だが中国の人口はおよそ日本の10倍であるからGDPが日本に並んだとしても国民一人当たり10分の1に過ぎない。
そもそもGDPはフローであるので、生活の質を計るにはストックを合わせて視野に入れる必要がある。この点中国国民のストックは甚だ見劣りする。
政治家がGDPを気にするのは、一つはそれが税収のバロメーターであるからであり、もう一つは国際的に見栄をはりたいからである。国民はそんなことを気にする必要はない。ただ昨日のブログのテーマとも関連するが、税収も多く財政も健全であったころ、生活の質を高める投資を怠ったことが惜しまれる。高速道路や新幹線、立派なビルはできたけれど。日本が戦後軍事大国の道を放棄した(放棄させられた?)のは正しかったが、それに代り大土建大国になったことは不幸であった。
GDPを至上の政策目標としたことが今日の膨大な財政赤字をまねいた。
本論にもどる。中国は21世紀中葉にはアメリカもしのぎGDP世界一の座につくのか?数字上はそうなるかもしれない。1980年代、これからは日本の時代と言われていたのを懐かしく思い出す。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて本も出た。今古本屋で100円コーナーに並んでいる。
ここでは中国の成長を規制する要因を考えてみる。私は三つあると思っている。
一、労働力
13億もの人口を抱える中国でなぜ労働力が問題となるか疑問を懐く人もいるかもしれない。
日本と違って総人口は今でも増加傾向にあるが、一人っ子政策のために人口構成高齢化の速度は日本以上である。小皇帝といわれる柔(やわ)な若者が親になる年代にさしかかっている。小皇帝二世がどう育つのか寒心に堪えない。これも成長の足枷となり得る。建国初期、産めよ増やせよの人口政策を取った毛沢東の罪は重い。
一、環境
ほんの一例だが、今の上海の大気汚染は、東京の大気汚染がもっともひどかった昭和40年前後よりもひどい。そして内陸の北京、重慶、武漢は上海よりわるい。中国で死亡原因の統計があるかどうか知らないが呼吸器系疾患が激増していることは想像できる。
去年の北京オリンピックでは大気汚染を理由に棄権したマラソンランナーがいたのを思い出した。
一、水
拙文「世界の水問題」を参照されたい。
戦前、日本人は食うものも食わないで軍艦を作ったが、空母を作り、月に人を送り込むと言っている中国を見ると戦前の日本とオーバーラップする。中国は今でも8億人の貧困層がいる。中国には「歴史に学べ」と他人に説教する前に日本の戦前の歴史を学んでほしい。
私は共産党一党支配を必ずしも否定しない。各国にはそれぞれ固有の歴史があり固有の政治形態がある。独裁者がいなければハッピーとは限らない。日本では衆愚政治の弊害が目立つ。先日朝日ニュースター「学問のすすめ」でオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を取り上げていたが、これは衆愚政治批判の書である。
ただ共産主義はスターリンや毛沢東によってマルクスの理想とは似ても似つかない開発独裁の一亜種に変質したと考えている。