ブログで江戸時代の役人の「ノーブレスオブリージ」に触れたが、木村摂津守はそのよい例である。彼は旧幕臣としての節を守り明治政府の一切の公職に就かなかった。「木村のいさぎよさに比べ勝の生き方はなんだ」という思いが福沢にはあったことだろう。福沢ほどの人でも人を評価するのに好悪の感情に左右されるよい例だ。 

 小栗上野介は三河以来の譜代、片や勝は三代前に金で御家人株を買った家柄である。勝に小栗のような徳川への忠誠心を求めるのは酷だ。勝の生き方には商人的合理主義を感じる。
小栗と勝との比較は興味あるテーマであるのでいずれ書いてみたい。

 猪木正道先生の本もよくできている。猪木先生は防衛大学学長の任にあったことがある。田母神俊雄氏のような不肖の弟子がいたことをさぞお嘆きであろう。 

 お茶の水駅の近くに中古クラシックCD専門のディスクユニオンがある。バックハウス・モーツァルトリサイタルを買った。525円。昔LPではもっていた。この中のロンド イ短調 K.511は特に好きな曲である。

 神田の新刊書店で「頭上の敵機」、「硫黄島の砂」など戦争映画のDVD10枚セットを1600円で買った。ゼロが一つ足りないと思われた方もいるかもしれないが間違いない。1枚当り160円。すべて日本語字幕入り。
 戦争映画では英語の階級名称を知ってから見るのがいい。日本語字幕のある映画「ミッドウェイ」を見たことがある。Commander Genda を字幕で「源田司令官」としていた。正しくは「源田中佐」。
プライベート・ライアン」という映画があった。このプライベートは二等兵。なぜ「ライアン二等兵」と翻訳しなかったのだろう。最近の洋画の題名はカタカナばっかりだから内容がさっぱり見当がつかない。
因みに「風とともに去りぬ」は直訳だがよくできている。Gone with the wind は単なる過去ではなく「失われ再びもどることはない」という意味なので「風とともに去った」としてはダメ。
High Noonという映画があった。ゲーリークーパーとグレースケリー主演。中国語DVDでは「正午」と直訳していたが日本語訳「真昼の決闘」のほうが断然いい。

 さっきテレビでカットだけの1000円理容店の特集をしていた。中国では5元から10元(75円から150円)だったので私の感覚からすればまだ高いがそれでも普通の床屋さん(4000円前後か?)よりはるかに安いので助かる。
 ところが自治体によっては条例で洗髪設備の設置を義務化しているとこのこと。安値攻勢に音をあげた理容組合のロビー活動の成果(?)だろう。ばかばかしい。業界団体の役員が縷々その必要性を述べていたが、所詮1000円ショップの価格優位を殺ごうとするものだろう。「バキュームだけでは髪くずを除くには不十分で他人に迷惑だし、シラミの伝播が心配だ」なんて言っていた。そんな理屈が通るのであれば「抜け毛の多い人やシラミのある人は人ごみに出るな」ということになりかねない。
こんなことでは、銭湯組合のロビー活動で「少なくとも3日に一度は風呂に入りなさい」という条例もできかねない。地方自治体の議員は何をしている?

 もっとも所要時間一人10分では店主と客の会話も成りたたないので床屋政談という言葉も死語になるかもしれない。これからは床屋政談に代ってタクシー政談という言葉が生まれるかもしれない。 


クローニー政治―盧武鉉前大統領の悲劇

2009-05-25 09:56:27 | 政治
クローニー(縁故)資本主義という言葉がある。企業家が一族や仲間を重用したり不正に儲けさせることをいう。特に日本を除く東アジアでその傾向が強い。これが私的権力者としてのビジネスマンに止まっている間はまだ違法の問題(背任等)が生じることは稀で実害も少なくが(もっとも経営に失敗し破産すれば他者に迷惑をかける)、公権力を行使する政治家ともなるとたちまち法に触れることになる。在職中は検察権力を抑え込めるが退職するとそうはいかない。これが歴代韓国大統領の悲劇の理由であろう。これをクローニー政治と呼ぶことにしよう。
 (尚、自民党の細田幹事長が盧武鉉前大統領は「日韓関係を損なった」と評した。その通りだが喪が明けない中は死者を鞭打たないのが日本的マナーではないのか)

 中国も本質的には同じで、政治権力者の周辺には分不相応な公職や大企業の役員ポストにありつくものが多い。韓国との違いは中国が一党独裁であって権力に連続性があるのに対し、韓国はそうではない。だから毛沢東も小平も江澤民も韓国大統領のような目に会うことはなかった。もっとも毛沢東は終身最高権力を手放さなかったが。
 
 中国には「清官三代」という言葉がある。清廉な官吏でも(貪官汚吏でなくても)三代食うに困らないだけの蓄財ができるという意味。
 民国建国の父孫文は中国人のそうした傾向を糺すため礼記から「天下為公」の4字を引いた(麻生グループの会名為公会もここに由来する)。司馬遼太郎は「天下為公」はマックスウェーバーいうところの「プロテスタンティズム」に通じると言っているが私はこれを端的に「権力を私物化してはならない」即クローニー政治を戒めたものと解釈している。麻生さんにもその解釈を聞いてみたい。
 
 こうした東アジアのクローニー政治は何に由来するのだろうか。を至高の徳目とする(同族を大事にすることは共通の祖先に対する孝につながり、私的倫理が公的倫理に優先する)儒教に求める説がある(司馬遼太郎他)。だがこの説ではフィリピンやインドネシアなど非儒教圏ではこの傾向がもっとひどいこと、更に儒教圏である日本でそうでもないことが説明できない。
 ドラマ水戸黄門では決まって私腹を肥やす悪徳役人がでてくるが江戸時代の役人の職業倫理は今の役人よりはるかに高く、「ノーブレス・オブリージ」も徹底していた。
 殿様という地位も時代劇に描かれているほどうま味はなかった。だから明治になって殿様の地位を取り上げること(版籍奉還)にほとんど抵抗はなかった。

最近では「アジアは一つ」といったセンチメンタリズムを否定する生態史観もある。

 だがこうした当てずっぽうの大胆な仮説(ハンチントンの「文明の衝突」もそう)は論証も反証も不可能であるので付き合うのはほどほどにしてディテールを突き詰めることから出発すべきだと思う。

端的に民度が低いという言い方がわかりやすいかもしれない。 

佐高信氏の日本語力+経済学者クルーグマン

2009-05-24 12:27:55 | 言葉

 最近朝日ニュースターをよく見る。愛川欽也パックインジャーナルはいい。蛇足だが、パックインジャーナルとは愛川欽也もパーソナリティをつとめていたパックインミュージックのもじりである。彼の時代を見る感性が番組を支えている。落合恵子は昔深夜放送セイヤングの人気パーソナリティ。

 それと「学問のすすめ」がおもしろい。今は西部邁氏と佐高信氏の対談。当ブログの今月20日号で西部氏の日本近代史知識に疑問を呈したが、今日は佐高氏の日本語(英語)力に関する疑義を書くことにする。この番組はネットで見ることもできるので直に確認されたし。

 佐高氏は「スペイン市民戦争(Spanish Civil War)」と言っていた。civilにもちろん市民という意味はあるが、ここでは「国内の」という意味。だからスペイン内戦と言わなければならない。これはAmerican Civil War南北戦争)をアメリカ市民戦争とは言わないのと同じ。

 もう一つ、彼は「流れに棹(さお)さす」を「時流に逆らう」という意味で使っていたが、正しくは逆の「時流に迎合する」という意味。

但し細かい傷は目につくが全体としてはいい番組である。生ではなく録画なんだから放映前に誰かチェックすればいいのに。

 話変わって、今朝フジテレビが来日中のクルーグマン氏を取り上げていた。日本語が読めず、日本人が書いたものといえばリチャードクー氏のものしか読んでいない人に対し、いくらノーベル経済学賞(正確にはスウェーデン銀行賞)を受賞したからといって日本経済への処方箋を求めるなんて見識を疑う。
 もちろん彼に有効な処方箋など書けるはずもなく内容に乏しかった。もっとも彼はバラマキを勧めていたので政府自民党は意を強くしたかもしれない。
何が効果があるかわからないからなんでもやってみることだ」という彼のご高説(?)をかしこまって拝聴していた与謝野さんなど国辱ものだ。
彼自身他では捨て去ったと言っているインフレターゲット論を言っていたのはフジテレビのリクエストか? 有名歌手に昔流行ったレパートリーを無理に歌わせるようなものだ。
 激しいインフレを抑える意味でのインフレターゲットを実施した国はあるが、中央銀行がインフレターゲットを宣言することでデフレからインフレに転化した例(ためし)はない。
フジテレビは一体彼にいくらギャラを払ったのだろう?

TV番組ついでにもう一つ、たけしのTVタックル
 番組自体はおもしろいがビートたけしの影がうすい。そろそろ阿川佐和子のTVタックルに看板を変えたらどうか。

 ゴルフトーナメントの中継はほとんど(NHKの中継は例外)録画であることをご存じだろうか。これはプレーオフになった場合放送時間内に収まらないことを危惧するからである。因みにNHKは企業名又は商品名を冠したトーナメントは中継しない。だから日本オープンなどに限られる。

 このブログも「日本のテレビの見方」に名称変更する時期かもしれない。主要紙はまとめて読んでいるが知的刺激にとぼしい、ひらったく言えばおもしろくない。
 若い記者が記事を書き、偉くなるとデスクにふんぞり返って現場にも出ず、記事も書かなくなる日本の新聞社の人事制度を変えることだ。もう手遅れかもしれないが。
もっと偉くなると誰も読まない社説を書いている。


政府のいうエコとは?

2009-05-23 08:26:06 | 政治

 当ブログ今月20日号で高速道路千円政策を総括したが、書きもらしたことがあった。
今日のニュースによるとあの期間高速バスは客が減った上に渋滞に巻き込まれて遅延が発生し大迷惑を被ったとのこと。これもマイナス面としてあの時取り上げるべきであった。

 さて政府はエコを口実とした景気対策を実施しようとしている。私の定義では車も電器製品も使わない生活をエコライフと言うけれど、政府の定義は違うようだ。ガソリン或いは電気消費量が少ない製品をエコ製品というらしい。消費者はだまされてはいけない。ガソリンや電気消費が10分の1になるわけではない。せいぜい1割とか2割減る程度の話だろう。エコポイント目当てに買い替えても元を取るには何年かかることか。
 今もっている車や家電製品を捨てろとは言わない。せめてメンテナンスに励み大切に使い、買い替えない方がよほどエコロジーに適う。それではGDPが下がる?GDPなど下がっても構わない。大事なことは一人一人の生活の質を高めることだ。新しいマンションで最新の電器製品に囲まれていても月々のローンに追われている生活が豊かと言えるだろうか?
 もしかして政府の言うエコとはエコロジーではなくてエコノミー(経済)? 但しエコノミーの元の意味は節約なのだからエコノミーとエコロジーは本質的には矛盾しない。

 政府の本音は苦境にある自動車業界家電業界救済だろう。環境対策なのか景気対策なのか選挙対策なのかわからない。

 トヨタのハイブリッドカーの受注が好調らしい。だがハイブリッドカーはコストが高く利益率が低いし、その分トヨタの他の車種を食っているので全体としての売上及び利益増には結び付きそうもないので痛し痒しだろう。
  それにしても日本の車ってどうして各社とも同じようなデザインだろう。エンブレムをよく見なければどのメーカーかわからない。ここにも世界に冠たる日本人の横並び意識が表れている。デザインに関する限り進歩を遂げたとは到底思えない。
 各社とも電気自動車の開発に力を入れているが、おそらく燃料電池車のほうが実用化で先行することだろう。電気自動車が走行距離の短さと充電時間の長さを克服できるのは近い将来にありそうもない。

 FACTA6月号によるとオリックスが苦境にあるらしい。有利子負債が5兆円を超えているとは驚いた。関連会社のオリックス不動産かんぽの宿を安値で落札しようとしたのも本体の窮状と無関係ではなかろう。
 オリックス球団を手放す日も遠くないかもしれない。この数年同球団が不振であったのは補強に割く金が乏しかったからだろう。

 さっきNHK総合テレビを見ていたら、シャチハタを取り上げていた(中国進出、電子ハンコなど)。プロジェクトXもそうだが、こうした番組では会社名や商品名を出さないわけにはいかない。そうであればもう一歩進めてNHKは商品名を出さないというコードを廃止したらどうだろう。会社名と商品名が一体化している例も多い。
 昔山口百恵が紅白歌合戦にでた時歌詞「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」に変えさせられた。
 NHKテレビでアメリカ映画を見ていたら登場人物がドイツ車「BMW」と言っていたのに字幕では「高級外車」となっていた。
 もし町の風景やドラマで商品名の看板がでてきたらNHKはぼかすのだろうか?


作家城戸久枝

2009-05-22 07:45:01 | 社会

 彼女の作品「あの戦争から遠く離れて、私につながる歴史をたどる旅」という長い書名の本で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、今NHKでドラマ化され(遥かなる絆)放映されている。まだ読んでいない。

 さっき、NHKテレビで彼女のインタビューを放映していた。これまでも中国残留孤児をテーマにした本はあったが、おそらく当事者(といっても彼女は二世で日本生まれだが)の手になるものはこれが初めてではないか。
 これをこのブログで取り上げたくなったのは、人が本を書く動機について考えさせられたから。彼女はこの本を書くのに10年かけた。動機は金でも名声でもなくひたすら内的衝動に突き動かされたのである。いくつか賞を受賞したのは結果に過ぎない。本を書くということはこうあるべきだ。

 一方で新刊書店の棚に積まれている大部分はてっとり早く儲けようとする出版社と著者の合作でやっつけ仕事である。書名と中味が違うものも珍しくない。これは編集者が内容に関わらず人目を引きそうな書名をつけるからである。食品偽装には大騒ぎするが、書名の偽装は問題にならないと見える。だから私は新刊本はめったに買わない。私は本を買う時、著者に内的動機があったかどうかを重視する。ベストセラー本にそれを感得することはほとんどない。それを見分けるには前書き、後書が参考になる。もっともほとんどは著者名を見ただけで分る。今の出版業界の惨状は「身から出た錆」、「自業自得」。
 最近三か月の間に買った新刊本は以下のようなものがある(古本はもっと買ったし図書館で借りることも多い)。

日本の食と農   神門善久(ごうどよしひさ)
なぜ世界は不況に陥ったか  池尾和人&池田信夫
上海日記      堀田善衛
昭和天皇独白録  文春文庫
田中清玄自伝   ちくま文庫
完本文語文     山本夏彦
日米開戦への道上下  大杉一雄
寺田屋騒動    海音寺潮五郎
龍馬ー最後の真実  菊池明
正義はどこにも売っていない   坪内祐三&福田和也

 著者には悪いが、きわもの本を買うことはまずない。立ち読みですませる。もっとも最近座って読める書店が増えたのはありがたい。

 新聞に書評欄があるが、あれは広告主である出版社へのサービスという面もあるので多少割り引いて読む必要がある。概して点数が甘い。

城戸さんの話に戻る。
満洲残留孤児」には大日本帝国の愚行が凝縮されている。大日本主義(膨張主義)、移民政策対ソ外交(ソ連軍侵攻の兆候があったのに何の対策もとらなかった。そのソ連に和平仲介を依頼していたのだから何をか況や)、同胞を見捨てた卑劣な関東軍将校など。

 満洲引き上げ時の苦労話の本はいろいろあるが特に有名なのは「流れる星は生きている(藤原てい)」と「赤い月(なかにし礼)」。藤原ていは新田次郎(本名藤原寛人)夫人で数学者藤原正彦氏の母堂。
 満洲国崩壊時の関東軍軍人の振る舞いを見ると、彼らは武人などではなく小役人であったことがわかる。あくまで持ち場を離れなかった気象庁役人藤原寛人によほど武士的精神を感じる。

蛇足
関東軍の名称の由来は最初関東州(遼東半島)大連に司令部があったから。日露戦争後南満洲鉄道(いわゆる満鉄)警護のために設置されたが、後には日本の傀儡国家満洲国を作り実質的に支配した。これは近代史の基礎知識。


アメリカの駐日大使決まる

2009-05-21 08:08:00 | 政治
 オバマ大統領が、選挙資金面で功績のあった友人を駐日大使に任命した。日本なら論功行賞人事と言われ、非難の的になるところだがアメリカではそうでもなさそうだ。  

このニュースを聞いてルーズベルト大統領ジョセフ・ケネディ(JFケネディの父)を駐英大使に任命したことを思い出した。パパ・ケネディもルーズベルトの大口献金者であったから駐英大使の地位を金で買ったようなものだ(金ができると次に栄誉がほしくなるのは古今東西変わらない)。  
 ケネディ大使が外交官として立派な仕事をしたのであればともかく、彼は反ユダヤ主義者ナチに同情的、宥和的でヨーロッパの平和維持には何の貢献もできなかった。第二次大戦が始まると彼は「ルーズベルトとユダヤ野郎がアメリカを戦争に巻き込んだ」と発言した。

 民主党は、政権をとれば高級官僚の政治的任命を増やすと言っている。そうなれば上に述べたようないわば情実人事(猟官)がおこり得る。  
 アメリカの場合、任命権者の大統領は任期が少なくとも4年ある。ところが議院内閣制下の日本では首相(内閣)の任期は憲法上定めがなく国会特に衆議院の信任に依存する。従って衆議院各会派の離合集散によって半年で首相は代わるかもしれないし、或いは5年もつかもしれない。仮に内閣が1年ももたず次々に交代しそれぞれが政治的任命を行うとすれば政策の連続性が損なわれ、官僚の士気を殺ぐことは必定。  

 実は政治的任命制はアメリカを見るまでもなく、日本でも戦前あった。一時期あった政党政治の時代、政権党は内務大臣を通じて都道府県知事(公選制は戦後から)や警察署長に自派の人物を任命して利益誘導にはげみ、選挙の際は反対党の選挙違反を厳しく摘発し自派の違反は目こぼしさせた(現在でも警察は選挙違反で自民党に甘く共産党に厳しい)。これも政党政治への不信を醸成するのに与って力があった。
 民主党の官僚政治を打破しようとする意気込みは買うが、先ず「資格任用制(メリットシステム)」が生まれた歴史的経緯を調べたほうがいい。